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2001年2月7日
毎年恒例の誕生月検診に行く(千代田区立・無料)
2月17日
検査結果を聞きに行く、レントゲンを見た瞬間背筋が凍り付いてしまった。食道の下三分の一位のところに長さ3.5cmくらいの黒い影が写っていた。
私「先生癌ですかね」
先生「いやあバリウムの落ち方によって、このように写ることもある。月曜日もう一回やってみよう」
不安で仕方がなかったが先生の言葉にすがりつき、影が間違いであるように神に祈った。
2月19日
再度バリウムを飲む。
「先生どうですか?」しばらく沈黙…「やっぱりあるね」目の前が真っ暗。
近くの内視鏡専門外来病院『大政クリニック』を紹介される。
2月22日
紹介された病院で持参したフイルムを見た先生は「検査は早い方が良いから」との事。
やはり癌かと思い「先生癌ですか」と私。
「いや食道にもいろいろな病気がある、あまり心配しない方が良いよ」と先生。
不安が少し取れてくる。
2月23日
胃カメラを飲み四・五カ所の細胞をとり(生検)しばらく待ってから検査結果を知らされた。
食道のなかの突起物が映ったカラー写真を見せられて、「やはり癌です、切るんだね、どこの病院でも紹介しますよ」と言われた。「内視鏡的治療で癌はとれませんか?」と私。「いやあ大きくてとても無理です、手術です」と先生。
食道の手術の大変なのは何人もの人を見て知っているので、手術だけはしたくない、どうしたら良いか?!何も考えられなくなった。
そんな中「患者よがんと闘うな」近藤誠著とういう本を買って、しまっておいたことを思い出し、むさぼるように読んだ。また、週刊朝日に掲載された関根進さんが放射線と抗癌剤の化学療法で3年目の現在再発の兆しなし、との記事を読み、放射線治療で直したいと思う。
その後、キャンサーフリーとぴあの土屋先生を知り、今後の方針や病院に選び等、相談に乗ってもらう。土屋先生は癌研に16年間勤めた先生で「僕が食道癌になったらぜったいに手術はしませんね、放射線と抗癌剤の同時併用療法にしますね」とのこと。
インターネットで知ったオミノ先輩が入院したがんセンター東病院に入院したかったが、一カ月以上待たなくてはならない。癌研は2から3週間待ちとのこと、そして私の主治医の陳先生は東病院に5年いらしたとの事、それに一カ月以上も待てず癌研を紹介してもらう。
2月25日
私が40代の頃、息子に「長男としてお母さんの面倒をみるけれど、てめえの面倒はみない」と言いながら殴られた。酒でさんざんいやな思いをさせてしまった、その息子が心配してくれて、オミノアツシさんの「ガン病棟からの脱出」をホームページからプリントアウトしてくれた。妻からそれを渡され、ウァーこんなオヤジを心配してくれていたんだ、と思いうれしかった。癌になってよかったかも…
患者本人の体験談はどんなにか励みになり、生きる勇気がわいてきた。何回も何回も読み返した。その中でオミノさんが「患者よがんと闘うな」の著者、近藤先生へ直接電話したと書いてあったので、僕もその通りにやってみた。
2月28日
近藤先生に電話すると、午後3時にいらっしゃいとのこと。当日妻と行く。ようやく5時過ぎに診察を受ける。「君のは突起状の癌で突起状は治りやすい」と言われ希望が湧いた。
翌日
外来で放射線科の茂松先生の診察を受ける。
「放射線と抗癌剤の化学療法でお願いしたいのですが。抗癌剤は何を使うのですか?」と私。
「いろいろ検査をしないと決められませんよ」と先生。
私はオミノさんのホームページを読んで、5FUとシスプラチン2週間連続投与を覚えたつもりだったが、5(ご)何とかしか思い出せず、先生に5(ご)何とかを使ってもらいたいのですが、と申してでも、そこにいた四五人の先生たちは首をかしげるばかり。
こんな先生たちに命を預けてもいいのかと、とても不安になった。
しかし一応、入院の手続きをして帰る。
帰り道、キャンサーフリーとぴあの土屋先生から、癌研の陳先生の診察予約が3月5日に取れた、と電話がある。癌研に行くときの注意を受ける。
3月2日
朝8時30分ごろ、慶應病院から明日入院できますとの電話があり、あまりの速さにぎっくりした。
しかし、癌研の陳先生の診察を受けたかったので、田舎で不幸があったと嘘をついて、入院を伸ばす。
3月5日
癌研・陳先生診察日
持参したフイルムやキャンサーフリートピアの土屋先生の紹介状を見た後、先生は「ステージIIからIIIの進行性食道癌です。基本的には手術です。でも化学療法が希望とのこと、本当に化学療法で良いのですか?」と真正面から言われた。私は即座に「はいよろしくお願いします」と言っていた。
先生から治療マニュアル用紙をもらう。第1クールは第1週の月曜日にシスプラチン1回投与、5-FUは連続5日間投与で、放射線(リニアック)を照射する。第2週も同じで、第3週目は放射線のみ。2週間休んで、同じパターンで第2クールを行う。その後残存程度により抗癌剤のみ2回から4回投与することが記してある。
問診しながら今後の予定がどんどん入力されていく。
本日の検査
血液検査、エックス線、尿検査、心電図
今後の予定
胃、食道でエックス線検査、CT、腹部超音波検査
頭頸科の検査は直接に頭頸科に予約を取って検査してください。食道癌は頭頸に行きやすいので、外科の先生の診察もありますから大変厳しい話になると思われますが受け入れてください。入院は2から3週間後になります。その間に検査を全て受けることになります。
外科の診察
「手術をすれば80%以上が治る。(図を描いて)食道を切って取り除くので、癌は取れる。放射線化学療法は80%消えるが、根っこが残るから40%再発する、手術の方をもう一度考えてみてはどうか?」と外科の先生。
でも私は放射線と抗癌剤の同時併用療法に決めていた。ただ外科医の40%再発するという説明には驚かされた。
3月21日
陳先生より電話あり。明日入院できます。入院の用意をして内科の受付に来てくださいとのこと。
どんなにか入院の連絡を待ったことか。陳先生の診察から2週間と3日待ったことになる。
3月22日
やっと今日入院。看護婦さんから説明を受ける。
3月22日尿をためるだけ。
3月23日尿をためるだけ。
土曜日、日曜日、外泊
3月26日
本日より治療開始。これもオミノさんのホームページを見てあらかじめ分かっているので心強い。午前10時ごろより5-FUを24時間・5日間連続投与だ。
続いてシスプラチン(月曜日のみ)。シスプラチンは2時間程度で終わる。
午後より放射線をやるための位置決め検査。昼食止めで呼ばれたのは夕方5時近く、その間まだかまだかとナースコールを何度も押して催促する。位置決め後、すぐ一回目の放射線開始だ、よかった。
3月27日
悪寒がし出した。寒くてしょうがないので同室(四人部屋)の方たちに了解をもらって暖房を入れてもらう。
私のベッドの上に先生の名前が3人書いてある、やはり癌患者なのだと思う。
毎日朝と夕方、陳先生が顔を見せにくる。体の具合はどうですか?先生の顔をみると安心する。
夜中一時ごろより小便にて起きる。2時間おきに小便に起きるのにはマイッタ。オミノ先輩のホームページに書いてあったアクセルとブレーキを同時に踏むとは、このことだと思った。
3月28日
3日間風呂に入ってないのでの腕の注射針を抜いてもらう。昼間からの入浴でさっぱりした。ほとんどの人が鎖骨のところから針を入れるが、私は19年前に自然気胸の手術をしているので首からはとても抵抗があった。そこで左の手首から点滴をお願いした。
3月29日
オミノ先輩の言っていた口内炎はまだ発生しない。食欲もいつもと変わりない、ありがたい!
3月30日
抗癌剤を初めてからやたらに寒くてしょうがない、1日中ガウンを着ている始末だ。10年前に食道癌の手術をし生還したという、10年目に両側の肺に線癌になり抗癌剤治療をしている70歳のTさんに食道癌の治療をしているなら、ご飯はお粥にしてもらいなさい、おかずは常食と同じで良いからと教えてもらう。
3月31日
5-FU投与終わり土曜日、日曜日外泊の許可をもらい帰宅。夜に断酒会の仲間から電話あり明日鈴ヶ森のそばで花見をやると誘われた。翌日、朝10時出発しかし寒くて体がブルブルする1日だった。
4月1日
1日中気分が悪い、抗癌剤の副作用か?
4月2日
夕方病院へもどり、午後9時再び病室のベッドへ。
4月3日
第2週目、抗癌剤は初日一回シスプラチン、5-FUは24時間5日間連続投与です。午後一時から2時ごろにリニアックのお呼びがかかります。先週同様シスプラチン後の吐き気止めの点滴をやると気分が悪くなり寝ても起きても体の置き場所がない。夜中まで不快でたまらず、心臓がドキドキするので心電図を取ってもらう。不整脈あり。
4月4日
洗面所でへアートニックをつけて頭髪をかきむしりると洗面台の周りに毛がボロボロ落ちてくる。だんだんはげる?不安になってくる。
主幹注:ロゲインをお使い下さい
4月5日
このごろになると夜中に喉と口の乾で口の中がカラカラになり又小便も出たくなり午前一時から2時ごろ決まって目が覚める。
4月6日
お粥も喉を通りにくくなり、あごをあげた姿勢で、それも少しずつ慎重にしなければ通らない。食道を滑らかにする薬?ドロドロをしてミドリ色をした液状のものを10ミリリットル食前に出るようになる。
4月7日
一泊外泊、夜食に刺身が食べたいので女房に買ってきてもらう。マグロの大トロは旨かった!
主幹注:白血球が下がっているので生ものはお勧め致しません
4月9日今週より抗癌剤の点滴はなし、リニアック放射線治療のみにて気が楽になる。
2月17日に癌告知より少し前から背中の左側ちょうど食道あたりに筋肉痛のような痛みがでてきて(午後になると出る)困った、先生にいうと今度の土曜日に骨シンチの検査をしましょう。骨への転移でないことを祈りますと私
4月11日
入浴デーの日、気分があまりすぐれず、頭を看護婦さんに洗ってもらう、とっても気持ちがよかった。看護婦さんが天使のように見えて本当にありがとう。
4月13日
女房が仕事の合間を見て毎日来てくれる。寿司の差し入れや、ティッシュ、お茶、水となくなったものを持ってきてくれる。食道癌を直して女房に恩返しをして後半の人生を幸せにするため、絶対に生還にして生きていかなければ!
4月14日
骨シンチの検査、午前10時注射、2時間後にCTとほぼ同じやり方である。体重測定日、55キロあったのが51キロと4キロやせた。
4月15日
3回目の外泊、病院食は刺身が出ないので、外泊のとき女房と二人で寿司屋へ行く。放射線の影響で喉が痛くて通りが悪いので少ししか食べられない、つらい。
4月16日
第4週目も先週と同じ放射線治療のみ。予定では今週より2週間休んで第二クールの開始だが、5月のゴールデンウィークに第二クール治療開始が入ってしまい3週間間が空いてしまいうまくないとのこと『放射線の長谷川女医さんが、4週続けてやりましょうよ、ちょっとつらいけども、その方が治るから』了解、わかりました。
4月17日
土曜日の採血の結果、白血球が1700から2000と低いので白血球をあげる注射を2日する。骨シンチの結果を白山先生が持ってきてくれる。異常なしほっとする。背中の健康骨のあたりの痛みはMさんの場合、食道は筋肉が五重の層の外に出て背中には、いってないので大丈夫、単なる筋肉痛でしょう。後は接骨院ですね!
4月18日
入浴デー、入る気がせず女房に頭を洗ってもらう、何と気持ちいいことか!お母さん感謝します。ありがたい本当に、必ず直して見せます、そして恩返しをするためにも生還する。
4月19日
放射線を4週間やっていると喉の痛みがピークになり水、お茶、液体を飲んでも痛い、夜中に5から6回口の中がカラカラになり、そのつど便所に行きうがいをするので、つらい毎夜だ。
4月20日
主治医の陳先生、、相変わらず毎日顔を出してくださる、ありがたい『内視鏡の検査を又やりましょうよ』私、CTの検査が23日にあるから、内視鏡は3月の入院前やったばかりだから、いいんじゃないですか?陳先生『Mさんの癌は小さくてリンパにもいってないのでCTだけじゃわからないのです』苦しくてあまりやりたくない。
4月23日退院
朝、採血、午前10時にリニアック、午後CT検査、白血球1500にて白血球をあげる注射。すべて終わったのが午後2時ごろ、7階の喫茶レストランで初めて、ざるそばを食べる、旨かった。そして疲れました。女房が来てくれるまでベッドで横になる。
4月28日
2泊3日千代田区立の千代田荘(強羅)に女房と行く、ああ薬のオンパレードだ、バックの半分ほとんど薬である。温泉は気分転換に最高です。オミノ先輩(この道の開祖会長先生と僕は思っています)がよく口癖で言っている。手術をしたら温泉に何か行ってられないよMさん。これも放射線+抗癌剤治療を選んだからこそ楽な生活ができるんだからね!本当に僕もそう思う、オミノ先輩に感謝しています。
5月2日
癌研2回目、第2クール治療のため、入院。
5月6日
ゴールデンウィークも終わり再び入院患者となる。夜10時今度は個室なので他の人に迷惑をかけずに暖房がかけられる。抗癌剤の後遺症で1日中寒くて仕方がない。風呂、ウォッシュレット、冷蔵庫、タンス付思ったほど広くない。
5月7日
さあ今日から第2クール治療開始。朝8時30分採血。10時過ぎても抗癌剤の点滴する先生が、来ない。昼になっても来ない。どうなってるんだ不安になる、やっと馬場先生(主治医、陳先生、馬場先生)見える。白血球が2000しかなく治療ができない。放射線だけやる方法を皆と検討したが、やはり来週14日からやることに決めましたとのこと。うわー泊3万7000円なのに一週間何もせずかよ!かーちゃん勘弁な。家に帰るのも、もったいない気がして結局この週は何もせずに居た。精神的にも参って食欲もなくなってきた、病院食も飽きてきた。
5月9日
風呂が付いているが入る気にならない。七階の喫茶店の存在を知り、昼食はざるそば、ざるうどんに生卵、ほとんどめん類しか食べない。朝はトースト1枚と牛乳とおかずを少々!
5月14日
第2クール開始、午前11抗癌剤投与開始、午後2時リニアック、前回と同じだ。ただシスプラチン投与の日は夕方から気分が悪くなり、心臓も動機がしてベッドに横になる。陳先生が吐き気止めを変えてくださるがあまり効果がない。
5月15日
陳先生、夜きて17日に内視鏡の検査をします。個室だとテレビにイヤホンを付けずに見えるのでありがたい。シーツは火曜日と木曜日にかえってくれる。
5月16日
第1クール治療開始の時は、抗癌剤による便秘はなかったが、今回はひどくて困った。月曜日に下痢をした以後、便が出ずに出口にフタをされてる感じだ。火水木と出ない。あせる。指を肛門につっこんでほじくり出してもポロポロとうさぎのうんこが5−6個出ておしまい。
5月17日
いよいよ3月8日以来の内視鏡検査だ。不安と期待を持って、昼食止め。
夕方4:30頃B1F室に呼ばれる。やるのは陳先生。抗癌剤をやりながらの検査。横になるとゲーゲーと吐き気で涙が出てくる。ティッシュでふく
先生「大丈夫ですか?今度にしましょうか?」僕は「大丈夫です、お願いします」
内視鏡を入れてみながら、先生「目に見えるところは何もありませんよ」
写真を撮る。先生「今回の治療は余録でしたね!」
あー、よかった。ホッとする。先生有難う御座います!
5月18日
夜8時頃、陳先生がニコニコしながらアルバムのようなノートを持参して、「Mさーん」と昨日の内視鏡の写真(ポラロイドみたいな)を見せてくれた。
先生「放射線で消えた癌は引きつった痕が残るのですが、あなたのはそれがなくきれいになっています。きっと浅かったのだと思いますよ。」
陳先生に感謝。一緒に喜んでくれて有難う御座います。
5月19日
外泊せずに病院に泊り、まだ便秘に悩まされる。
体重測定。48キロに減っている。55キロあったのが、7キロ減だ。もっと食べないと!
5月21日
第2クールの第2週目。抗癌剤治療開始。
今週で終わりと思うと気が楽だ。ただ食欲が落ち、昼は7Fレストランでざるソバと生卵。夜は牛乳とバナナしか食べる気がしない。
馬場先生「このままだと、栄養の点滴をするようになるかも分からないですよ」なんとか夜食べないと。
女房が、癌研の近くの寿司屋から毎日夜、寿司を買ってきてくれる。特上寿司だ。みんな平らげた。
5月22日
抗癌剤治療があまりつらいので、陳先生に「僕は癌はきれいに消えたし、今回の治療は余録みたいなものと先生に言われたので、放射線だけにしてもらえませんか?」と言う。
先生「あなたが80才の高齢ならやりませんよ!まだ57才ですよ。20年生きられるとしたら77才です。だから頑張ってやりましょうよ。」
5月27日
退院してもいいと先生に言われたが、身体の調子が悪く不安なので5月29日に退院を延ばしてもらう。
5月29日
退院

11月23日祝日
現在、放射線による肺障害、息切れ、咳に苦しんでいます。咳のため背中が痛いので毎週マッサージ治療をしています。でも、これもオミノ先輩のインターネットのメールを息子がプリントアウトしたのを読んだお陰で、手術せずにこの治療を行ったのですから、運がついていたのだと思っています。
陳先生「放射線治療をやったのは賭みたいなもんですよ!消えたから良かったけど、消えなかったらどうするんですか?」僕は思った。命懸けの賭に勝ったのだ!
また、退院して外来の時に、再発・転移の不安を陳先生に尋ねると、「Mさんのような癌は私の経験から言って、また他の先生の話を聞いてもほとんど再発しませんよ」と説明して下さった。
この言葉で再発のことは考えずに、毎日楽しく一日一日大切に生きて行きたいと思っています。
(主幹記)2004/12/5朝、肺出血のため、お亡くなりになりました。享年60才。なお食道癌は完全に治っていたそうです。ご冥福をお祈り致します。合掌。
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