ガン病棟からの脱出

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ステージ0、食道摘出手術!?

              食道ガン私の母の場合

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00年6月 腰のすべり症をしてから台所に立つのがおっくうになり、もしかしたら車椅子かも?と不安を抱きながら食欲が減っていく。
01年1月 それから拒食症になったのかと思うくらい食欲が減り、そのたびに食べては戻すという生活が常日だった。 そして夜になると酒を飲み、タバコも一日2箱、眠れないときには睡眠薬で寝るという感じ、体重も以前より5キロほど減った そんなある日・・・。
01年
4月始め

母親(以後Yとする)は、血便が出たことが気になり、検査のため大分市内の工藤消化器科病院へ行く。
大腸検査を試みる。
そのときにポリープが見つかり切除。それを組織検査にかけるとのこと。
同時に、何年も検査していないからついでに胃カメラも飲んでみる。

それから一週間後、電話にて大腸ポリープの結果報告「組織検査の結果、悪性ではなくただのポリープだったので安心してください」とのこと。

4月21日 Yの自宅の留守番電話に、工藤先生より
「話したいことがあるので病院を訪問するように」
との要請あり、電話では話せないとこのこと
(Yは、何かを察知したようにその日は病院にいけず、土曜日だったため 来週に見送ることにする。)
4月24日

Yは、工藤消化器科病院を訪問。 診察室に入ると電気を消され、目の前には先日飲んだカメラの写真が広げられていた。

先生: 「食道に腫瘍あり、悪性」
Y  :はい、そうですか・・・・
(先生より「がん」という言葉は聞かされなかったように記憶しているとのこと。)
先生:うちの病院では処置できませんので大学病院へ紹介状を書きますので後日行ってください。
Y  :わかりました。
(Yは言われたことに対してただ返事をするしかなかったようだった。
それから何時間か一人で考え込み、どうすればよいのかわからずただ呆然としていた。
誰になんと言えばよいのか考え、やっと私(娘)に電話がきた。

Y  :ママね、ガンだったよ。
私  :えっ?
(以前大腸の時もこうやってだまされたから、もしかして又冗談だと、半信半疑だったとき)
Y  :(泣き声に変わる) ごめんね。
私  :なんであやまるの?
Y  :好き勝手しすぎたかな? もうちょっと自分大切にすればよかったね。
(こんなことを何分か話した後電話を切った。 私もどうしてよいのかわからず、主人へ電話。 夕方の仕事を早めに切り上げてもらい退社してもらった。)

GW前の忙しいさなか、主人に仕事を休んでもらうよう頼み、会社に電話。
上司はあまりよい顔をせず、「おまえら以外にお母さんを見る人は大分にいないのか?」と。

私たち夫婦は福岡に住んでいるし、私は、母一人、子一人であるために見る人は誰もいない。
しかし、部長に報告すると「今日から大分に帰れ、会社のことは気にするな!」と心強い返事をいただく。
26日〜30日まで休職許可がおりた。この日の夜より大分へ急いだ。

4月26日

工藤先生より頂いた紹介状と、借用した内視鏡カメラの写真と、組織検査のプレパラートをもって、紹介先の大分医大病院内田先生を訪ねた。
朝9:30 受付 外科の待合室にて落ち着かない時間を過ごす。
X線、内視鏡、問診、血液採取など検査を終わらせた。すべてが終わり再び外科待合室にて待機。
名前を呼ばれ、まずYのみ面談するとのことで内田先生の待つ部屋へ入っていった。

10分後家族の方どうぞ・・・ということで、私、主人も入室した。
部屋の中には内田先生と若い医師が3人ほど。

内田先生:工藤先生からなんと言われましたか?
Y     :食道ガン、食道に悪性の腫瘍があるといわれました。
内田先生:そのとおり、間違いなく食道ガンです。しかし悲観することは無い、早期に発見できた。宝くじに当たったようなものです。工藤先生には感謝すべきですよ。

このあと内田先生により、ホワイトボードに図を書いての説明があった。

内田先生:大きさは手の親指のつめを2つ合わせたくらいの大きさです。大きいほうではない。しかし、問題はその深さです。 食道は4層からなっており、Yの場合ほぼ一番内側の浅い層にとどまっていると考えてよいと思います。 治療方法としては内視鏡を使ってその部分を切除すること。今後のスケジュールとして連休明け5月7日以降、多分、8日から検査入院という形で、再度内視鏡、CT、MRI,などの検査に一週間程度、そして、内視鏡を使って切除。 検査結果で転移が認められなければ、それで治療は終わりです。

Y、私、主人ともに説明のあっけなさに多少当惑した。

Y    :私は一人身で大分に頼れる親族がいません。今日同行している娘夫婦が住む福岡市の自宅からすぐのところに‘国立九州がんセンター‘というのがあるので、そちらでの検査、および摘出治療を考えているのですが、どうでしょうか?
内田先生:親族が心配することについては大分、福岡どこにいても同じことであり、わざわざ福岡まで行くことはない。  (ときっぱり否定された。)
Y    :今日から連休明けまでの入院に生活習慣についての注意、改善すべき点はありますか?
内田先生:飲酒、喫煙はやられておられるそうですが、特に今からやめてもそんなに変化ないでしょうから、せめて量、本数を半分に減らし、ストレスをためず体力をつけることですよ。

(このあと、8日以降の胃カメラ、CT、MRIなどの検査予約を済ませて病院をあとにする)

工藤先生から借用していた写真と、組織のプレパラート、および内田先生より工藤先生へ封印された診断結果を工藤先生に渡すためYを自宅に下ろしたあと、私と主人のみが工藤消化器科へ

昼2時過ぎに訪問したが先生はオペ中だったため、再度4時過ぎにきて欲しいといわれる。

約束の4時過ぎに訪問し、借用していたものの返却と内田先生よりの手紙を渡すと同時に工藤先生と面談し、説明していただいた。
先ほどの内田先生からしていただいた説明とほぼ同じ内容で、まったくといってもよいほどだった。手紙の内容がそのままであると思われる。
私   :今回食道についてガンであると言われましたが、ただ前回の工藤先生による胃の組織の採取からの検査結果が不明です。Yの食欲不振、体重減少、吐き気など、素人考えで申し訳ないのですが、胃にも異常が(転移など)があるのではないでしょうか? そのところどうでしょうか?
工藤先生:胃はまったく異常ない、転移の可能性?そんなことは調べても無いので、わかるわけが無い。とあざ笑うか、または多少怒ったようにも取れる言い方で、胃の異常については否定された。

この私の質問が出るまで説明の時には愛想もよくやわらかい表情であった先生が、胃の異常、転移の話になったとたんに先生が目を合わせてくれなくなり、対応の姿勢に変化があったので、もしかして何かを隠しているのでは?と、今ひとつ納得できずにY宅に戻る。

(ガンであることには間違いないがまだ浅く小さい。 内視鏡的粘膜切除により摘出、転移がなければ終わり、入院に際して特に付き添いも必要なしとのことで、内田先生の言葉をすべてうのみにすれば、割と簡単に終わるのかもしれないと思っていたが、後で思えば、自分の情報不足であり、先生への反論、疑問材料もなく、ただ言われることをうのみにするしかなか
ったのかもしれない。)

 

4月27日〜30日 主人が実家へ状況報告。連休明けからの検査入院、切除の方法、スケジュールなどを報告した。
主人の母:それで、あなたはなにをしているの?8日まで何の処置もせずに放置しておいて大丈夫なの?そんなに簡単に考えててよい問題なの? ほかの医療機関や、知り合い、経験者に意見を求めるなどもっと真剣に考えるべきでは?などと、主人に言われたそうだ。

そこで、二人してそれぞれの知り合い、頼れる人、経験者などへ連絡。

5月1日

上司より連絡あり
上司:自分の同級生の中垣病院の先生が、九州ガンセンターの副院長牛尾先生と同級生であり、紹介状はかけるので一度連絡すること。

その後すぐに連絡をとり私と主人とで中垣先生の元へ向かった。

<中垣病院にて>
胃カメラの写真の提出、そして今までの経緯、病状、大分医大での言われたことについて説明した。
中垣先生:親指のつめ二つ分とは大きいなあ・・・・まだお若いのに、たいへんですね。本人、家族ともどもがんばってください。

九州ガンセンター牛尾副院長への紹介状を頂く。 又、中垣先生→牛尾先生への直接の電話により5月8日に九州ガンセンターを訪ねるようにいわれた。

その後Yに連絡し、大分医大をキャンセル、そして福岡へ入院準備などをしてもらって、7日の夜にくるようお願いした。

(牛尾先生は昨年まで中央ガンセンターにおられ、放射線専門の医師らしい。現在は九州がんセンターの副院長をされている。)

5月7日 夕方Yはたくさんの入院のための荷物を抱えJRにて福岡へついた。
みんなでおいしいものをと明日の検査のことも考えて豆腐料理を食べに行く。
5月8日

朝8:30 Yと私、国立九州ガンセンターへ行く

(検査内容)
レントゲン
バリウム・・・食道、胃
心電図
肺活量
血液検査など

牛尾先生より、消火器外科の遠藤医師を紹介いただく。 主治医になる。

*ガン保険の適用を考え可能であれば入院による検査を要請する。 現状空きベットなし、後日連絡の予定。

5月9日 検査なし   
電話にて明日からの入院OKですとのこと
早速、入院準備に取り掛かる。
5月10日 内視鏡検査
この日よりガンセンター入院の日々がはじまった。
5月11日 検査なしとのことで私宅にとまる。
5月13日 14日に大腸バリウムの検査があるために検査食をとらなければならない。
自分で気をつけて消化のよいものを食べていた。
5月14日 大腸バリウム検査
まるで宇宙遊泳をしているような感じ。と内視鏡のようにはつらくなかった感想だった。
結果は異常なかった様子。

この週くらいから遠藤医師より手術の覚悟はしておいてくださいといわれる。
Yさんの場合まだ浅いですから、首の下とおなかを少し切り、胃を上に上げる簡単な手術です。
割と簡単に、そして一般的に行われているオペですよといわれる。
     
Yは以前内科医より言われた手術をしなければ転移してるかもしれないという言葉もあったためガンは食道のみにとどまっているのかも?と内心手術はいやでも、ほっとしていたようだった。

5月19日

今後の治療方針について話があるので、主治医遠藤先生より、親族の呼び出しあり。Yと、私、主人、そして医師とで、これまでの検査結果の報告、および治療方針の指示、家族にて話し合い、これらの中から選択し、手術の日程を決めるために21日までには回答が欲しいとのことを言われた。

検査結果は、食道ガン
4層より構成される食道壁の一番浅い層(粘膜層)に2/3周長さ3センチ程度の範囲で広がっている。
ともに、内視鏡の検査のときの写真をみせてもらった。ルゴールにより変色しており、霜降り肉のような感じだった。



診断内容(病状)説明書

患者氏名   
ご家族氏名

診療内容(病状)についての説明
病名)食道ガン      症状)軽度嚥下障害
食道ガンですが、今のところ病変は粘膜内に大部分がとどまっていて転移なども認められないようですが、病変の範囲から考えて手術(食道抜去術)が一番望ましいと考えますが、根治性は低下しますが、手術の他にも治療法はあります。 治療法としては以下の3つが考えられます。

@ 手術  (食道抜去術)
根治性は最も高く侵襲も最も高くなります。しかし通常の食道ガンの手術に比べると手術侵襲もかなり小さいといえます。もっとも望ましいと考えます。

A内視鏡的粘膜切除術
理論的にはガンの大部分が粘膜内にあることを考えると可能です(相対的対応)が、範囲が広いので○取り残し○術後狭窄(嚥下障害、摂食不良)は、かなりの可能性で起こると考えます。当然穿孔などの可能性もあります。 しっかり取れれば根治性は@に準じますが、今回の場合は難しいかもしれません。

B放射線+化学療法
一時的な侵襲は最も小さいですが、放射線や抗がん剤による副作用もありえます。
(骨髄抑制、嘔吐など)根治性はもっとも低くなります。(再発してくる可能性はもっとも高くなります。 治るという言葉は使えません。)期間も3〜4ヶ月かかります。

以上の説明を考えて治療法を選択してください。

平成13年5月19日
説明にあたった医師    消化器外科  遠藤 和也


上の説明書にプラスして言われた言葉に、
内視鏡だと狭窄が起きても広げるのは不可能。癒着の可能性もあるとのこと。
先生としては『一番は抜去だ』といわれる。
それに、患部が2/3周あるし、内視鏡で取れる範囲ではない。全周を取る病院もあるがウチではやっていないとのこと。

しかし、Yは、手術ではなく内視鏡で取ってみてどうしてもだめだったら、手術という方向で進んでみたいという気持ちでいた。

プラスしてMRIの検査も入っていたが先生によるとその必要もないし、あの部屋はうるさいからねぇ・・・・ということで、MRIはなくなりました。

この時点でYに「どう思う?」と問われたときには「根治率の高い抜去が一番だと答えた。」
やはり医師からいわれ、今後ガンとかかわりなくするためにはそれが一番だと思っていた。

5月21日

これまでにオミノさんのHPを何度かのぞいていて手術以外の治療について書いてあることに関心を持ちこの日の昼間にメールを出した。
同じ食道ガンで(ステージはYより高く)手術をせずに放射線と化学療法で治した。手術至上主義の医療スタッフとの戦いの経緯がかかれており、昔の私たちの知っている放射線療法と違い進んだ技術により国立がんセンター東病院 放射線科大津先生では、70人中69人の食道ガン患者が無事に治療に成功したとあった。

また、オミノさんは、「ガン病棟からの脱出」という命題からわかるように現在の日本の医療機関医療スタッフへの疑問、がん患者はもっと勉強し、医師の治療法をうのみにせずに本人で考え戦うべきだとの自論をもっていた。
何度かメール交換をした後にメールでは聞き尽くせないと思い、お電話をした。
そこでオミノさんの今までの経緯などを聞きどうしても大津先生に見ていただきたくなり、大津先生にメールでも送ってよいものかとお聞きすると「そんなのんきなことを言ってないで急がなければなりませんよ。三途の川を渡るより東京に来るのは簡単ですよ。早くしなさい」と励ましのようなお叱りを受けた。

それから、東病院についてインターネットにていろんな情報を集めだす。

5月22日

オミノさんの紹介ということで東病院大津先生へ直接お電話する。
大津先生へYの病状や経緯を説明する。
「今のところ、Yの病状は親指のつめ二つ分と言われており、深さは浅いとこのこと、しかし、現在の病院では抜去を勧められており、Yの意思では内視鏡での切除を希望しています。これは、可能なことなのでしょうか? 
大津先生:うちの病院ではその程度であれば(粘膜内にとどまっていれば)内視鏡で取れると思われます。
私     :それでは、こちら九州の病院でもその方向で押していっても大丈夫なのでしょうか?
大津先生:だと思いますよ。
私    :もう一度こちらの病院と検討してみてまたご連絡差し上げます。

(この時点では、私は、九州で切除したいというYの気持ちがあったので、現状こちらで取れるかどうかが心配だった。 だから、東病院で切除することよりも、抜去より、内視鏡でいけるかが気がかりでした。そして、東病院がどういう実績かも不明確であったために、大津先生にその点のみしか質問しませんでした。)

夕方この話をYにするために病院へ。
上記のことをYに話した。 しかし、Yは聞いただけの話で半信半疑だった。

私とY、遠藤先生と面談。
遠藤先生から提示された3つの方法の治療のうち、Yの意思として内視鏡的粘膜切除術の選択方針が強いと知っての配慮なのか・・・

先生: 患部の範囲を確定したい、24日、再度内視鏡検査を要請したいのですが・・・・」
Y  :わかりました。

これまで、2回内視鏡検査をしているが、範囲確定はできていなかったのだろうか・・・・?
遠藤先生が最初から食道抜去術をすることを前提として考えていたとすれば、それほど正確な位置および範囲は必要なかった。 という疑いの見方もできる・・・・)

患者本人ではない私たちが胃カメラを飲むということがどれだけきついということはわからないが、Yは「又飲むの?」というショックは隠せない様子だった。 精神的にもかなり弱っていると受け取れる。

私→遠藤先生
私  :他にも方法がないか見てもらいたい先生がいるのですが、必要資料を貸与していただきたいのですが・・・
遠藤先生:良いですよ。
私  :その場合、お時間とか、金額とかはどのくらいかかるのでしょうか?
遠藤先生:外科部長に聞いてみないとわかりませんので聞いておきます。すぐ準備できると思いますよ。

その後Yと私、遠藤先生、内視鏡担当の川元先生での面談。
川元先生:明日のカメラで見てみて取れるかどうか見てみましょう。もし、不安であるならば以前内視鏡的粘膜切除をしたときのビデオあるから見せてあげようか?あれを見たらすごいからねぇ・・・。うちの病院は、ビデオもすぐに撮れるから、明日のカメラのときも撮りましょうか?そしたら、どんな風になってるかわかりやすいでしょ?
遠藤先生:セカンドオピニオンの先生にもお見せになったらいかがですか?
私    :そうですね。それだとわかりやすいと思いますので、よろしくお願いします。又、所見の手紙もすぐにかけますから、すべて簡単に済むことなので心配ありませんよ。

帰宅後いろんなことを迷った挙句にまたオミノさんに電話をする。
オミノさんより、そんな病院退院して東病院に来なさいと。金曜日が大津先生の担当だから、今週はどうか?と

しかし、入院中のYは、もし、この病院を出て戻る病院がなくなっては不安だということが一番頭にあったらしい。 誰も診てくれなくなったらどうしようって。
そんな不安を考え、大津先生にとりあえず、このYの現状を診ていただこうと思っていた。

5月23日 私と主人とセカンドオピニオンによりさらに放射線+化学療法での治療の可能性について検討、確認。
・ 抜去手術に対しては本人および家族の総意としてない
・ 内視鏡的粘膜切除術を本人の意思として尊重しつつ、残された放射線+化学療法での完治の可能性も考え東病院大津先生にセカンドオピニオン依頼を決定。

主人   :最低必要書類として何が必要ですか?
大津先生:CT写真、内視鏡フィルムが必要です。

大津先生としては本人を診たい。出来れば資料とともに本人も来れないのか? この意味としては資料だけ見て、どうこういっても、誤解や誤診になりかねない。どうしても本人が来れないのなら親族のうち、これまでの経緯、病状などを一番理解している人が資料を持参し、25日の13:30〜14:00に来るようにとのこと。


それから、早急に資料集めをしなくてはならなくなった。

主人⇔遠藤先生(電話にて)
主人  :資料を早急にお借りできませんか?
遠藤先生:CTにはなにも写っていない、それでも良いならコピーをすればよい。
主人  :写って無くても良いです。 コピーなどの作業はどこでやればよいのでしょうか?費用はおいくらくらいかかりますか? 明日の内視鏡検査のビデオテープの手配は?
遠藤先生:写真コピーやビデオなどの作業は私の担当ではないのでどこでどうやって費用はという話はまったくわからない。その辺は自分でやってください。 早急にといわれてもコピーなどには時間がかかることも考えてください。

主人  :それでは、あと10分ほどあとに電話しますのでコピー作業の申請窓口を調べていただけますでしょうか?
遠藤先生:私の勤務時間は終わりましたので明日にしてください。
(コピー等にはそれほど時間はかからないと昨日は言っていたのではないのか?明日朝一番にコピー作業、および申請などの窓口を探すことを決定した。)

5月24日

8:45 ガンセンター着
総合案内の女性にCTコピーなどの申請はどこでやればよいかをたずねる。
受付カウンターにて申請可能であるが、どの部分を何枚コピーするかという主治医の指示が無くては出せるに出せないとのこと。 遠藤先生を呼び出してもらい、しばし20分ほど待つ。

遠藤先生がX線フィルムなどの複写依頼書に先生の指示、サイン記入をしていただき、CT4枚を3150円にて支払った。
このときに遠藤先生より
遠藤先生:本日の内視鏡検査のビデオ録画について提案があります。本来、内視鏡での映像を録画ということはやっていません。 また録画できたとしてもそれをダビングするとなると時間がかかる。提案としては画質が劣るとは思うが写真をパソコンに取り込んでプリントアウトしたものでよいだろうか?
(ビデオ録画については先生のほうから出た提案であったのに、しかも、簡単に出来るという話であったのに話が食い違ってきていた。)

遠藤先生:今日今の段階で私に出来ることはこれまで。今から、手術が入っており、今後は何も出来ません。
主人  :では、これから、私たちが資料を提出し、セカンドオピニオンを依頼する先生の病院名と名前を言いますから、所見(手紙)を書いていただけますか?
遠藤先生:今、名前を聞いたから、'はいできました'ということではないでしょう。私も忙しい身です。はっきり言って、私はYさんだけの医師という訳ではないですから、一人にかかる時間は限られています。
主人   :では、手術が終わり先生の時間が空いた時間に伺います。何時くらいなら良いですか?
遠藤先生:正確にはいえません。
主人   :では、夕方うかがいます。

一度病院より帰宅する。

(主治医のもっとも勧める手術をしないことを決め、さらに他の先生にも意見を求めるため資料をそろえようと動く私たちへの反応は冷たく感じる。 プロとしての先生の心情もわかる。しかし、コピーやビデオ録画、手紙を書くことに関しては、「簡単です」といっていたはずなのに、昨日の話とは全く食い違う点が多い。)

内視鏡の写真をパソコンに取り込みプリントアウトしたもので事足りるのであろうか?了承はしたものの一応ビデオ録画しているのか?不安になったため今検査中だろうということで主人と再度病院へ向かう。
即、内視鏡室へ向かうと「Yさん終わりました。車椅子お迎えお願いします。」と声が聞こえた。
窓口の担当看護婦へ「ビデオは撮りましたか?」と聞くと返答なし。
しばらくすると遠藤先生が内視鏡室から出てきた。目が合ったが何も言わず足早に去って
いった。
さらにしばらくして内視鏡担当の川元先生が出てきた。

私   :ビデオは撮ってもらえたのでしょうか?
するとオーバーアクションぎみに
川元先生:あー忘れていました。今日はカメラの人が多くて忘れちゃった。まぁ、いつでも取れるから、またとってあげるよ。

先生はその場で出来上がったばかりの写真を見せながら私たちに説明を始めた。
ちょうどその前を車椅子に乗ったぐったりし、目を閉じ、タオルでかおを押さえたYが通って行った。
私が声をかけるがそれにも気がつかない様子だった。

川元先生:今回はじっくり調べました。写真も組織もこんなにたくさんとりましたよ。
(と笑いながら・・・)
見た感じメインの患部が食道の1/2周、長さ3〜4センチ程度。その他に少し離れたところに数箇所また気になるところもあったので一応組織は全部とりました。組織検査の結果は明日にでも出ると思いますが、粘膜切除の方針としては基本的には可能と判断します。 いや。出来るでしょう。 メインの患部は当然。 少し離れたところもそれぞれ切除できると思います。
私    :それで、ビデオ撮っていないのであれば、この写真のコピーなどは出来るのでしょうか?
川元先生:コピーは出来ますが、持ち出せるかどうかは主治医に聞いてください。ところで誰に見せるのですか?
私   :大津先生です。
(以後何病院の先生かは知らない、どういう先生なのか?知り合いなのか?親戚なのか?逆に質問をされる。)
川元先生:どういった経緯でその先生に見せるのかはわかりませんが、たとえば、本などで'名医'と呼ばれている先生はうそですよ。内視鏡粘膜切除に関しては日本一、いや、世界一といってもいい先生が関東にいます。都立駒込病院の門馬久美子先生や、他にも数人私よりはるかにうまいですよ。その先生がだめだといったら、どの先生がしてもだめだというくらい名医ですよ。どうしても今あなたたちが言う先生に見せたいのなら、私が直接大津先生に電話して現状をお話しても良いが・・。 (川元先生の信じる先生以外他の誰に見せても同じだろうというような感じであった。)

私たちとしてはとにかく明日25日に大津先生とアポイントとってあるので、今日の内視鏡の写真を持って帰るべく遠藤先生を探した。
消化器科をたずねると「今手術中です。」とのこと。 あとでYより聞いた話では、遠藤先生は確かに他の人の手術に立ち会っていたところYの主治医として内視鏡の先生から呼び出され検査に立ち会っていたとのことだった。

消化器科窓口の看護婦より
前回2回目の内視鏡検査の時の写真をパソコンに取り込みプリントアウトしたものが遠藤先生の机の上に置いてあるとこのことでそれを一枚頂く。

夕方に「もう一度伺います」といってあるので遠藤先生に会ったときに本日の内視鏡の分を頂こうと考え、とりあえず、消化器科を去り、Yの見舞いに行く。 麻酔が効いているのか疲れた様子、意識もあまりはっきりしない。 ちょうど昼食時だったので食事を食べる。 
「おなかがすいていた」とのことで量的には結構食べているので安心する。 逆に検査後にこんなに(常食)を食べてしまって良かったのかと心配になる。

私たち一時帰宅。

昼4:00   主人→遠藤先生に連絡
主人  :本日の内視鏡検査の写真のコピーと先生の所見を頂きたいと思いますので今から伺います。
遠藤先生:申し訳ないが今日の分は勘弁願いたい。
主人   :約束が違います。 ビデオも撮っていないし、今朝の話では、パソコンに取り込みプリントアウトしたものを頂けるという事ではなかったのでしょうか?
遠藤先生:先ほどお渡しした前回の分のプリントアウト1枚で事足りると思います。今日の分を持っていって他の先生に見せることについて何か意味があるとは思えませんが・・・・
主人   :出来るだけ正確なものが欲しいと思うのは当然です。何とかよろしくお願いします。
遠藤先生:・・・・・わかりました。 取り込みに時間がかかります。一時間後きてください。あと、所見に記入する為、セカンドオピニオンを依頼する病院名、医師名を紙に書いて来て下さい。

それから一時間後  がんセンター到着。総合受付カウンター女性に遠藤先生を呼び出してもらう。
数分後先生が来られたが、ほとんど目を合わせずいきなり
「今日の分、原本を持っていってください。借用書を書いてください。あと、依頼先の病院名、医師名を教えてください。」
(結果的に内視鏡写真についてはコピーではなく原本を5枚借りるという形になる。依頼先の病院名、医師名を書いた紙を渡し、約10分後所見(紹介状)を頂く。)

主人    :お手数おかけいたしました。 ありがとうございました。
遠藤先生 :はい (足早に去っていく。)

一度帰宅。

Yに夕方の分のお弁当を渡し忘れもう一度ガンセンターへ行く。
玄関からYの病室までの間の階段の上のほうから、遠藤先生と思われる声で「東病院に紹介状を・・・」と誰か他の医師と話しているのが聞こえた。 きっと私たちのことを話していたのだろう。

病室に入るとYは眠っていたのでお弁当を置いて帰ろうとしたとき、遠藤先生が病室へ入ってきた。
Yを起こすように

遠藤先生 :Yさん今日はお疲れ様でした。 (今日の検査の報告)今日見たところではメインが1/2周、3〜4センチ程度。基本的に内視鏡的粘膜切除術でいけると思います。 担当した内視鏡の川元先生は取り除くといったら必ず取り除くまでやろうとする人ですから、以前話した3つの方法の推薦順位にはかわりありませんが、私はあくまでも外科医ですので・・・・
Y      :粘膜切除術の場合麻酔は今日と同じくらいですか?
遠藤先生 :今日のよりはもう少し強い麻酔になると思います。今日の場合はYさんも頑張っていて少し余裕がありそうだったから麻酔はなるべく控えました。組織検査の結果は、明日、または、来週早々には出ると思います。

私たちは病院を後にする。
私は明日東京へ行くための航空券を予約したり、借用したフィルムなど忘れないようにバックにつめる。

5月25日

朝7時15分発 東京行き スカイマーク
モノレール、電車を乗り継ぎ東病院へ到着。
窓口の女性に医療相談できたのだがなかなか理解してもらえず、やっとのことで大津先生の診療前に通してもらう。

約束の時間がきた。
部屋に入ると大津先生はこちらが持って来ていた資料(CTなど)を広げて見ていた。

私は今までのYの経緯や病状について説明をした。
また大津先生もYの病気に対して説明をしてくれた。 内容は以前大学病院などでしていただいたような感じであった。

大津先生 :これくらいですと内視鏡粘膜切除術ですね。 うちの病院だとその方法でいってます。
私     :では、内視鏡でいけそうなんですね。
大津先生 :はい、そうです。

この他に先生は、点存している範囲が広いので一度で取るのは難しいが何度かに分けて粘膜を切除するという形になるだろう。そして、この状態でいきなり抜去手術をするのは、考えられない。 一度とってしまうと再生できない部分ですから。 放射線+化学療法をするにはまだ浅い状態なので粘膜切除が望ましいと。

この報告を電話にてYや、主人にした。
これで、Yの意思及び家族の意思の一致により内視鏡的粘膜切除術での治療選択がほぼ固まった。
しかし、九州のガンセンターでの粘膜切除術は大丈夫なのだろうか?と不安にも思っていた。現状で食道抜去手術は早すぎる。 食道はひとつしかなく、当然再生するものではないと先生もおっしゃっていた。 食道ガンの根治性は高いかもしれないが万が一他にも転移があった場合(リンパなど)は、同じ結果となってしまう。 回復期間や、身体的に与える影響は大きいだろう。さて、誰に手術をやってもらうべきなのだろうか?

5月26日 私は福岡に戻り、結果報告とともに不安点などを話した。
5月27日

Yより連絡あり、先日の内視鏡の結果が出たようで、家族を含めて話があるとのこと。

遠藤先生、川元先生、Y、婦長がおり、説明を受ける。 婦長参加の理由としては、これまでの内視鏡検査の回数、検査時のビデオ録画、ダビングなどの経緯を婦長自身不審に思っており、今回説明において不明点を残さないよう立ち会うということの要請で来てくれた。
説明はほぼ川本先生から出遠藤先生は補足的にうなずく程度。 川元先生は終始にこやかな明るい笑顔で

川元先生 :メインが1/2周3センチ程度、そこから上に2つ、下に2つ程度。白い点があるが、これは組織検査の結果悪性ではない。 メインは当然、粘膜切除を行うがそれ以外の悪性ではない白い点については今回切除しなくても良い。 これなら十分やれますよ。

Y     :メイン以外のものが後々悪性になることもあるのでは?
川元先生:その可能性もあります。 現状でその粘膜までとる必要は無いと思いますが、とれといわれれば数回に分けてとりますよ。

私    :以前先生は食道でこんなに範囲が広く点在している例はやったことがないといわれましたが、自信はあるのでしょうか?

川元先生:内視鏡的粘膜切除術について胃や大腸など一般的に行われている。 確かに食道については数が少ないが任せてもらうしかない。
(基本的に患者が「取ってください。お願いします。」という姿勢を見せ、お願いする形で無い限り、「医師としては何も出来ませんよ。」とのこと)

これについては遠藤先生も大きくうなづいた。

婦長  :実際Yさんと同様、同程度の食道ガンで川元先生がやった症例数はどのくらいですか?
川元先生 :一般的な胃や大腸については多数やっていますから、大丈夫。ただ食道に関してはやった事例は無い。 24日の検査の際見させてもらいましたが、十分やれると思う。後は、患者が信じて身を預けてもらうしかない。

私たちは部屋を出た。
Yを含めみんなでいろいろ考えた。 しかしYとしては、出来るなら九州で移動せずに治療を受けたいという気持ちもあったし、東病院がどのくらいの症例数なのかも私から聞く話だけしかないので決断も出来ずに、みんながいらいらしていた。

5月28日

Yより電話があった。
東病院だといますぐ切除してくれるのかどうか聞いて欲しいと。
(でも、まだいくのかいかないのか決まってもいないのに、いつぐらいに予定を取れそうなんですか?なんて私は聞けそうにも無いなぁ・・・とおもっていた。)
しかし、東病院へ電話をかけ症例数を聞いてみることにした。
年間に何人受けてどのような結果があるとは正確には調べてみないとわからないがほぼ毎日行われている治療だと聞かされる。

その後大津先生にも連絡をした。 水曜日も大津先生の担当ということで。ご本人を連れ、朝食抜きで30日の朝に来て下さいと言って下さった。

Yも問診にきた遠藤先生に質問をしたらしい。
(遠藤先生は九州ガンセンターには半年前にきたらしく、川元先生は今年の4月に赴任してきたらしい。)

@ 今まで内視鏡で食道の粘膜をとった人は先生がきて何人位いるのですか?
私が来てからしかわかりませんが、一人もいません。

A 先生の家族、そしてご自身であればどうされますか?
先生を信じるしかないでしょう。 それに僕も明日ガンになるかもしれません。 手術をしたからといって再発しないというより、他の部位がガンになるのは防ぎようがありません。

私たちはどうすればよいのかわからなくなっていた。 私とすれば、症例数があるほうがやはり事故がおきても処置が出来るのだろうし、東病院へいって欲しかったが、あとは本人が「行きたい!」という気持ちが無ければ治るものも治らないと思う。水曜に行くとは言ったがそれを決めるのは本人だから、私はYに説得するのは止めた。

5月29日 タイムリミットは近づいていた。 Yより朝から何度か連絡があったが二人ともイライラしていて、どっちつかずの返事に落ち着かないようで切ってはかかってくるというのを2,3度繰り返していた。
私も半分あきらめかけ、東病院には縁が無かったのかと思い出していた。
そんな時昼も1時半を回ったころまたYより電話が鳴った。
「やっぱり、これから東病院へ行って見ようかなぁ?」
その言葉を聞いて「わかった、私も一緒に行く、飛行機手配して3時半に迎えに行くから待ってて」と。
それから当日予約で飛行機の手配を済ませ、洋服を詰め込み、病院へ向かった。
Yもパジャマ以外の洋服ひとつを着て、バックひとつで待っていた。
夕方6時の飛行機に間に合うように車を急がせた。
車の中でYは東病院に行くきっかけとなったいきさつを話し始めた。入院中に以前顔を合わせたことのある放射線で来ていた奥さんと昼食後散歩をしていたらばったり会ったらしい。
そこでYはこの話の流れを話すと「私だったらぜったい遠くてもその病院にいくよ。あなたはどうして行かないの?そこで出来ると言われているのに・・・・もったいないよ。」と。
そこでYもどうしていかないのか?と思い出し、急に行ってみようと思ったらしい。
その人に出会わなければもしかしたらまだ今ごろ散歩をしながら最終便の飛行機の時間までいらいらしつづけていたのかもしれない。

18:00発 東京行きスカイマーク
上野で軽めの夕食を取り明日に備え眠りにつく。 しかし、あまり寝付けない。


5月30日

柏駅より通学ラッシュのバスにのり東病院へ到着。
手続きを済ませ大津先生から呼ばれるのを待つ。

10時ごろ 診察室に呼ばれ カメラを飲んでくるようにと指示。
(Yの感想によるとこちらの先生は手際がよく、カメラも九州よりは飲みやすかったと。麻酔の感じも腕に刺したままだったので切れることが無く楽だったといっていた。)

再び診察室前で待つ。
大津先生より呼ばれ再び診察室へ。
大津先生 :この分だと内視鏡で取れますよ。 しかし、今のところ日にちは空いておらず3週間から1ヶ月くらい後になりますね。
私たち :一ヶ月後ですか・・・・
大津先生:でもちょっと待ってください。 キャンセルがあるかどうか聞いてみます。
(内線で病棟や、カメラ室に電話をしている様子。)

大津先生:6月6日入院で、7日に切除ならいけそうですがいかがですか?
私たち  : はっ、はい。お願いします。
(お互いに顔を見合わせ、ほっとする。)
それではよろしくお願いします。と診察室を後にする。
支払いを済ませ、バスに乗り込んだ。
プラスして九州がんセンターの退院手続きを電話にて済ませた。

Y    :あんなに小さかった娘が私の命を救ってくれるなんてね。
私   :・・・・・
(なんだか、治ったかのような気持ちにまでなったこの日、あまりの安堵感にバスの中で泣けてしまった。)

それから空港に向かい又福岡へ戻る。
そしてがんセンターへと送って行く。

5月31日 約20日間の検査入院などをした九州ガンセンターを退院する。
    そのままYは東病院へ入院するまでの間大分に久々に帰る事にする。
6月5日 明日の早朝便の飛行機に私と一緒に乗るためにYが大分から福岡へ来る。
6月6日

7時15分発  東京行き スカイマーク 
いよいよ来たこの日。 飛行機の中の機内食マフィンを食べる。
電車を乗り継ぎ11時ごろ東病院へ到着。
病棟に入り売店に行ったり、初めての食事をスカイレストランで食べたり、もしかしたらちゃんと食べられるのは今だけかも?という感じで、わりとたくさん食べていた。

夕方内視鏡担当の吉田先生がやってくる。 この方が主治医となる。
明日の切除は2人いるために午前中か、午後になるのかまだ未定とのこと。

私はホテルへ。

6月7日

朝食抜きとのことで、朝からすることも無く、緊張の様子もあまり無くただ先生からの連絡を二人で待つ。
昼前に看護婦さんに聞いてみるが、多分午後一番だと聞かされる。
昼1時過ぎ看護婦さんにより1時45分からと聞かされ少しそわそわする。
1時15分 40分ごろになったらトイレを済ませカメラ室へとの指示。
1時30分 そろそろ準備をお願いしますとの指示。早めに書類をナースセンターで受け取りカメラ室へ。
1時40分 カメラのベットに横になる。 私は不安で外から見ていたが「まだ始まりませんので家族の方なら中へどうぞ」といわれ、用意を横目に、Yの横で雑談をする。
いろんな器具が並ぶ中どうなるのだろう?と思っていると「そろそろ、ご家族の方は外に出てください。」と言われ、私は「頑張ってね。」という言葉を残して、Yの横たわるベットを後にする。

それから、今から内視鏡的粘膜切除が始まったことを何人かの人に連絡を済ませ、紅茶を一缶飲み干し、またカメラ室のある2階へ戻る。

まだまだ2時。 週刊誌を広げるが、文字が目の中に入ってこない。 Yの入っているカメラ室から一番近いソファーに座り、早く扉が開かないかと待っていた。
カチャカチャという音と、電気音それだけが私の耳の中に入っていった。どのくらい時間がたったのかわからないくらいその音だけを聞いていた。

15時 カメラ室から先生が出たり入ったり、もうすぐ終わるのかなぁ?と思いながら呼ばれるのを待つ。
15時10分  完全に扉が開き「家族の方どうぞ」といわれ、暗い部屋の中へ入る。
左を下に横たわっていたYは涙と、よだれ?にて顔がはれており失神したかのような感じだった。
意識はあったので「よく頑張ったね」と頭をなでた。
その前で先生は「これがとった細胞です。」と、4センチ×4センチくらいの発泡スチロールの針山のようなものにピンで刺さった7つの'がん'を見せてくれた。
先生 :これで全部7つとりました。 一応全部取れたと思われますが、これから組織検査に出します。
私   :はい、そうなんですか・・・(何といってよいかわからなかった)

担当の吉田先生と他にあと2人ほどの医師が一緒にいたようだが、吉田先生は切除についての書類を書いていた。
担架に乗せてYを病室へ移すことになった。

病室のベッドに横たわり看護婦さんが去っていった。
Yは5分おきくらいに切除した部分がキューッと痛むらしく痛み止めがあるかどうか聞いて来てと言われ、私はナースセンターへ聞きに行った。
「Yは、痛んでるようなのですが、痛み止めはありますか?」
「先生に聞いてみますのでお待ちください。」といわれ、私は又病室へ戻った。

数分すると看護婦さんが点滴に痛み止めを入れてくれた。
それまでかなり痛がっていたが1時間後くらいにだんだんと痛みも遠のいていったらしく、楽になったようだった。
7つ切除するということは7回カメラを出したり入れたりすることで、かなりYは参っていたらしく、吐き気や、げっぷを押さえるのが大変だったという。 こんなことならもう、タバコもお酒も飲むんじゃなかったと後悔していた。
しかし出血は少なかったらしく、経過は良さそうではあった。

明日の朝カメラを飲むまでは、絶飲食なため点滴をさしたまま眠ることになる。
眠れないかもしれないから、睡眠薬を念のためもらってきてといわれたので、ナースセンターにその旨を伝え私は又ホテルに戻る。


6月8日

午前中朝一番でカメラをしてくれたらしく私が到着する前に終わったらしい。
出血も少なかったので経過良好とのこと。
トローチをもらい一日ぶりに口に物を入れた。
私もキャンディを2種類買っていっていたが、それも喜んでたくさんなめていた。

昼頃点滴をはずしてもらい、少し楽になったようだった。
片側を内視鏡でえぐっているために右を下にして眠るのはちょっと無理なようで、常に左を下にして横になっていた。

夕方、重湯が出てきた。ほんとに重湯で、お米のとぎ汁をとろとろさせたくらいのものと、マッシュポテト。それでも飲むにはつらそうで一口食べては胸をさすり、という感じの繰り返しで食べつかれたようで半分くらい食べて残す。

6月9日 昨日より顔色も良くなってきていた。
3分かゆとのことで少しは食事らしくなっていたが離乳食という感じ。食べたい気持ちはたくさんあるようだが飲み込むのに時間がかかるためやはり半分くらいで終わる。
売店にてヨーグルトや、プリンなどを買い込み、つるんとした冷たい感じが気持ちよいらしい。
天気も良かったので車椅子にて東病院を散歩した。 
6月10日 5分かゆになった。 しかし、塩分がないために食べつらい様子。それでもなんとか全種類に手をつけ半分ちょっとは食べた。少し飲み込みやすくなったからと無理して飲むとそのあとがちょっと痛むらしい。冷たすぎるものも痛いのでと冷蔵庫に冷やさずペットボトルのお水やお茶。相変わらずキャンディをたくさん食べる。シャワーを浴びたり、院内を自足歩行で散歩できるようになり身体的にはかなり楽になったようだった。
6月11日

退院当日
特に何も問題なしとのことで朝から、荷物を固め、書類などをそろえる。
最終便を予約していたがもうひとつ早い飛行機に変更した。
先生からも、「22日にリンパへの転移があるかどうかの結果が出ますのでそのときに又来て下さい」と言われ、もし、大分に戻ってから出血などがあったらということで、近くの病院に紹介状を書いてもらった。
たくさんの薬をもらい、昼前に清算も済み病院を後にする。

オミノさんより心配のメールが届き、少し時間がありそうなのでということで待ち合わせる。

初めてオミノさんとお会いし、今までのことや、今回の東病院でのことを話しながら歩いた。
昼食でもと思っていたが退院した直後のYに食べられるものは限られているので、パスタ屋に入った。なんとか喉は越したようだが、やはり久々の乗り物の移動で多少疲れ気味。
あまり時間も無かったので、又会いましょうと電車で移動する中、別れた。

空港に着いて搭乗手続きを済ますともう時間で、飛行機に乗ってからは福岡まであっという間に時間が過ぎた。

ただ、現時点での不安は「もし、リンパに転移していたら?」ということが頭にあり、無事に切除出来たことは良かったが、すべてを喜ぶことはまだ出来なかった。

Yは、着いた足でまた大分へと戻り、そのまま眠りについたらしい。

6月12日 〜 少しづつパンや、野菜など食べものに気をつけながら食事をとっていく。
片付けなどは出来るときに行い、身体に負担がかからないように慎重に毎日を過ごす。
6月20日 検査結果が近づいてきて落ち着かない様子。
でも、結果を聞きに行くだけで、体力的にもまだ本調子でないことから私が代表で東病院へ行き結果を聞くことになる。
6月22日

7時15分発  東京行き スカイマーク
もう何度乗っただろう。この飛行機。
11時に予約を入れているので電車を乗り継ぎ東病院へ。
10時55分 受付を済ませ 診察室前に到着。結果を待つ身のYは心配して何度かメールを送ってくるが私も名前が呼ばれるのを待っていた。
11時50分 やっと吉田先生の声で名前を呼ばれた。
診察室に入る前、一呼吸いれてドアをノックした。
私    : こんにちは
吉田先生:どうぞ(といすに手をやる)
今回Yさんの場合は、非常に薄く、粘膜層だけにとどまっていたガンだと思われます。下層には残っておらず、したがってリンパへの転移もありませんでした。ですので、治療はこれにて終了です。
(私は、聞くことを忘れてはならないと、Yより聞くことを書いたメモを取り出した。)
私    :それでは、今後放射線などの治療などは? 
吉田先生:それは、ありません。
私    :それでは、たばこ、アルコールは?
吉田先生:ガンには、一番悪いので、やめてください。
私    :お風呂は?
吉田先生:普通に入って問題ありません。
私    :コーヒーは
吉田先生:薬を飲んでいる2ヶ月くらいはやめておいたほうが良いでしょう。

私もこれらの言葉を聞いて肩の力がすぅーっと抜けていった。

吉田先生:次回は3ヵ月後の9月にカメラを飲んでいただきますが、こちらまで来られますか?
それとも近くの病院でも可能だとは思いますが・・・・?
私    :念のためこちらの病院にて予約をお願いします。

私    :それでは、ありがとうございました。
吉田先生:お大事に・・・・

そして診察室を後にした。
書類をナースから受け取ったあと目の前にある公衆電話にて財布の中にあるテレカを手にした。 よく見てからかければよかったが残数9で、気が付いたらもうつながっていた。

私   :もしもし・・・
Y    :キャー、うわー、となにやら悲鳴のように叫びまくっている。なんだって???結果?
私   :Yさんの場合は非常に薄くて粘膜層だけにとどまっているのでリンパへの転移はないと・・・。
Y    :ほんと?ほんとにほんと?  ありがとう。うれしい・・ と、涙声。
私    :ごめん、電話きれる・・。 テレカ無くて・・・。
Y    :わかった、又落ち着いたら電話ちょうだい。  

まるで子どものように、泣きじゃくって喜んでいた。
私もこんな良い結果なら本人に直接聞かせてあげたかったと思った。

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