ガン病棟からの脱出

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新たなる勝利者たち

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最良の選択を信じて
六十四歳ステージII〜III、女性

 

半年間に及ぶ食道ガンとの戦い・・・
患者、家族が一番心の支えにしていたのはこのHPでした。
食道ガンを克服された諸先輩方、そしてこのHP主幹、オミノ様に心より
御礼を申し上げます。
また、国立がんセンター東病院の医師、看護師の方々に敬意を払うと共に
深く御礼申し上げます。


*15年4月4日
仕事中、母から携帯電話が入り「もしかしたら食道にガンがあるかも知れない」との
一報を受ける。
詳しく話を聞くと、昨年12月頃からパンを食べると「何となく食道を通るときにつ
かえる様な」違和感を感じていたらしい。
しかし、年明けの1月から3月は仕事及び趣味の予定が詰まっており、「きっと気の
せいだ」と自分をごまかしていたとのこと。
近所の内科主治医に「年齢と共に食物も通りにくくなることがある」と説得?
されたことも手伝ったようだ。
3月も終わりに近づき、やはり「つかえ感」が気になり内科主治医の内視鏡による
生検を受診した。
生検結果は4月7日に分かるとのことだが、「恐らくガンであろう」との回答があっ
たとのこと。

*15年4月7日
私は仕事を休み、実家にて生検の結果を待つこととなった。
夕方になり主治医からの連絡で「残念ながら?食道ガンです」との答えが返ってきた。
号泣する母に私は「ここからは泣いている暇など無いよ!治すしかないんだから!」
と冷静に言ったことを覚えている。
そこで私が冷静になれたのは、手元にこのHP全ページ印刷したものを持っていたからである。
母が生検を受けてから丸2日間、休日と言うこともあって「ガン治療のネットサーフィン」を
行っていた。
極めて早く「ガン病棟からの脱出」を発見し、熟読し、「もうこれしかないと!」私の心は
決断していた。
朝となく夜となく印刷を続け、本人と身内、親類に説明すべく準備をしていたのである。
お陰でいまだにその時の「パソコン腰痛?」に悩まされている。
 
本人は絶望感も手伝ってか、私の意見以外は耳に入らない放心状態であり「あなたに
任せる」という返事であった。
しかし身内には説明を繰り返すものの、インターネットでの主幹の存在を実感できないのか、
説明に大変苦慮したことを覚えている。
主幹のご指摘通り「日本の医者はガンを切りたがる」と言うことが如実に蔓延しており、
それが一般の「ガン素人」にも植え付けられている。
私も実際、ガン治療について複数の知人に相談をしてみたが10人中9人が「大学病院で
外科手術しなきゃダメでしょ」と言う答えが返ってきた。
僅か1人のみ「親戚がガンで手術しても取り残しがあって、また再発して苦しんでいる
から、切らずに済むなら切らない方がいいよ」と言っていた。

*15年4月9日
国立ガンセンター東病院初診外来。
早朝よりDr大津の紹介状を携え、受付等を済ませる。
内科受付にて「Dr大津の初診外来受診は難しい」との経緯はあったが、お会いすること
が出来た。
検査予定と入院説明、次回検査予約、入院予約等の説明を受け初診は終了する。
採血、採尿、心電図検査を受け病院を後にした。いよいよ食道ガンとの戦いが始まっ
たことを実感する・・・

*15年4月11日
国立がんセンター東病院再診外来。
腹部CT検査、上部通常内視鏡検査(生検含む)を行う。
内視鏡検査は万人が辛いと言うところだが、ここはガンセンター内視鏡部。想像以上
に本人も辛さを訴えなかった。
この日、内視鏡待合室で「食道ガンなのだが、肋骨全部切断して食道全摘するってい
うからその病院逃げてきたよ!」とお知り合いの方に豪語?している方がいた。
その後この方は母の戦友として、半年間お付き合いすることとなるとは考えもしなかったが・・・

*15年4月14日
国立がんセンター東病院再診外来。
腹部レントゲン検査(バリウム)を行う。今日からは姉も参戦し、姉弟合わせての
半年間に及ぶ二人三脚が始まる・・・
その後、Dr大津から正式に病状と治療選択の説明、入院治療経緯の説明を受ける。
Dr「食道ガンです。ステージはII〜IIIの進行ガン。腫瘍は4p。転移は今のところはないようです」
私としてはステージが0〜Iを願っていたので、少々落胆したが「日本一の病院で最高の
治療をするのだから心配ない」と考えていた。
Dr「外科療法と放射線化学療法の長短所は説明の通りです。どちらで治療されますか?」
私は迷わず「こちらの治療を受けるためにこの病院へ来ました」と答えた。即ち放射線
化学併用療法である。
母は無理もないが、改めて食道ガンを宣告され大変落胆しているが「もう治すしかない!」
と言う私の言葉に耳を傾け始めていた。
明日からの入院が可能となり、担当医師は入院時に決定するとの説明を受け病院を後にした。

*15年4月15日
昨日からの入院準備もそこそこに、荷物を携え病院到着。
ベットが未だ空かず2時間ほど待機したが、その後ベット周りを姉と共に整え、施設
や備品のチェックをしておいた。
放射線化学療法に備えた採血と2時間採尿を行う。
夕刻になり、担当医師であるDr武藤から病状の説明と治療計画、永い治療を頑張るよ
うにとのお言葉を頂いた。
ただ残念ながらDrより「CT検査の結果、腹部リンパ節に腫れがあり、ガンの転移であ
るならば極めて稀である」とのこと。
またしてもショックであったが、Dr「何れにしても抗ガン剤を投与しますので、経緯
を見ていきましょう」とのこと。
このころは未だ「ガン素人3級」の私であったが、「そうか、これも放射線化学療法
の長所だ!」と実感したことを覚えている。
(ちなみに現在は「ガン素人1級、消化器部門」と自ら錯覚している。)
その後、病室にもう1名の担当医師であるDr堅田が見え、病状説明や治療に対する励
ましのお言葉を頂いた。

*15年4月16日〜20日
病室にて治療待機となる。
これから始まる、半年間に及ぶ放射線化学療法の行く先は、この時点では未だ考えも
せず兎に角無事入院できたことに安堵していた。
母も入院生活に慣れるべく心の準備や、食道ガン諸先輩またその他のガン患者さんと
の交流に少しずつ身を置いていった。
この時の交流が未だに続いているという、やはり戦友たる所以と感じた。

「ガンはその病魔に冒された者にしか分からないから!」・・・。
「理屈なんて聞きたくない!」
「頑張って!と言う言葉が一番カンに障る」
「健康な人には絶対わからないよねえ〜」・・・  なるほど実感です!!

*15年4月21日〜5月13日(第1クール)
抗ガン剤投与開始。
・5FU−550ml(24h)×10回   ・CDDP−55ml(2h)×2回
放射線照射開始。
・2Gr×15回

3日目より制吐剤(プリンペラン)の副作用がでる。
本来ならば抗ガン剤の副作用を抑えるための投与であるが、本人には合わなかったようである。
「食欲低下、倦怠感、いたたまれない感じ」を訴えるので、看護婦さんに申し出た。
Drの許可で以降は使用しないこととなった。
その後は抗ガン剤の影響が少しずつ出始め、「食欲不振、味覚異常、便秘、下痢」が現れた。
味覚異常は顕著で、「お粥に醤油をたっぷりかける」「何でも味付けを濃くする」
といった感じであった。
主幹のご指摘通り「水分補給」は暇さえあれば本人に意識させ、あらゆる飲み物を用意した。
また、「食べたいものが毎日コロコロ変わる」というこれも味覚異常なのか、徹底して姉と共に
本人の希望する物を揃えて対応した。
3週目には抗ガン剤も外れ、ようやく第1クールの終了を迎えることとなる。
予定通り5/13一時退院。

*15年5月20日
国立がんセンター東病院検査外来。
採血、CT検査、内視鏡検査の後、Dr武藤による診察となる。
内視鏡検査の結果、「ガン細胞は50%縮小」しているとのこと。
内視鏡での写真を拝見させていただき、素人の私でも明らかな縮小を見ることが出来た。
しかし、患者本人は「満面の笑み」とはいかず、食欲不振と胃の違和感があることもあり
戦いは未だ続くと覚悟しているようであった。

突然、Drから「白血球が500に低下してますね」とのご指摘。
「ショック症状及び感染の危険があるのでこのまま入院して下さい」
なんと緊急入院である。
母は診察室からその足で個室の病室へ軟禁?となってしまった。
私は取り急ぎ実家へ車を走らせ、入院準備を整え戻って来るという状態であった。
白血球上昇のための注射を行い、感染に気を使う入院生活をその後一週間続けることとなった。
微熱のあるときは深夜まで担当のDr堅田が注意を払って下さる状況であった。
5/27白血球が25.000に上昇した事を確認し、再び一時退院することとなった。

*15年6月2日〜23日(第2クール)
緊急入院があり、予定がずれ込んだ形であるが本日より入院。
白血球も10.000をキープしているということで、明日からの治療の準備(採血、採尿)が進んでいった。
抗ガン剤投与開始。
・5FU−400ml(24h)×10回    ・CDDP−40ml(2h)×2回
 (前回、白血球低下を発症した為、抗ガン剤は何れも75%に減量)
放射線照射開始。
・2Gr×15回

6/19午後より胃のつかえ感がひどくなり、食事が摂れなくなってきた。
勿論抗ガン剤の副作用も体内に蓄積してきており、母から「食欲」と言う概念は全くと言っていいほど
無くなっていた。
この時もまた姉と私で「受け付けられる食物」と「受け付けられる水分」を用意して対応する他無かった。
また放射線治療も終盤を迎え、食道と胃に「致し方ない影響」を与えているようであった。
この時母に繰り返し呪文の如く「抗ガン剤という猛毒でガン細胞を破壊して、放射線でガン細胞を
焼き殺しているんだから、その辛さは交換条件なんだよ。もう少しの辛抱だから」と
本人の辛さも体感していないのに、「空励まし?」し続けていたことを覚えている。
それ以降は抗ガン剤の点滴を見るたびに「猛毒また入るね」が口癖になってしまった。
抗ガン剤を母に「薬」と認識させないことが一つの逃げ道であったように思っている。

3週目には抗ガン剤も外れ、6/23最後の放射線照射を完了し、白血球の低下はあったが
予定通り一時退院することとなった。

*15年7月8日
国立がんセンター東病院検査外来。
採血、CT検査、内視鏡検査の後、Dr武藤による診察となる。
内視鏡検査の結果、Dr「ガンは消えていますね」とのお言葉!!!
私は耳を疑ったがDrから内視鏡の写真を見せていただき、確かに「4cmの憎い腫瘍」が
素人の私でもハッキリと無くなっている事が分かった。僅かに「小豆大」の突起があるのみ。
今回は本人も久しぶりに「笑顔」を見せたが、私は心の奥底で既に「勝利宣言」をしていた。
Dr「ガンは消えていますが、目に見えないガン細胞が残っている可能性がありますから
予定通り第3クールを行いますが、頑張れますか?」と気遣って下さった。
母は「先生もう終わりで結構です」と言わんばかりの表情であったが、私が間髪入れず
「先生お願い致します」と答えていた。

本人は慢性的な食欲不振と、食道及び胃の違和感に襲われており、既に実質8週間になる
入院生活を耐え抜き「もう終わりにしたい」と言う気持ちを私も充分察していたが、ここでやめたら
「元の木阿弥」となり、本人は辛いが放射線化学療法の「畳みかけるようなガン細胞への攻撃」は
これがラストチャンスであると言うことを繰り返し母に話したことを覚えている。

*15年7月14日〜22日(第3クール)
第3クールからは入院も一週間強と言うことで、姉と私も以前より安堵感を持っていた。
また「だめ押し治療」と勝手に思いこむことで、気持ちを楽にさせていたのかも知れない。
明日からの治療に備え、採血、採尿を順次行っていった。
抗ガン剤投与開始
・5FU−800ml(24h)×5回    ・CDDP−80ml(2h)×1回

今回からは抗ガン剤投与のみの治療となるが、前回の倍量投与となる。
第2クールまではそれ程気にならなかった「抜け毛」も多くなってきた。
勿論「食欲不振、味覚異常、倦怠感、下痢」は相変わらずその猛威を振るっていた。
最後に「吐き気」が通常よりもきつく現れたが、これは看護婦さんに対処していただいた。
母はこの第3クールに耐えていたが、担当のDr堅田からその重要性と詳細なご説明(転移・再発)を頂き
納得の上日々を過ごしていった。7/22予定通り一時退院となった。

*15年8月5日
国立ガンセンター東病院検査外来。
採血、CT検査、内視鏡検査の後、Dr武藤による診察となる。
内視鏡検査の結果、Dr「ガン細胞は無くなっていますね」とのご回答。
内視鏡生検も検査のたびに行っているので、ガン細胞は発見されていないとの事。
内視鏡写真を拝見すると「最後の小豆大」も消えていることが確認できる。
私は前回で「心の勝利宣言」をしてしまっているので、「安堵感の重ね塗り」をさせていただいた。
母も勿論安堵感に浸っていたが、時間的に「体調の復調」は当然あるはずもなくDrのお言葉に耳を傾けていた。
Dr「これで治療は終わりにしてもいいですが、もう一回頑張りましょう。だめ押しです。」とご指示があった。
母は前回同様顔をしかめたが、「第4クールまでは頑張る」「この治療はラストチャンスである」旨、
姉と私で呪文の如く本人に覚悟を施していたので、次回入院予約を済ませ東病院を後にした。

*15年8月18日〜26日(第4クール)
いよいよ最後の入院治療である。
この頃になると私も国立がんセンター東病院を隅々まで勝手に熟知し、車の走行距離も初診外来から
10.000キロに近づきつつあった。タイヤの溝もかなり減ってきた気がする。
母も最後の根性を出して採血、採尿をいつもの手順で進めていった。
抗ガン剤投与開始
・5FU−800ml(24h)×5回     ・CDDP−80ml(2h)×1回

第3クール同様の治療計画である。
「食欲不振、倦怠感、味覚異常」は日々の増減はあるものの、引き続きお付き合いしていた。
「抜け毛」のピークを迎えつつあったが、髪の毛は薄くなる感じはあっても「ごっそり無くなる」
というものでは決してない。本人も「治療が終われば元に戻る」事を理解している。
気持ちの上でも「今回の治療が終われば、入院は終了する」と言うことが心の中で大きな支えと
なっていたのは本人だけでなく、家族も同様であった。
「ガンの知識や副作用の予測、治療経過」をそれなりに経験してきた本人と家族は以前に比べると
かなり進歩したのではないかと第4クールは実感した。
母も担当のDr堅田から再び励ましを頂き納得を深めていった。
「だめ押し、だめ押し」と私も心に言い聞かせ、母に呪文を唱え、ようやく退院を迎えることとなった。

*15年9月9日
国立がんセンター東病院検査外来
採血のみ受診。Drの診断により白血球は正常値にあるとのご回答。

*15年9月19日
国立がんセンター東病院検査外来
採血、CT検査、内視鏡検査のみ受診。本日診察は無し。
いよいよ次回、「確定診断」の日を待つばかりとなった・・・。

*15年9月30日
国立がんセンター東病院確定診断外来
採血を早々に済ませ、Dr武藤の確定診断を受診することとなる。
Dr「CT検査及び内視鏡検査によるガンはないようです。これで完治と言うことになります!」
本人、そして家族から半年ぶりの「笑顔」がこの瞬間に戻った。
Dr「完治をしても30%位は再発して戻られる患者さんがいます。検査をしっかりと続けて
  万一どこかにガンが見つかっても、早期であれば治癒することが出来ますから
  また頑張って検査を続けていきましょう!」とのお言葉を頂いた。
勿論以前から本人、家族ともその覚悟は固めていたので、Drのお話に冷静に耳を傾けていた。
入院中も母に気の毒ではあったが「東病院には後4年半通うのだから、ゆっくり構えようよ」と
繰り返していたことを思い出す。  
早速1ヶ月後の検査ご指示を受け、Drに半年間のお礼を述べさせていただき診察室を後にした。
特に「感慨深い」との感触は持たぬよう、がんセンターの建物が車窓より見えなくなっていった。  


*追記
本文では今後食道ガンを患った方に少しでも参考にしていただければ幸いと、国立がんセンター東病院での
治療(闘病)経過を中心に寄稿させていただきました。
オミノ主幹や諸先輩方と比較していただければお分かりの通り、ガン患者の病状は千差万別と思われます。
あくまでも担当医師、看護師の方々のご指示で日々の治療を行って参りました。
従いまして、一時退院後の家庭での療養生活や家族、親類、知人の協力及び対応等は省略いたしました。

国立がんセンター東病院での担当内科内視鏡部Dr、放射線科Dr、複数携わって下さった看護師の方々の
「母の命を助けて下さった医療とご対応」も詳細に記載したいのですが、皆様の病院に於かれるお立場と
HPの公共性、他の大学病院等、医療関係に携わる方との微妙な繋がりを考慮し、割愛させていただきました。
また、入院の度に病室にてお知り合いになる患者(戦友)さんとの数え切れないエピソード。励まし合い、激励
先輩患者さんのご教授、全て母にとっては大切な「治療薬」でありましたが、戦友とは申しましても皆様の
プライバシーを考慮して、合わせて割愛させていただきました。ご理解の程お願い申し上げます。

ただ一つだけハッキリ申し上げることが出来ます。
それはこのHPと巡り逢うことが出来なかったら、母の命はどうなっていたかは分かりません。
また、入院中もこのHPを数十回読み直し「主幹がこの様におっしゃってるから大丈夫」
「先輩方がこの様におっしゃってるから、こうしてみよう」と気の迷いや軌道修正をしたものでした。
そしてオミノ主幹の御指南通りに即行動した結果、「国立がんセンター東病院」「放射線化学療法」と巡り会い、
母にとっては「最良の選択」であると繰り返し実感してきました。

国立がんセンター東病院には全国から飛行機、新幹線、電車、高速バスを乗り継ぎ治療、入院にいらしている方、
近くのビジネスホテルを常宿にして患者さんの付き添いをされている方が多くいらっしゃいます。
私の実家は東病院まで全線高速道使用で、約1時間の距離ですので「超近距離」の部類に入ると思います。
私は自宅から東病院まで毎日向かうこともあって、全線一般道使用で約2時間の距離でありました。
しかし、オミノ主幹と御連絡を取るまでは身内の中に「遠いから厳しいな」という考えもありました。
ガン治療は「遠い・近い」の問題ではないと感じています。まさに主幹のご指摘通りです。

個人個人の身体、そしてガンの症状は様々且つ複雑であると考えています。
しかし皆様にとって「最良の選択」をされることを心より熱望すると共に、御拝読のお礼に変えさせていただきます。

page uploaded 2003/10/4

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