
TOP
ホーム
序章
食道ガン発見
国立がんセンター中央病院編
慶應病院編
東京女子医大編
国立がんセンター東病院編
あれから1年
2年が過ぎた
そして3年
4年
生還
6年目
主幹プロフィール メール ポリシー
リンク集
新たなる勝利者たち めざせ戦うガン患者 供養塔
病院格差 手術しないで半年でがんが消えた! |
セカンドオピニオンを通じ放射線化学療法を選ぶ また、私は治療を通じて二つの反省をすることになった。一つは自分自身の治療実績を通じて西洋医学不信から放射線化学療法は有効であることを発見したことである。二つ目には、西洋医療不信の裏返しであるが、これも治療を通じて代替医療過大視していた意識を大幅に修正したことである。以下に、若干の説明を加えよう。 |
健康優良児が突然にがん患者に 現役時代から人間ドックなどの健康診断では常にオールAだった健康優良児は、テニス歴45年というスポーツ好きの優良爺となっていた。定年後は、非日常の世界を求めて年に数回の海外旅行を主に砂漠などで楽しんでいた。 この年(’03年)も人間ドックを受けた直後にリビアの砂漠へ岩絵や線刻画を求めて旅立ち人一倍、歩き回ったものだ。ところが3週間の旅から帰った私を待っていたものは、直前に受けた人間ドックの結果、胃の再検査を受けるように、という1通の通知であった。 再検査の結果、胃カメラに写っていたものは拳(こぶし)大もあろうかという腫瘍であった。1週間後、担当医師から呼び出しがあり、悪性でしかも進行しているので、当病院では手に負えない。したがって、隣接する都立F病院へ手続きをとってあるので、この足で行ってほしいという。 予約なしで、また、この足で、という尋常ならない感じを抱きつつ都立F病院の医師を訪ねる。医師は「お待ちしていました」の次に発したことばは「がんです。来週にも切除手術をします」だった。その日から全身の精密検査を行い、結果を1週間後に聞いた。 精密検査の結果は胃がんの他に食道にもがんがあるため、同時に食道と、ここから転移した胃がんも切除するという。これまで胃だけは失っても仕方ないか、と思っていた私はとっさに「手術は止めます」と言っていた。自信があっての発言ではない。私が私自身でなくなる、そんな人生は考えられない、と直感した挙句の発言だったのだ。 直後から、インターネットを駆使して猛烈な勉強が始まった。まず、セカンドオピニオンをどこで求めたらいいか。治療するにはどこの病院がベストか、などだった。その結果、偶然見つけた「オミノサイト」には「切らないで直す放射線化学療法」の本人の体験談とその追随者たちの成功例が載っていた。そして、その病院が国立がんセンター東病院(柏市)であることも判った。これだ、と決心するまでには半日しか経っていなかった。 |
半信半疑のまま、国立がんセンター東病院へ 若い頃から西洋文明至上主義者だった私はいつの間にか、懐疑派に変わっていた。これは医学においても同じで、西洋医学一辺倒の日本の医学には大きな疑問を抱いていた。しかし、病気に縁のない健康優良児にとっては、あまり関係のないことであったが、突然に自分自身の問題として向き合うことになったのだ。 西洋医学に懐疑的ということは、代替医療の見直しをも意味する。私は、入院してすぐに医師との面談に先立ち、書面で不安ごとをしたためて提出していた。その内容は、代替医学と平行して治療を受けたいが、認めてもらえるだろうか、ということであった。 担当の遠藤医師は、取りあえず当病院の方針で一通りの治療をしてから検討しましょう、ということになったと記憶している。また、病院側としては治療成績を研究しているが、そこへ代替医療のバイアスがかかるとデータの正確さに支障をきたすので、止めてほしい、というのが本音だったと思う。 西洋医学に対する不信感の原因は次の事実からもきていた。実の母は若いとき看護婦であったが、晩年、肺がんを患い入院させたが自分で手続きをして退院してしまった。理由は、母の若い頃の大学病院の実態では患者は単なる物に過ぎず、そこでは、実験素材として扱われる実態を見ていたからだ。そういうものか、と納得せざるをえなかった。 |
半年の成果は「奇跡的」回復 04年初頭から半年かけた治療は、抗がん剤治療を4回(4週間に1回、5日×24時間)、そして、最初の抗がん剤治療終了と同時に始まった放射線治療(1日1回×30日)が終わり、現在は自宅療養中である。この間、人間ドックから現在にいたるまで、殆ど自覚症状がないままに、従って苦しむこともなく推移している。 がんは食道(2〜3ステージ)と胃のリンパ腫瘍(3〜4ステージ)の2ヵ所という、医者からみれば立派な重症患者である。にも拘らず、自覚症状がないのは、がんの形状、その位置が良かったとの説明であった。副作用といえば、食欲不振による体重の10%減少で標準体重にまで減少したが、これは治療によい結果を与えたようだ。そして、他人に比べて白血球と血小板の顕著な減少くらいで、苦しんでいる同室の患者さんと比較すると、こんな程度の副作用は無に等しい。 成果といっても、もともと自覚症状もない私にとっては、胃カメラに写る写真によるものだ。したがって苦しみが軽くなったとかいうものではなく、写真に写る自分の内部(食道とリンパ)の状態の判断で行う成果である。これによれば、食道がんは陰性に変化、リンパ腫瘍は胃の内部からの視認はできず、またCTでも確認できないところまで縮小した。 リンパ節は胃の外側にあるもので、本来胃カメラに写るものではない。これが、コブシ大に写ったのだから西東京K病院、都立F病院が胃がんと誤診するのも無理はない。さすがに国立がんセンターは胃がんではなくリンパ腫瘍と見抜いた。いずれにしても胃の中に食い込む位の大きさにまで成長していたリンパ腫瘍が胃カメラに写らなくなったのは朗報だった。 ということで、現時点までの治療は大成功といってよく、こんなに簡単に治るものなの?と拍子抜けである。しかし、冷静に判断しよう。 これまでの西洋医学不信は部分訂正しなければならない。というより国立がんセンター東病院の努力を高く評価すべきなのだろう。都立F病院で食道と胃の全摘出を受けていた場合と、現在の状態を比べたとき、この差は天国と地獄くらいの差があるだろう。 そして最後に、私の足を、半信半疑ながら築地から東病院へ転換させたオミノ氏のサイトに改めて感謝したい。初めはこのサイトにも懐疑的だったのだが、これが間違いであったことは私の回復が証明したのである。その証としてオミノサイトを私の「闘病記」サイトにリンクさせていただいた。 |
手術一辺倒から放射線化学療法へ 日本のがん担当医の70%が外科すなわち手術で生きている医師だそうだ。そして日本における実績からは放射線化学療法は、よちよち歩きの段階らしい。また、実績数自体が少ないため放射線化学療法が過小評価されているらしい。しかし、半信半疑だった私は自分の体験からはっきりと言える。手術の前に放射線化学療法も考えてみては?現在では手術と同等の成功例をあげていると聞けば、痛くない分、食道その他の臓器を失わないだけ、得ではないのか。いや、得などという次元の問題を超えたメリットがある。 もうひとつ。代替医療を受けたがっていた私は現在まで、いつでも開始できるように準備はしていたが、放射線化学療法のおかげで現在は縁がなくなった。西洋医学の再認識である。代替医療に関係しているのは、食事を東洋医学的な指針で和食中心にしていることくらいだろうか。 こうして、私はこれまでの半年の治療を通じて、自分の治療方法は病院の言いなりになることを避け、医の東西に関係なく自分の人生哲学と相談しながら、一番よい方法を探すことが大切と、思うに至っている。 前後して名古屋の義理の妹が胃がんで手術をといわれた、と相談してきたので、セカンドオピニオンを受けてからに、と某がん専門病院で受診させたところ、手術の必要もないし、がんもないと言われた。どのようにして誤診が生じるのかは判らないが、病院主体でなく、自分自身が主体的に行動することの大切さをここでも実感した。 |
ここからが正念場 これまでの治療経過は理想的な推移を歩んできた。しかし、手放しで喜ぶわけにはいかない。手術にせよ放射線化学療法にせよ、転移という問題は常に念頭において置かなければならない。04年8月時点で、肺への転移の可能性が生まれている。ここからも気を引き締めて生きたいと思う。 私の人生もこれまで、と思った04年初頭から「闘病記」を書きサイトを立ち上げ記録を始めた。結果は判らないが事実を記録としてまとめておこうと思ったのである。幸い、現在のところ「闘病記」らしからぬ、お気楽「闘病記」になっているが、いつ深刻な「闘病記」に変わるか判らない。しかし結果の如何に係わらず、発症から現在までを記録し、これからも記録を続ける予定である。詳細を知りたい向きはご覧いただきたい。 page uploaded on 2004/8/16 |
(主幹記)2005/2/24緊急入院、2/27食道ガンは完治しましたが、原発より転移した肺ガンが原因で、お亡くなりになりました。享年68才。ご冥福をお祈り致します。合掌 2005/3/1 |
TOP
ホーム
序章
食道ガン発見
国立がんセンター中央病院編
慶應病院編
東京女子医大編
国立がんセンター東病院編
あれから1年
2年が過ぎた
そして3年
4年
生還
6年目
主幹プロフィール メール ポリシー
リンク集
新たなる勝利者たち めざせ戦うガン患者 供養塔
Presented by http://www.omino-jp.com