ガン病棟からの脱出

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新たなる勝利者たち

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静岡県立静岡がんセンター
静岡在住 57歳ステージIV、女性

静岡県在住の普通のおばさんが、デジカメ・インターネット・パソコン、 流行だし面白そうと思い立ち、一式買い揃え教室に通い始めた。

その僅か数ケ月後に食道癌になり、初めてメールを送る相手がオミノさんとは思いもよらなかった。

それまでの私は,月1〜2回のペースで温泉地に行くことを楽しみとしていた。
ここに書いたことは、誰にでもあてはまる事ではないと思う。
副作用の出方も十人十色。考え方も、感じ方も。

私が食道癌になったこと、親・兄弟・親戚、もちろん近燐の人にも誰にも知らせてない。
幸い近所に居ないせいもあるが、無用の心配、気遣いをして欲しくないために。
今でも、姉と温泉に時々行くが、体に傷がないため気付かれる事は無い。

入院中、主人は1度も病院に来ていない。
決して冷たいわけではない。吐き気が強い日があり口をききたくない日が多分にあったため。


2005年1月のある日パンが食道につかえた(其の時たった1回だけ)。

3月末風邪を引いた。のどの痛みだけがなかなかとれない。
ある日熱いコーヒーがのどと食道にしみた。
エ… なにかへん? 気になりはじめた。(この頃から咽頭癌、食道ガンを疑い始めた。)

4月 総合病院で胃の検査をした。素人目にも、明らかな異常が見えるレントゲンフイルム。
食道癌の疑いありとの事。

1週間後に入院し、検査をできる限り早くしてもらえるようにするからと、
先生のパソコンを打つ手を呆然(ぼうぜん)と見ている私がいる。

もしかしたら…癌。そんな予感がしていたけど、現実となると何をどうするべきか?頭に浮かばない。
とりあえず入院予約をして、院内図書館へ行き食道癌のことを調べ、その重大さに唖然となった。

家に帰り主人に話すと、私以上にショクを受けた。でも、今日、明日死ぬわけでない。
交通事故で即死よりまだまし、出来る限りの方法を探そうと、当事者の私が励ましていた。

それからの数日間インターネットで食道癌の事を調べまくった。

あちこちの癌専門の病院へ電話をして話を聴いた。(国立、愛知県、静岡のがんセンター。大阪府立成人病センター)
どこの病院でも、入院には1ヶ月近く待たなくてはいけないと言われた。

この頃、(食道癌のことをインターネットと、総合病院が近くにあるため院内図書館の医学書で)手術以外の選択肢もあることを知り、私は、手術以外の方法に決めた。
体にメスを入れない分負担が少ないこと、今までと変わりなく日々の食事がとれること、などなどを思った。

主人は、「遠くても良い、本人が納得して治療が出来る事が最優先!お互い、あの時ああすれば良かった、こうすれば良かったと後悔することのない様に出来るだけの事はしよう」と言ってくれた。

そんな時『ガン病棟からの脱出』を見つけ千葉行きを決めた。
何よりも実績があることと、サイトに投稿している人が実在していることが、不安と焦りのまっただ中に居る私にとってなによりの救いに思えた。

癌!癌!と思うと、入院を待っている間どんどん進行しているような気がする。
とりあえず、今の総合病院に入院し検査結果と紹介状を持って、国立がんセンター東病院の大津先生の所に行こうと決めた。

明日入院という夜、パソコン初心者の私が初めてのメールを送った相手がオミノさんだった。

その夜、思いもかけない人、オミノさんからの電話があった。
検査結果の話をすると「東病院でも検査をするから、時間の無駄!明日すぐに東病院へ行きなさい。」と背中を押された。話しているうちに、ここ数日間不安と焦りの緊張の糸が切れ、思わず泣いてしまった。
「泣いてどうなるものではない、気持ちしっかり持って。そんなことでどうするの!!」と叱咤激励してくれた。私は家族以外に癌のことを知らせていないから、心配してくれるオミノさんの言葉が余計に心に残った。
一銭の得にもならないのに、電話代だってかかるはず……

総合病院に入院当日 主人には余所の病院にセカンドオピニオンを受けに行くのでと、入院の断りの電話をしてもらっている頃、私は新幹線の中だった。
遅くなるようなら東京泊まりと決めていた。

国立がんセンター東病院に午前10時頃着いた。大津先生に午後2時ごろお会いできた。

手にしている資料と言えるものは、総合病院で渡された『食道のここに異常があります』と絵の描かれた説明対象者用の紙1枚のみ。(今思えば大津先生も対応に苦慮したでしょうネ。)
それでも、ステージの判らない今、仮説として食道癌の治療方法および手術と手術以外の放射線化学併用療法の話をしてくれた。
私は放射線化学併用療法で治療したくて、ここ東病院に来た事を話した。

大津先生は小柄な、穏やかな話し方をする人でした。
「静岡から国立がんセンター東病院に来るのはお金と時間がかかり大変、静岡県の沼津に県立静岡がんセンターに自分達と同じチームを組んでいた人達が行っている。そこなら国立がんセンター東病院と同じレベルの治療が出来るから県立静岡癌センターにしたらどうですか?」

本当に国立がんセンター東病院と同じレベルの治療が出来るのか?医師も大事だけど放射線技師のレベルも大いに必要だから、と言う私に、
「同じレベルの治療が出来ます。」(大津先生)

同じレベルの治療が出来るのならば近くのほうが良いに決まっている。
自分達と同じチームを組んでいた人2名宛(朴先生、廣中秀一先生)に招介状を書いてくれた。


翌日又私は再び新幹線に乗り、今度は県立静岡がんセンターへ。

県立静岡がんセンターでも本当に国立がんセンター東病院と同じレベルの治療が出来るのか?(私)
出来ます。(廣中先生)
放射線技師の技術もですか??(私)
静岡県立がんセンター最新の医療機器がそろっている事、国立がんセンター東病院から何人か来ている事、東病院に負けない放射線技師の技術もある(廣中先生)

こうして、総合病院〜国立がんセンター東病院〜県立静岡がんセンターへすべて一人で行動。

県立静岡がんセンターの看護師さんが、「一人住まいですか?ご家族の方は?」と聞いてきた。
「私は今お金を使う人、主人は稼ぐ人。主人に相談はするけれど最終的な決定権は私にあります。基本的には一人で行動します。一人で行動出来なくなった時、其のときは力を借ります」と言った。
先生も看護師も、私のことを『強い人』と思われたかも知れないが、実際の私はガラスのハートをしている。

静岡がんセンターに3〜4回の通院検査。

検査結果が出る日は主人が一緒だった。
総合病院では胃のバリュウム検査をしただけでステージまでは判っていなかった。
結果はステージWb。この頃すでにステージはいくつでも治すしかない、自分は治ると信じて治療するしかない、と思っていた。

「放射線化学併用療法。手術もできますがどうしますか?」(廣中先生)
手術をしたくないために国立がんセンター東病院〜静岡がんセンターに来たのだから、
迷わず「放射線化学併用療法にします」と答えた。
癌を小さくしてから手術という話もなし。そのため手術についての話は一切なし。

放射線化学併用療法の簡単な説明を受け、ロビーへ。看護師から『放射線化学併用療法(シスプラチン+5-FU+放射線療法)を受ける方へ』と書いてある10枚にもなるプリントを渡された。
治療に伴う全てが書いてある。メリット、デメリットも。
患者にとって、聞きもらし、勘違い、このプリントで無くなると思う。


5月連休明け入院

入院治療予定
 5日間抗癌剤2日間休み5日間抗癌剤
 放射線5日間2日間休みで3回。
 2週間の休み。
 これを2回。
 3クールと4クール目は抗癌剤のみ。

3〜4年前に出来た病院で、病室も2人室と、個室(1万円)がある。
トイレと洗面台が2病室に1か所の割合で配置されており、とても助かった。
問題のお茶とお湯も、談話室に無料の機械があった。

5月、冷たい飲みものがいい。売店へ……

1クール二日目から吐き気がおき、食事がとれなくなった。
廣中先生は1日に2回は病室に顔を見せ「どう? ○○さん」と声を掛けてくれた。
時には、午後7時半すぎの時も。

2クール目。吐き気が強く、匂いにも、配食車の遠くからの音にも…
水も飲まず、食わず、吐く物が無く、血液と胃液のみ。
(血液を吐いたのは、放射線で食道がダメージを受けていて、吐きつけているから余計に食道に負担が掛かるため、との事)
身体まで、拒否反応を示し始め、点滴の針が1日ともたない。
廣中先生は「苦しいのもあと3日、あと2日」と励ましてくれるけど……。
吐き気止めが、吐き気を呼ぶ。体重8キロ減。毛髪半減。

2クール目を終え、家で1ヶ月過ごした。
1〜2ヶ月は放射線の効果が有り、その結果を見たいとの事。

1ヶ月後の8月、県立静岡がんセンターへ。
検査の結果、がんは消滅。食道も綺麗で、どこに癌があったのか解らない。

したがつて、3クール目する必要が無いでしでしよう。(廣中先生)
だいじょうぶでしようか?3クール目しなくて?? (私)
だいじょうぶでしよう!! (廣中先生)

消滅。辛い治療に耐えた最高の喜び、癌になってからの私は変わった。
すべての人にお礼を言いたいと思う。ありがとう!!と。

2005年末・年始、雪国の温泉に行く。
大浴室だれの目も気にせずに入れる喜びを味わいたいと思う。

2005.12.28.


【追記】
年末年始、私は永平寺(除夜の鐘、観光客用,打たしてくれました) 東尋坊と回ってきました。
そして今回、船でしか行かれない大牧温泉に行って来ました。

雪を見ながらの露天風呂。傷がないため誰の目も気にせず入れる喜び(女性なら特に)
大浴室から見る墨絵のような世界、おいしい料理を腹一杯食べ、至福の時を過ごしてきました。

放射線化学併用療法をしようと決めたけれど、何処の病院に行ったらいいのか判らず、不安の時を過ごしていた時
オミノさんのサイトを見つけ連絡した事に始まり、
放射線化学併用療法でも手術と同じ結果が得られます。(廣中先生)
それもこれも、私が放射線化学併用療法を選択したため得られた幸運だと思います。

今、自分がおかれている状況(ステージW)を考えると、ますます放射線化学併用療法を選択して良かったと思います。
(5年生存率、悲しくなるほど低いけど自分らしく生きられるから)

オミノさんにとってサイトを維持していく事は大変な事と思いますが、サイトを見て一人でも多くの人が放射線化学併用療法を選択してくれるといいなと、思います。
此れからも、お体に気お付けてお過ごしください。

2006.02.10

page uploaded on 2006/02/13

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