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食道癌に打ち克って迎えた古希
「新たなる勝利者たち」の闘病記をマニュアルに
神奈川在住 70歳ステージIII、男性
1 発病から受診まで 私が食道の異常に気づいたのは、2004年の春頃のことだった。急いで掻き込んだ昼食のそばが胸につかえることが何回かあったからだ。しかしそれ以外では胸つかえも無いので、そんなに重大なこととは考えずにそのままで過ごしてきたのである。 しかし、秋になると、頬張って食べた物がつかえるようになり、おやと思った。そして、インターネットで調べてみると、食道癌の初期症状に該当するような気がしたが、内視鏡検査の苦しさを思い、検査受診を一日延ばしにしてきた。 重い腰を上げて、家の近くの胃腸科で内視鏡検査と生検を受けたのは11月になってからであった。検査結果は11月24日に出て、やはり食道に癌があると言われた。そして、以前、先生が勤務していた病院か大学病院を紹介すると言われ、紹介状を後日準備してくれることになった。 多少、予期はしていたが、いざそれが現実になるとショックであり、これからの自分の人生をどうしようかと頭が混乱しながら家に帰った。帰りに買い込んできた10冊ほどの本とインターネットのホームページで、食道癌について調べまくったが、調べが進むにつれて、ことの重大性に唖然とした。癌の治療は手術が主流であり、食道癌の場合も同様であること。そして、その手術たるや大変な手術で難易度も膵臓癌に次ぎ、手術による死亡の危険も高いこと。そして、手術後の生活も発病以前の状態は戻れないことなどを知り、そんなにまでして手術を受ける価値があるのか、家族には申し訳ないが自分の人生はこれまでと観念しなければならないのかと考え込んでしまった。 オミノさんのサイトに偶然に出会ったのはそんな時だった。そして、食道癌の治療には、手術以外にも放射線化学療法があり実績も上げていて、勝利者が沢山居ることを知って一筋の光明を見いだした思いがしたのである。それはまさに、絶望のどん底で光を見いだしたという感じであった。早速、この感動をオミノさんにメールしたところ、オミノさんご本人から、すぐに、直接電話で励まして頂き、これにはさらに感激させられ、大いに元気づけられた。そして、この治療法で自分の癌も治すのだという信念を持つことが出来た。 検査を受けた胃腸科には、約束の日に紹介状を貰いに行ったが、前にお願いした大学病院等ではなく、国立がんセンター東病院の大津先生宛にしてほしい旨お願いした。しかし、胃腸科を標榜する医院にも拘わらず、東病院での取り組みをご存じないのには驚いたが、面識がないがと言いながらも大津先生への紹介状を書いてくれた。 大津先生の外来診察日はその翌日の12月1日だったので、朝4時起きして東病院へ向かった。 大津先生の診察は大変混雑しているようで、飛び込みの私が呼ばれたのは待合室の患者も残り少なくなった午後の2時過ぎだった。持ち込んだ資料を見た大津先生は、予期していたように、癌があると診断され、早速、尿や血液の検査、CT、内視鏡、X線と予約を入れてくれた。
12月6日(月) CTと内視鏡検査及び診察での癌告知 10時のCTは造影剤を使った撮影であったが簡単に終了。12時の内視鏡検査では、喉も含めてルゴール散布による詳細な検査で、ルゴールによる焼けるような痛みは検査終了後も喉に残った。 14時に妻と共に、大津先生の診察で内視鏡の結果についての説明を受けた。ステージUないしVの食道の癌であるとの診断が告知されて、治療法については手術が主流であることや、放射線化学療法などについての詳細な説明を受けた。内視鏡のための麻酔によるものか、先生の説明の途中で気分が悪くなり診察室の寝台に横になって説明を聞く始末であったが、予定していたとおりに放射線化学療法による治療をお願いすると共に入院の予約をして帰った。 12月7日(火)〜16日(木)入院準備と身辺整理 いざ入院となると、その準備や身辺の整理が必要になる。その一つとして、先輩方の闘病記では日本尊厳死協会への加入を挙げられていたが、私の場合、既に数年前に、散骨を進める「葬祭の自由を進める会」とあわせて、日本尊厳死協会にも加入していたのでそれは済んでいた。 仕事については、すでに現役は退いてはいたが、その後の3つ目の勤めとして、社会福祉法人の責任者を無償のボランテイアとして引き受けていたので後任者の選任をお願いした。また、太極拳や英会話等、趣味で加わっていたクラブの退会も済ませた。 入院では、お見舞者のことも考えて置く必要があるが、全快を念じていただくだけで十分だとお伝えして、親戚を含めて一切お断りして面会者は妻だけにしてもらった。 横須賀市の私の家から東病院に行くには、片道で3時間ほどかかる。そこで、便利な通院方法や、治療についての具体的な最新の情報を知りたいと闘病記を読んでいたら、同じ神奈川県に住む方の「新たなる6週間治療法」が目に留まった。今後、治療法はこの6週間法に切り替わると思われると書いてあったので、その方のお話も是非お聞きしたいと、オミノさんに紹介をお願いした。するとすぐに、そのTさんご本人からメールと電話を頂き、いつもながらの対応の素早さには驚かされた。色々お話をうかがう中で、東京駅からの高速バスが便利なこと、治療がない土日には外泊で帰宅していた等々をお聞きして、そんな方法もあるのかと一安心した。 入院治療中には、どんな治療がなされ、どんな症状が起こり、その対応ではどうしたらよいかについて、具体的なことを事前に知っていると非常に安心できるものであるが、そうした点で、皆さんの闘病記が参考になった。特にTさんの闘病記は私が受ける治療と同じようであったことから印刷して入院中のマニュアルとして持参したが、吐き気対策、口内炎対策をはじめ、色々な面でとても役に立った。 病院内でもメールなら使えるだろうと携帯電話を持参した。また、小型のノートパソコンを持ち込み、エッジでインターネットに接続した。これにより、オミノさんとTさんからは、小まめに励ましのメールを頂き、時には落ち込みそうになる闘病生活での大きな支えとなり感謝しようのないくらいお世話になった。 3 癌との闘い 12月17日(金) 入院 いよいよ癌との闘いが始まったが、闘いの場は8階北側のC個室で、筑波山の見晴らしが素晴らしい。 担当医と決まった三梨桂子先生から、治療方針についての面談を妻と共に受けた。 癌はステージV、リンパに転移の様な影もあるとのことで、先日大津先生から言われたステージUないしVの、Uの線が消えたことになり、妻共々ちょっとショックを受けた。しかし、その後オミノさんから「ステージVは東病院の守備範囲だ」とのメールを頂き安堵した。 治療方針は28回の放射線照射と、1週目と4週目に抗癌剤治療をする6週間法を基本に、ステージVであることから、それに加えて9週目と13週目にも抗癌剤治療を行い、それでも消失しなければ手術も考える必要があるとの説明には愕然としたがここでも放射線化学療法をお願いした。 また、持ち込み薬の扱いについて、オミノさんとTさんにメールで相談したところ、お二人からは主治医の指示に従いなさいとの助言を頂き、主治医の三梨先生からは、アガリクスは問題があったので止めるように、そして十全大補湯については東病院では漢方薬は処方していないので、家庭医から処方を受けているなら、それを続けて飲んでもよいとの指示を頂いた。 入院した日が金曜だったので、本格的治療は月曜まで無いとのことから、Tさんから頂いたヒントをもとに、昼食後、金、土と外泊して日曜日に帰院することで許可を貰って家に帰った。以後、体調が悪い日を除いて、金曜日の朝に放射線治療が終わるとすぐ帰宅し、金、土と外泊して日曜の夕方に帰院させて貰った。 12月19日(日) 外泊から病院に戻るために、5時起きして自宅を出発して、病院には9時半に戻った。今日は、明日からの治療の準備として、10時から翌朝10時迄の24時間の尿量を測定する蓄尿だけで、のんびりした一日だった。 12月20日(月) 抗癌剤治療の前準備として、腎臓保護の電解液の点滴が10時から始まる。腕の点滴針はこのあと1週間留め置きされて、明日からの抗癌剤や治療薬の点滴にも用いられることになるので1週間の長丁場の点滴の始まりだ。 点滴針は当直の医師が刺してくれたのだが、ゴム手袋をして物々しいので後で看護師さんに聞いたところ、抗癌剤は皮膚や手につくと、そこが壊死することもあるので神経を使うのだそうだ。 また、この点滴液のスタンドは、点滴中の一週間は、寝ても、起きても、トイレに行く時でも、どこへでも連れて歩かなくてはならない。そこで私は、犬になぞらえて「ポチ」と呼ぶことで楽しむことにした。 12月21日(火) 1回目の抗癌剤治療 抗癌剤治療開始、5FUは今日から24時間連続の点滴を4日間、シスプラチンは今日の午後1回のみで2時間の点滴。これら抗癌剤を含めて、他に生理食塩水、副腎皮質ホルモン、吐き気止め、利尿剤など、5種類の点滴が取り替え引き替えおこなわれた。 午後には点滴スタンドの「ポチ」を引き連れて、1回目の放射線治療を受けに1階の放射線治療室まで出かける。放射線は、先日既に胸にマジックでかかれた目印をもとに行われる。体の位置決めに多少手間がかかったが、放射線の照射時間はわずか数分で終わり痛くも痒くもない。この日から、土、日、祝日を除く毎日午前中に呼ばれて、放射線治療を受けに行くことになる。 食事は3食全部食べたが、就寝時には頭痛が始まり、夜中に吐き気が出始めた。明けがたには辛抱できず、吐き気止めの点滴をお願いして吐き気は何とか治まったが頭痛は続く。 12月22日(火) 昨夜の吐き気の名残で食欲は無く、朝食は少しつまんだだけ。昼は何とか食べたが、夕食はお粥だけ手を付けて終わった。 夜は1階のロビーで、ハンドベルやコーラスのクリスマスコンサートがあると看護師さんから案内状を頂いたので、ここにも「ポチ」を連れて出かけたが、途中で吐き気の前兆と思われる頭痛がひどくなり、早々に引き上げて吐き気止めの錠剤を飲んだが治まらず、吐き気止めの点滴をしてもらった。 12月23日(水) 朝方には、吐き気止めの点滴の効き目が薄れてまた吐き気が強くなり、吐き気止めの点滴の追加をお願いする。一連の点滴の中には吐き気止めが午前中に組み込まれているので、日中はそれで吐き気を何とかしのげるのだが、その効力が切れる夕方には、また追加で吐き気止めの点滴をお願いした。しかし、夜中にはその効き目が切れて苦い水を吐いた。 当然の事だが、食欲どころではなく、朝は牛乳と蜜柑、昼はヨーグルト、夜は粥を少し食べただけになった。 また、この後3回行われた抗癌剤治療の時もそうであったが、私の場合は抗癌剤の副作用での便秘で苦しめられ、軟便剤を処方してもらったほか、下剤や浣腸のお世話になった。 12月24日(木) あいかわらず吐き気に苦しめられ、朝、晩、夜中と吐き気止めの点滴をお願いしてしのいだ。吐き気止めの座薬も試してみたが効果がなく、結局点滴をお願いすることになった。 食事は、果物を少ししか口に出来ず、夜は抜きにした。結局、抗癌剤治療が始まった翌日から3日間、食べ物らしいものを口に出来なかったことから、疲れが出たようでぐったりした。 12月25日(金) 4日続いた抗癌剤の点滴も朝10時で終わり、後は輸液の点滴が明日までおこなわれる。やって来た妻に体を拭いてもらってさっぱりしたが、吐き気は夕方になってもまだ残り、吐き気止め座薬を使用した。昼には妻が持ってきたサンドイッチを少し、夜には粥と味噌汁を少し口にしただけだった。 12月26日(日) 輸液の点滴が11時で終わり、やっと点滴から解放された。1週間の間は、朝も夜も点滴に縛り付けられているので何をするのもおっくうになり、その拘束感は私には耐えがたいストレスであった。 頭痛、脱力感、食欲不振は相変わらずで、食事は3食ともおかずを少しつまむ程度であった。抗癌剤によるのか胃腸が緊張して動きが止まったような感じで、便秘は相変わらずである。また、口内炎も出始めたようで、うがい薬のハチアズレを処方して貰う。 12月27(月) 今日からの治療は放射線治療のみになる。近くに住んでいる人は退院して、外来で放射線治療を受けに来るそうだが、私は遠方ということで引き続き入院したままにしてもらった。頭痛、脱力感、甚だしい食欲不振が続く。体重は入院時の3kg減。 12月28日(火) 放射線治療のみ。頭痛、食欲不振は午前中ですこし治まった。これで副作用は克服できたかとほっとし、午後、入院後9日ぶりで9階の展望大浴場で入浴する。 12月29日(水) 放射線治療のみ。明日午後から1月3日夕方迄の正月休みの外泊の準備に取りかかった。頭痛と吐き気は無くなったが、頭は依然として重い。昼食を食べていて食べ物の通りが悪くなったのが気になる。 12月30日(木)自宅外泊 年内最後の放射線治療(通算7回目)を、朝一番で受けた後に帰宅。入院後初めての外出になるが、抗癌剤治療での食欲不振で食事を抜いてきたためか脱力感が強く足がふらつく。妻と横須賀中央で待ち合わせて昼食を取る。食べやすいものをと中華そばを注文したが、喉の通りが悪くて飲み込めず、水を貰ってすこしづつ流し込む。左上口蓋に口内炎も出来始め、熱いものや堅いものがしみて痛い。 12月31日(金)自宅外泊 妻と車で、近くのスーパーに正月の買い物に出かけたが、帰宅後疲れて横になる。口内炎の痛みはいくらか和らいだが、胸上部に鈍痛があり食べ物がつかえる。また仰向けになると食道に沿って痛みが出るので、横になって身体をエビのように曲げて寝る。 1月1日(土)自宅外泊 元旦の朝食で、おせち少々と雑煮のお餅を2個食べたが、食べ物の通りが悪く、食欲もあまりない。終日ゴロゴロして過ごす。 1月2日(日)自宅外泊 食べ物が胸の上から20センチくらいの場所につかえる感じで、食欲はあまりない。 11時頃寒気と震えでベッドに横になるが、2時頃には治まった。 夜7時の検温では38.3度、9時半には39.1度と発熱。 1月3日(月)帰院 16時帰院。胸のつかえは相変わらずで蜜柑もしみる。17時の検温では37.8度。三梨先生来診、明日以降の放射線治療は、肺炎を警戒して実施する明日のレントゲンや、血液検査の結果を見て決めることとなる。 1月4日(火) 体温は明け方38度台に。解熱剤ロキソニン服用により熱は下がる。 本日の放射線治療は中止に。食欲は低下し、白血球も2100に減少。胸部のレントゲン結果は異常なし。 1月5日(水)夕方から食事と水禁止、抗生物質と栄養点滴 体温は朝から37度台に。食欲無し。放射線治療は様子見のため中止。治療中の食道の細菌感染防止のため夕方からは食事・水ともに禁止となり、抗生物質及び栄養点滴を開始。 1月6日(木)〜1月7日(金) 放射線治療中止。熱は平熱に。抗生物質と栄養点滴及び食事と水の禁止は継続。便秘。CT検査でも肺炎等の心配はない。 1月8日(土)夕食から食事と水の禁止は解除 放射線治療中止。熱は平熱に。白血球は2600に回復。点滴は継続。食事と水の禁止は夕食から解除。食べ物の飲み込み時の痛みも和らぐ。 1月9日(日)点滴は抗生物質のみに 放射線治療中止。点滴は朝晩の抗生物質のみに。食欲も回復し、飲み込みもスムーズになるが、トマト味のジュースは胸にしみた。 1月10日(月)成人の日 放射線治療中止。点滴は朝晩の抗生物質のみ。食べ物の通りは発病前の状態に戻ってスムーズになる。 1月11日(火)抗生物質の点滴も終了 抗生物質の点滴も終了。放射線治療再開(通算8回目)。抜け毛が多いが、心配したほどでない。体重は入院時に比し4kg減。 1月12日(水) 放射線治療(通算9回目)。食欲回復。放射線治療の際に、二瓶医師に胸の痛みについて質問したところ、放射線が原因の炎症の場合には食道に沿って縦に痛むので、今回の痛みは抗癌剤による腫れだろうとのこと。 1月13日(木) 放射線治療(通算10回目)。 1月14日(金)自宅外泊 朝の放射線治療(通算11回目)終了後、金、土、日と外泊で自宅へ。昼食は横須賀中央で外食。貧血対策にとニラレバ炒めとワンタンを食べたが、食道の通りは快調。 1月15日(土)自宅外泊 自宅での、のんびりした一日。両足のももの内側に粟粒大の発疹が無数に出たが、痛くも痒くもない。抜け毛は目立った抜け方ではなく治まりほっとした。 1月16日(日)帰院 入院前のように食事がばくばくと食べられる。東京駅18時10分発の高速バスで帰院。 1月17日(月) 放射線治療(通算12回目)。発疹は腹部にまで広がり、薬疹を心配した三梨先生からは、念のために、胸焼け対策用にと処方されていたガスタ−の服用中止を指示される。今週から予定していた抗癌剤治療は、白血球の増加が思ったほどでないので来週に延期。夜、就寝中に食道の辺りに痛みを感じる。 1月18日(火)〜1月19日(水) 放射線治療(通算13,14回目)。ももの発疹は、すねと腹部にまで広がる。 1月20日(木) 放射線治療(通算15回目)。発疹は蕁麻疹状に大きくなり、皮膚科の診察を受ける。体調もあるかと思うが原因は不明で、XXXX薔薇腫とのこと。明日の放射線治療は機器点検で休診になるとのことなので、皮膚科の診察が終了後、木、金、土、日と外泊で自宅へ。 1月21日(金)〜23(日)自宅外泊 放射線の影響が出始めたか、食物の通りがまた悪くなった。 3日間の外泊を終えて23日(日)の夕方、東京駅からの高速バスで19時に帰院。早速、明日からの抗癌剤治療の準備のための輸液の点滴を20時40分から開始。 1月24日(月)〜1月28日(金)第2回目の抗癌剤治療 抗癌剤治療と並行して放射線治療も。 前回の抗癌剤治療での発熱と食道痛等の副作用の状況を勘案して、抗癌剤の量は第1回目の時の2分の1の量となる。Tさんの闘病記に吐き気対策として、事前に吐き気止めを飲んで対処したと言うのを参考に、私も、三梨先生の了解を得て、前回の抗癌剤治療時に貰って残っていた吐き気止めのナウゼリンを服用した。抗癌剤治療の一連の点滴には、毎日の午前中の点滴に吐き気止めが組み込まれているのでその効力が失せて吐き気が出る前の、夕方は6時、そして夜中の0時、朝の6時と6時間置きにナウゼリンを飲んだ。その結果、第1回目の抗癌剤治療であんなに苦しめられた吐き気は、今回は全く出ないで済ますことが出来、食欲も損われずに済んだ。お陰で今回の抗癌剤治療中に、ベッドで所得税の確定申告書を仕上げることが出来た。 1月31日(月)〜2月3日(木) 放射線治療(通算21回〜24回、24回目以後の5回は部分照射に)。上口蓋にざらつきが出始めたので、口内炎予防の事前対策として、以前貰っておいたハチアズレの粉末でうがい液を作ってうがいを始めた。 放射線によるものと思われる発赤と痒みが、首と胸や背中の食道に沿った皮膚に出始め、また、首の喉笛の辺りには腫れが感じられ、リンデロンクリームを貰う。 夜、横になって寝ていると食道のあたりが痛む。食欲も落ち、特に病院食はその臭いや味付けが気になって食べられなくなり、持ち込んだインスタント・スープや地下売店で買った、いなり寿司やカステラを食べる。夕方になると37度台の微熱が出始めた。 2月4日(金)〜6日(日)自宅外泊 4日帰宅時の乗り物の乗り換えでは、階段での息切れが甚だしい。外泊中、熱は37度台で夜になると38度台に。また食欲も余り出ず。6日(日)18時に帰院。 2月7日(月)夕食から食事禁止、抗生物質と輸液点滴に 体調不調で放射線治療の継続が検討された結果、あと、7日、8日、9日と3回の部分照射だからやってしまうことに決定。 口内炎は早期対処が功を奏して悪化せず治まる。食欲不振と微熱は相変わらず継続。食後に食道痛が始まり、痛みは右肩にまで広がる。夕食から食事は停止され、抗生物質と輸液の点滴に。 2月8日(火)〜14日(月)放射線による食道炎悪化、 抗生物質と輸液の点滴、食事は12日の昼食まで停止 放射線による、食道炎の痛みと胸焼けが喉から胃にかけて棒状に広がり、消炎剤のポンタールを飲んだがあまり効果がない。 予定した28回の放射線治療は9日で終わるが、退院日は炎症と体調を見て月曜以降に決定に。 12日(土)には、血液の検査で炎症を示すCRPの数値が好転し、食事停止は昼食から解除になった。しかし、まだ食道に炎症があるために、親指大のカステラもペースト状になるまで噛んで、飲み下すのに精一杯。また冷たいものもしみるので、牛乳もぬるく温めて飲む。 2月15日(火)抗生物質と輸液点滴終了 抗生物質と輸液の点滴は終わったが、食道痛と胸焼けが強く、痛み止めをポンタールから、モルヒネ製剤のオプソに切り替えて貰う。以後オプソを6〜8時間毎に服用。体重は入院時より5kg減。 2月18日(金)治療一段落による退院 昨年12月17日に入院以来、時々外泊で帰宅はしてきたが、2か月目で治療が一段落して退院OKとなる。 先輩諸氏の闘病記では、治療が終わった時点で、内視鏡で治療の状況が確認されて、癌消失の診断を貰って退院と言う段取りになっているが、私の場合は食道痛が依然として続いていて痛み止めのオプソを服用していることもあり、内視鏡検査は退院後、食道の炎症が治まるであろう10日先の2月28日に予定されての退院となった。 6週間治療法の場合にはこの段階で治療は終わりになるのだが、私の場合はステージVということで、今回の入院の際に、抗癌剤治療を2回追加されることとされて、3月と4月にまた、各一回ずつ1週間程度入院して抗癌剤治療を受けることを前提に退院となった。そこで、予定されていたCT検査を受けた後に帰宅した。 2月19日(土)〜26日(土)自宅療養 自宅では、普通食が何とか食べられるようになったが、食道痛は相変わらずで、朝、昼、晩とオプソを飲んだ。その影響で胃腸の動きが止まったせいか、便秘が続き、毎日軟便剤の他、座薬や浣腸を使用した。また、身体を日常生活に慣らすように心がけたが、すこし動くと息切れして、午後には37度台の微熱が続いた。 2月27日(日)何とか迎えた古希の前祝い 食道痛もいくらか治まったようであり、明日の内視鏡検査に備えて、痛み止めはオプソを止めてポンタールに切り替えてみた。 明日、2月28日は朝、内視鏡検査が予定されているが、自宅からの通院では寒いので早起きが大変である。そこで今後、朝早い時間の通院の際には、自宅から京浜急行線一本でこられる品川に妻と泊まることとし、品川のホテルを順次めぐろうと考えた。そして手始めの第1回目としてホテルパシフィックに泊った。 夜は、明日28日に迎える私の古希の誕生日の前祝を、ホテルのレストランの小懐石で祝った。一般の人は月日が経って何と言うこと無しに、70歳の古希を迎えるのであろうが、私の場合には、皆さんのお力と支えによって何とか食道癌に打ち克ち、古希を迎えることが出来たわけでその感慨はひとしおであった。 2月28日(月)血液検査と内視鏡検査・診察 治療後初めての内視鏡検査と生検になる。前回、入院前の12月6日に受けた内視鏡検査で、検査後に貧血のような症状が出たと申告したことから、今回はキシロカインの麻酔を中止されたためか、検査のルゴールがしみて、焼け火箸を当てられたような痛みでつらかった。 内視鏡の結果「癌の跡はまだわかるが小さくなっている」と知らされて、ひとまず安心した。また、2月18日の退院時に行ったCTの結果も出ていて、入院前の検査でリンパへの転移が疑われた影も消えていて異常なしであった。今回の生検の結果は、後日、3月7日の3回目の抗癌剤治療の入院時に知らされたが、癌細胞は検出無しであった。内視鏡に先立つ血液検査結果でも、白血球は4500に回復した。 検査と診療が終わり、高速バスで東京駅経由で帰宅した。東京駅から都営地下鉄の日本橋駅への乗り換えの道は、可成り距離がある上にアップダウンもあり、息切れがひどくつらかった。 3月1日(火)〜6日(日)自宅療養 微熱は次第に治まりつつあるが胸の痛みは続いており、痛みは食べ物を飲み込む時に強まる。オプソを飲むほどではないので朝、昼、晩とポンタールを飲んでしのいだ。 家の近辺に足慣らしに外出してみるが、相変わらずの息切れのほかに、初めての経験だが足が疲れて歩けない感じになり、小さな子どもが足が疲れて歩けないと愚図るのは、こんな状態なのかと思った。 3月7日(月)3回目の抗癌剤治療のため入院 今回も入院前日の6日には、品川のホテル(品川プリンスホテル)に泊まり、7日朝、東京駅8時40分発の高速バスで病院に。部屋は5階で北側のC個室。胸の痛みはすこし和らぎ、昼食に出たオレンジがしみずに食べられた。 17時半三梨先生がみえて、2月28日の生検結果について、癌細胞は検出されなかったと知らされる。「今回の抗癌剤治療後にまた内視鏡検査を予定する。これまでの内視鏡の結果では癌と傷との区別が付かない。それが癌だとすると手術が確実な方法だ」と告げられたが、手術はしたくないと答えた。治療は順調とばかり思っていたので、何故今頃、手術のことを言い出されたのかわからないが、ちょっとガックリする。 明日からの抗癌剤治療に備えての輸液は19時から始まる。 3月8日(火)3回目の抗癌剤治療開始 抗癌剤は2回目の抗癌剤治療と同じで、第1回目の時の2分の1量。前回の抗癌剤治療の時に上手く乗り切った吐き気対策を今回も行うこととし、ナウゼリンを、夕方、夜中、朝と服用始める。 昨日の、先生の手術の話しについて送付したメールへのTさんからの返信では、手術ではなく光線力学療法があるとの励ましを頂き、力づけられて有難かった。 3月9日(水)抗癌剤治療 今回も吐き気対策は奏功して、食事は全食食べられたが、メロンは胸にしみた。夜中に胸の真ん中あたりで胸焼けがしたので、治まりかけた食道炎が、抗癌剤でまた再発したかと心配する。口の中も上口蓋にざらつきが始まる。 3月10日(木)〜13(日)抗癌剤治療終了・輸液 抗癌剤治療は12日朝で終了。食事は全部食べられた。胸にしみた食べ物は、とろろ、鰻の山椒、リンゴ、しょうゆ、味の濃い物。 事後の点滴としての輸液を12日,13日と行い、14日(月)の退院が許可される。 3月14日(月)退院 荷物を宅急便で送付し、病院発9時10分の高速バスで東京駅経由で帰宅。胸の痛みはすこし和らぐ。 3月15日(火)〜21日(月)自宅療養 胸の痛みは日を追って和らいで何でも食べられるようになり、18日にはポンタールを中止するほどに回復。しかし食べ物の胸の通りは昔のようには良くはならない。家の近辺への外出でも息切れはしなくなってきたが、足が重く筋力の低下を実感させられる。 3月22日(火)内視鏡検査 検査前日の21日に、品川のホテル(高輪京急ホテル)に宿泊し、朝、病院へ。今回は三梨先生が直接内視鏡を実施してくれる。前回キシロカイン無しで辛かった旨話し、麻酔を使うことになる。検査結果の診断では「普通、放射線治療の1〜2か月後にはきれいになる食道の潰瘍がまだ残っている。これがきれいにならないと奥に癌が残っている可能性もある。生検では癌細胞は出てないが、それは表面だけのことであり、奥はわからないから癌が残っているかどうかは微妙である」と言われてちょっとがっかりする。なお、今回の生検の結果は、後日、4月の入院時に癌細胞は無しと知らされた。 4回目の抗癌剤治療のための4月4日の入院時にまた内視鏡を予定と。 3月23日(水)〜4月3日(日)自宅療養 胸の痛みは治まったが、食べ物の通りは昔のようには良くならない。また、夕方時々微熱が出るが気にするほどではない。 左右の脇の下に痛みが走り筋肉痛かと思い湿布をしたが、下着が擦れると痛む感じなので皮膚の神経の痛みらしい。コルセットを下着の上に、腹巻状に付けて下着をおさえてみた。痛みは日を追うにつれて両脇から次第に腹部に移り、その周辺に収斂した感じになる。 4月4日(月)4回目の抗癌剤治療のための入院 午後1時入院。部屋は12月の入院時と同じ8階で、今回は南側のC個室。顔見知りの看護師さんが大勢いて心強い。血液検査だけ。 両脇痛等の皮膚の痛みについて、三梨先生は首を傾げただけで余り心配していないよう。 4月5日(火)超音波内視鏡検査 今回の検査も三梨先生が実施してくれた。検査結果では「もし癌があれば治療した部分に変化が出るはずだが変化はないし、超音波でも癌は見つかっていないので、積極的に癌細胞があるとは言えない。そこで今回4回目の抗癌剤治療の後に経過観察に入る」との事実上の癌消滅の診断と受け取れるような説明をしてくれた。なお今回の生検結果についても、4月11日の退院時に癌細胞は出て無いと伝えられた。 食事の通りが悪いのは、放射線による食道炎で食道がひきつれて、蠕動運動が行われなくなっているためで仕方がないとのこと。 4月6日(水)〜4月10日(日) 4回目抗癌剤治療 抗癌剤は今回も第1回目の2分の1の量。また、吐き気もナウゼリンの服用で乗り切れた。2日目に食道付近に胸焼けを感じ、また食道炎再発かと心配したがその後は収まった。3日目には両脇と腹部の皮膚の神経の痛みも嘘のように消えた。 4月12日(火) 退院 10日朝に抗癌剤治療の終了後、10日、11日と事後の輸液の点滴の後、12日退院となった。今回は、4月5日の事実上の癌消滅の診断後で、最後の抗癌剤治療であることから、ちょうど盛りとなった柏の葉公園の桜を窓から楽しんでいるうちに、あっという間に終わった感じであった。 4月26日(火)内視鏡検査と最終診断 最終診断のためのCTを4月18日(月)に受診し、26日には三梨先生から最終判断のための内視鏡検査を受けた。その結果「内視鏡での潰瘍の跡を、2月28日、3月22日、4月5日、そして今回の4月26日と比べてみると悪化してなく変化がない。また、CTの結果も異常なく、過去3回の生検で癌細胞も見つかってないし、今回の検査でも出ないと思う(結果は後日、5月16日に、予想通り癌細胞は無しと知らされた)。しかし爛れの跡がまだ残っている。1年もそのままの人の例もあるが、がん細胞が奥に残っていることが気になるので、ひと月ごとにきめ細かく観察を続けよう」と、執行猶予付きのようだが経過観察に入るとの診断を頂いた。 4 結び・・お礼とこれからの私の願い いま自宅で、ほぼ平常の静かな暮らしに戻って見ると、昨年11月の食道癌の発見、そして12月の入院から4か月に及んだ癌との闘いの日々に、こんな穏やかな日が迎えられるとは想像が出来ないことでした。夢だったのではないかと言う気さえしてくるのです。 しかし、70歳のこうした日々を迎えることが出来たのは、癌治療では我が国で最高水準にある国立がんセンター東病院の大津先生、三梨先生、二瓶先生をはじめ、看護師さんや病院のスタッフの皆さんのお力、そしてまた、こうした最新の治療を受けるきっかけを与えてくれて励まし続けてくれたオミノさん、そして、見ず知らずの私のことを親身になって心配し、支えてくれたTさん、献身的看病にあたってくれた妻と、大勢の方々のご尽力があったからこそで、そのご恩には何とお礼を申し上げたらよいか表す言葉もありません。本当に有り難うございました。 その上に、今回、癌にかかって得た宝は、オミノさん、Tさんのお二人のような人生の達人とも言うべき素晴らしい方々に巡り会えたことです。最近の暗い世の中で人生まんざら捨てたものではないと、とても幸せな気持ちにさせられたのです。 今後は、検査のための通院以外は、取り敢えずは病院から解放されたわけですが、先輩諸氏のお話をお聞きすると、これからの5年間は検査の前後になると緊張と安堵の繰り返しで、心理面でのきつさは大変なものであるそうですので、私も、今のこの平穏に安んじることなく、もう一度、精神を引き締め直して、今後5年の闘いにも立ち向おうと思っています。その面でもまた、オミノさん、Tさんはじめ、先輩の皆さん方には引き続き、お力をお借りしたいと願っておりますので、これからのご支援もよろしくお願いいたします。 また、今回私がお世話になったように、癌で悩まれる方への、先輩諸氏のようなフォロー活動にも加わっていけたらと思っています。 2005年5月 記 |
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