ガン病棟からの脱出

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新たなる勝利者たち

家族の絆

       大阪在住主婦46歳ステージIII

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ケモラジ治療が新しい人生を与えてくれた
おまけの人生と思えば、生きていること自体に感謝できる

○はじめに
大阪在住の主婦46歳(当時) 家族は主人、娘、息子の4人家族
食道癌ステージ3 告知2002年2月 地元病院にて
国立がんセンター東病院 入院3月(1クール)から7月(4クール)
主治医 消化器科 大津敦医師 
これを書くにあたって、命の恩人 主幹・オミノさん、大津先生をはじめ東病院の方々、ご主人が大変な時にも関わらず親身になってアドバイスくださったSさん、心より感謝しております。本当にありがとうございました。そして、私の主人と子供達の行動力に敬服いたします。
  
○始まり
2002年2月はじめ、娘とレストランでランチを・・・ 一口目に突然、喉元がトランポリンになったかのように、食べ物が口から飛び出た。その日から呑み込むことが困難になり、1ヶ月ほど過ぎる頃には水分もまさしく噴水状態に。

ついに日頃お世話になっている病院へ主人に連行され内視鏡検査をする。「食道に潰瘍のようなものが見えるので、念のため超音波内視鏡をします。」という医師の様子から、主人はこの時点で怪しいと感じ、娘と一緒に食道癌についてインターネットなどで調べたり、大学病院をまわったりしだした。

主治医には、くれぐれもどんな治療も始めないようにと釘をさしていた。主治医は、放射線を始めればともかくは癌は小さくなり食事ができるようになるからと、放射線治療を開始したがっていた。私の方はそんなこととはつゆ知らず、のらりくらりの検査入院生活、とはいえ栄養剤の点滴(IVH)が嫌で、運ばれてくる食事を何時間もかけて食べ、水分は細いストローでゆっくり飲み、一日中食事中といった感じで、二週間が過ぎた。

細胞検査の結果と今後の治療についてということで主治医と面談--- もうこの時には、このサイトに出会い、主幹・オミノさんとのやりとりで、かなりの情報を頂いていた主人の腹は既に決まっており、医師との話もついていた。「食道のガンです。うちでは抗癌剤と放射線で小さくしてから手術するのがベストだと考えますが、ご主人は千葉の病院での治療を希望していて、もう向こうに検査結果など資料は持って行かれており、明日ここを退院して、あさって向こうに入院のため発たれるそうです。」

何のことか直には理解できなかった。段取りの良さというか、この強引さ。(なんで?なんで千葉やねん?東京やったら解るけど、大阪より田舎ちゃうん?なんでやねん!)この答えは東病院に行って大津先生に会ってすぐ解った。

主人や子供達は2週間という短い期間にできうる限りの情報を集めるべく、走り回り、何度も家族会議をして私にとって1番の方法は何かを一生懸命模索してくれていたのだ。私としてもドラマや映画みたいに悲劇のヒロインよろしくしている場合ではなかった。ただ、家族に、主人に申し訳ない。これはもうついて行くしかない・・・てな訳で、この時から、たぶん大津先生から「またできてます」の言葉を聞くまで病気に関して自意識不明状態を決め込む。自分では何も考えずにいることが一番のような気になった。今は主人の言うとうり、医師の言うとうり、看護士さんの言うとうり、良い患者でいることが家族も自分も楽になれるように思えた。

○そして、東病院へ
主人の運転する車で娘と3人で千葉へ向かった。(主人は仕事を休業して最後まで付き合ってくれることになる) 道中、東病院より携帯に連絡が入る。「明日入院予約されてますが、病室が詰まってまして、明後日には5万円の病室なら空くんですけど」もう名古屋まで来てるので、引き返す気にはならず、ホテルを2日予約する。高額な部屋代も緊急入院の手段としては仕方がない。多くの患者さん達が今か今かと入院を待っているのが現実だ。心配は私が食べられないことと、熱があること、背中の痛みがきついこと。大阪の病院で貰ってきた座薬が役に立ったが、その痛み止めの効く間隔がだんだん短くなってくるので、ホテルでの2日間は主人にとって地獄のようだったという。
入院、知らない土地で心細いのでという理由で、婦長さんに陳情書を提出して少しの間付き添いを認めてもらえるが、その後主人はウィークリーマンションから通うことになる。(1・2クール共 3・4クールはホテルや健康ランドを利用)

<1クール>
治療が始まってすぐ、抗癌剤の点滴に入っているビタジェクトに反応し身体中にジンマシンが出るが、薬を変えてもらい即解決。また、プリンペランという吐き気止めを点滴すると、気分がソワソワして、いてもたってもいられなくなるが、30分の点滴なのでこれは辛抱する。口内炎予防ののため1日5回イソジンでうがいをする。抗癌剤の点滴は5日間注しっぱなしだが、毎日のシャワーの時は解放してくれるので1日1時間は自由の身。

放射線と抗癌剤が5日間続いた後休憩が48時間あるので外出や外泊を勧めてくれる。千葉や東京、その周辺の本を買い込み遠足気分で、九十九里浜の鰯料理や横浜の中華街へ。横浜で少し貧血気味になったが特に問題無し。3週目は放射線のみの治療となるので、退院してウィークリーマンションより通院する。放射線治療は朝一番(9:00から9:30)に予約すると10時にはフリーになる。あの寅さんの柴又で団子を買い江戸川を散歩し蕎麦をすする。草加に煎餅を買いに行く。

<2クール>
入院したものの白血球が足らなくて治療開始が二日延びる。(2500以上がOKなのに2200 惜しい!)プリンペランの件、看護士さんに訴えてみたところ「そうなる患者さんもいるんですよ。明日から入れませんね。吐き気があるようでしたら別の薬をいれます」と簡単に解決、別に吐き気も無し。こんなことやったら、もっと早よ言うたら良かった。(教訓 困ったこと、気になること、どんなことでも聞いてみよう)

今回の休憩は、埼玉の温泉、水戸や栃木の陶器市、国技館の相撲観戦や浅草の鰻と遠足は続く。
しかし、放射線や抗癌剤が身体に溜る分、副作用も追いかけてくる。胸にあてた放射線が背中にまで貫通しているのか背中が火傷のように爛れてきた。退院してから、胃痛がひどく胸が苦しいので胃薬3種類と食道の炎症を和らげる2種類の飲み薬を貰う(これは最終まで飲むことになる)。このクールで放射線は終了。60グレイ照射で、私の食道にはもう今後あてることはできないらしい。実感はわかないが・・・。

<3クール>
今回は地元の病院で血液検査してから千葉に向かう。(ちょっとは賢くなった?)
治療前の内視鏡で「CTと内視鏡では確認できませんでした」と大津先生。一応この時点で消滅したことになる。主人の笑顔が私を不安にさせた。(ホンマやろか?)このクールと4クールは一週間の抗癌剤治療のみ。

オミノさんが病室を訪ねてくれた。知的でカッコイイ!素敵な紳士でびっくり!(ネットマニアのおたくでは?と、少し想像していたので・・・ごめんなさい!)
*幾つになってもヨイショは嬉しいものです(^_^)...主幹談
内視鏡の結果をとても喜んでいただく。また、怪し気な健康食品やサプリメントには注意するようにとアドバイスいただく。(実は家に友人から貰ったアガリクスがあるが、それだけはありがたく飲むことにし、自分では買わんとこと決心する)

退院して大阪に帰る途中、沼津に鯵の開きを買いに寄る。お昼を食べるが、なんか口の中がおかしい。次の日から考えられないような口内炎が口の中一杯に・・喉の方まで腫れ上がっている。歯が磨けないのはもちろん、食事も飲み物も入りにくい。私の場合はよだれがダラダラ出てくる(臭い!)ので寝る時はタオルを口元に敷いていた。

主人が大津先生に毎日のように電話する。「問題ないです。1週間もすれば治りますから」と、まるで問題にしてくれない。塗り薬があるようなので名前を聞いて地元の病院で貰う。ズバリ!1週間を過ぎた頃治まりはじめるが、今度は髪の毛が目に見えて抜け始める。「また生えるから」と主人や家族達は慰めてくれる。それほど気にはならなかったが、映画・13日の金曜日のジェイソンになりそうな頭を見られるのが嫌でバンダナを巻く。少し体調がおもわしくないが、4クール前なので地元の病院に血液検査に行く、白血球が800しかないと言われ、別の病院で白血球を上げる点滴をしてもらう。東病院に連絡すると大津チームの服部先生が対応してくれる「予定どうり治療をした方が良いので予定どうり来てください」。
4クールに向かう前日、父親が倒れ主人と病院へ運ぶ、病院で先の主治医とバッタリ会うが元気そうな私を見てビックリしていた。
父は心筋梗塞と診断されICUへ。

<4クール>
千葉には予定通り向かったが、その夜半、父死亡の知らせが入る。しかも、治療前の内視鏡では「またできてます」と宣告される。(踏んだり蹴ったりとはこのことや・・)まるで他人事のように思った。主人はお通夜のために大阪へとんぼ帰り。ガンを告知されてから初めて涙が溢れてきた。(この時、自意識不明の魔法がとけた)

「細胞検査の結果が出次第、外科の医師も含めて話をしましょう」と、大津先生とその一味が毎朝夕の回診の時に言う。しつこいくらい!手術するなら4クールは無駄になる筈なのに、治療は最後まですることになった。頭の方は殆どハゲになる。(大津先生は多分髪は大丈夫でしょうって言うてはったのに・・・。でも抜けてるのを見て「ごめんなさいね」って言ってくれた。いえいえ、先生のせいじゃござんせん。)口内炎ができてきたので紫色のうがい薬を貰う。
なぜかはじめて展望風呂に行こうと思う。お風呂もお湯もとても綺麗で、窓からは雄大に拡がる筑波山系。気持ちが和らいでいくのを感じた。(もっと早くからこのお風呂に入ればよかった・・・)

検査結果の日、「癌細胞は見つかりませんでしたので、2週間後に再検査をします」ということなので、即日退院し、逃げるように大阪へ帰る。退院する度に薬が重くなる。今回は口内炎用の麻酔薬を貰ったが、感覚が麻痺するので口の中を噛んでしまいやすい。胃痛を押さえるために処方されていたモルヒネのレペタン座薬もためすが口内炎には効果がなかった。主人が他の病院のHPでポンタール(鎮痛解熱剤)を10倍に薄めてうがいすると効果的だという情報を入手。これはなかなか良い方法で、口内炎にいじめられている人には絶対お薦め!!!

○退院してから
2週間後の再検査、4クールを遂行したにもかかわらず「前回より大きくなっているので、今日時間があれば外科的なお話をしたい」それを聞いた私達は申し合わせたように「1週間後の細胞検査の結果の時までお話は延ばしてください」と言う。(心のどこかで、また癌細胞見つかれへんかも・・と絶対口に出してはいけない期待が二人ともにあった)
大津先生「それが、また癌細胞は見つかりませんでした。もう1度検査ということに・・ スミマセン」
主  人「じゃあ、大津先生が内視鏡してください」
大津先生「そうしましょう」

更に2週間後、大津先生による再々検査、そして1週間後の検査結果、更なる運命の日
大津先生「綺麗になってきてますし、細胞検査もOKですので、暫くは様子見ということにしましょう」
そして10月、検査に向かう途中、あつかましくも神奈川のSさん宅に寄る。東富士五湖道路の素晴らしい景色、富士山の裾野に拡がるススキの海・・・。でも何よりも私達は元気なご主人の姿に感動した。つい今しがた見た富士山のように、優しく大らかで、とても病人とは思えないぐらい凛とされている。お見舞いがてらの筈がこちらが元気を一杯頂いた。

翌日、頂いた元気に弾みをつけて東病院へ、一応3ヶ月後(消滅から?)の検査となる
大津先生「綺麗になってますので、検査結果は電話でいいでしょう」
主  人「再発防止に何か注意することありますか?」
大津先生「食べてください」(おかげさまで、入院からこっち9Kgも太った)
7月から3ヶ月間グレーゾーンで苦しんだものの何とか白になり、ひとつの高いハードルを超えることができた。「やったー!」とか、「バンザイ!」ではなく、二人で大きな深呼吸をして終了となる。

○これから
以上が私の治療の歩みです。もう既に次の検査まで1ヶ月余りしかありません。消滅期間は治療開始の時から数えるそうで、私の場合、前の検査の時点で7ヶ月目になった訳です。一時は人生の終わりを感じていたので、今は第2の人生を与えてもらった歓びと同時に、いつ終わるか分らないという恐怖があるから、たとえ再発しても決して諦めず、カッコ悪くても、どんなに辛くても、ジタバタ命乞いをしてでも、今を生きようと思えるのです。それはある意味、患者本人より遥かに超える苦しみや悲しみを、主人や家族に与えてしまった私の責任です。
癌になって良かったといえば問題ですが、得したことは、オミノさんやSさん達と知り合えたこと。それとこの歳でドライビングスクールへ通ってること。今更運転しようなんて健康な時には考えもしなかったのに・・ 今度は主人が倒れるかも分らないから、その時は私が素晴らしい病院を探して、私の運転でどんなに遠い所にでも走って行きます。(主人曰く「病院に着かれへんかったらアカンから、自分で運転する」なんて失礼な!)ともかく、東病院の病室の窓から見える教習所を眺めながら(なんで、免許取っとけへんかったんやろ)と、何故かそれだけがやり残していたことのように後悔していたのと、皆への感謝の気持ちを忘れないように必ず免許を手にし、これは大切なお守りにします。(ちなみに、私の治療が長引いたのと遠足に行き過ぎたので、主人は通算20000キロ走ったのでした。ご苦労様。)
検査が近付くとやはり緊張しますが、普段は病気になる以前よりクォリティの高い生活を送っています。このサイトに出会えなかったら今の私達はありません。この御恩は、同じような病気に怯える人達に少しでも返していこうと思っています。これを読んでいる方は、癌と告知され、後ろにも前にも行けず苦悩の中に陥っている、本人または家族であると思います。 本当にありがとうございました。

page uploaded 2002/12/14

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