【食道狭窄との戦い】
『時空を超えて!』の第一弾では、「順調に行けば、拡張術を5、6回繰り返すことで狭窄が止まるらしいので、2002年3月末頃には、完全に回復する予定である。」と書いたものの、食道拡張術10回を越えても完全には回復しなかった。
しかしながら、ゆっくり良く噛んで食べれば問題なし。10回目までは2週間に1回の拡張術を受けていたが、それ以降は検診のついでに行うことにする。職業柄、食べる速度がとにかく速かった。食べる速度を人並みに落とすことにして、完全な回復については諦めることにする。2003年3月の検診時に行った拡張術が最後となった。今日でも、人並みにゆっくり食べることを意識しないと喉(胸?)が詰まるが、注意すれば生活には支障がない。
【新たな食道癌との戦い】
2002年7月に行った東病院での定期検診で、新たな食道癌が数個発見される。直径が1〜1.5Cm程度。私の食道癌は、食道内に「前癌細胞」が多数あり、それらが成長してやがて癌として識別される「多発性食道癌」らしい。
早期発見、早期治療に成功すれば問題ないとは言われていたものの、あまりにも早い再発に不安を感じる。最初の内視鏡的粘膜切除術(EMR)の段階で、既に癌は存在していたのではないだろうか。
月末、東病院へ入院し内視鏡的粘膜切除術(EMR)を行う。今回は、たった3日間の入院。
【食道癌のSM浸潤と下咽喉癌の発見】
2002年8月、前回に切除した細胞の検査結果が判明。癌がやや深い層まで達しているとのこと。「SM浸潤」という段階らしい。武藤先生から、食道壁を突破して他の臓器へ転移する確率が15%あるとの説明を受ける。
念のため、分解能が高い内視鏡を使用して咽喉を検査。下咽喉に小さな癌が見つかる。ショック。下咽喉に発生する癌が小さな段階で見つかるのは非常に珍しいらしく、新たな癌の発見について悩むよりは、運良く早期発見できたことを喜ぶべきらしい。
「先ず下咽喉癌を内視鏡による部分切除術で取り、続いてSM浸潤の食道ガンに対しては放射線と抗癌剤の併用療法で対処」する旨、武藤先生から懇切丁寧な説明を受ける。このホームページに頻繁に登場する放射線と抗癌剤の併用療法を受けることとなり、事態の深刻さを痛感。
【下咽喉癌との戦い】
2002年9月、下咽喉癌の内視鏡部分切除術のため入院。咽喉は痛みに敏感であるため、内視鏡による切除といえども全身麻酔下で行うとのこと。
過去2回入院した内科ではなく、首から上を対象とする「頭頸科」へ入院。病院の指示に従い、手術に必要なフンドシやらユカタやらを準備。武藤先生から、「切除に伴う咽喉の腫れがひどい場合は、一時的な呼吸機能を確保するため喉に穴を空ける。その場合、入院期間が少し長引く」という旨の説明を受ける。全身麻酔についても詳しい説明を受ける。食道の内視鏡的粘膜切除術(EMR)とは違い、本格的な手術の態勢下で行うことが理解できた。
切除術の担当が武藤先生であったこともあり、初めての全身麻酔下の処置にもかかわらず安心感が。手術室の看護婦さんと、「緊張していらっしゃいますね。」、「いや、全然・・。」と会話したのを最後に、以後の記憶は全くない。気が付いたら全てが終わっていた。喉へ穴を開ける必要はなかったことが分かり、ほっとする。麻酔が覚めるに従い、喉の痛みや熱感が増してくる。尿管には、排尿のための管が通されていて、動くたびに痛い。管は2、3日で抜かれたが、約2週間の入院のうち一番辛かった。
しかし、頭の中は、本命の次の治療のことで一杯。
【SM浸潤との戦い】
2002年9月、SM浸潤の食道ガンへ放射線と抗癌剤の併用で対処するため入院。大きい癌を消滅させるのではなく、SM浸潤した微細な癌を退治するものであるため、比較的軽い併用療法を選択するとのこと。抗癌剤は「5FU」と「シスプラチン」。その名前は、オミノさんのホームページで何度か読み既に頭に入っていた。放射線の量は、通常の2/3の40グレイ。
治療全般の状況は、次のとおりであった。
9月27日 〜10月9日: 入院(放射線・抗癌剤)
10月10日〜29日 : 通院(放射線)
11月1日 〜11日 : 入院(放射線・抗癌剤)
放射線と抗癌剤の影響として、吐き気、しゃっくり、頻尿、脱毛、白髪化及び白血球の減少を一通り経験した。最も辛かったのは、2回目の入院時の抗癌剤による吐き気であった。最後の1週間と退院後の数日間は、ほとんど食べれず、体重がかなり落ちた。また、入院時の頻尿(昼夜を問わず1回/1〜2時間)については、頻尿自体より排尿時のトイレの臭いにより吐き気に襲われる方が辛かった。これ以外については、我慢の範囲。
細部については、オミノさんのホームページの紹介記事とほとんど同じであるので、省略させて頂く。
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