ガン病棟からの脱出

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新たなる勝利者たち

六十九歳ステージII、食道ガン闘病記録

              ○○○病院あてにならず これまで戴いたメールもご参考下さい)

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プロローグ(2001/11/05)
3月末 T病院で食道がんの診断を受けてから、手術だけはしたくないと温熱療法、健康食品放射線治療など様々な本や情報の海をさまよいました。
あれこれ迷ったのですが、放射線治療に傾き陽子線装置のあるがんセンター東病院がいいかと思っているとき、息子がインターネットでオミノさんの、「ガン病棟からの脱出」を見つけてくれたので腹が決まりました。陽子線のほうはT病院を変わる口実としては役に立ちましたが、大津先生には食道がんには使えないとの事で拒否されました。従って治療は皆さんと同じようにマイクロンとシスプラチン+5FUです。結構つらい思いをしましたが、治療中にも「ガン病棟からの脱出」を随時参考にさせていただき大変助かりました。遅まきながら心からお礼申し上げます。

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1月か2月頃から時々食べ物が喉につかえるようなことがあり、又酸味の有るものが胸にしみる事もあった。

3月26日(月)
T病院・U部長に診てもらう。食道がんが心配―という当方の質問に、首のあたりのリンパ腺を触ってみて「大丈夫でしょう。めったにある病気ではないし。まあ念のため内視鏡だけやっておきましょう。」

3月30日(金)
同病院で内視鏡検査。H医師曰く「残念ながら食道にがんがあります。入口から25cmの所と胃の入口から10cmくらい上と2箇所です。詳しくはU先生に聞いてください。」

4月16日(月)
U部長「残念ながら食道がんです。標準的には手術で治療します。」看護婦さんに命じて、CT, バリウム検査、入院予約等の手続きが進められる。ステージは?内視鏡で取ることは出来ないかの質問に「今の段階でステージは一寸言えない。内視鏡で取るのは無理。」
との返事。

4月20日(金)
バリウム検査。このままT病院に頼むか、がんセンター東病院にするか思い悩む。U部長に 紹介してくれたA氏(初代院長)の立場、U部長の面子etc.etc.

4月23日(月)
転院につき了解を得るため、思い切ってA氏に電話。がんセンターへ、と言うとこころよく了解して貰えたが、東病院の方と言うと一寸意外そうであった。
続いてU部長に電話、東病院への紹介状を依頼。放射線で冶したい、ついては陽子線装置のある東病院へ―と言う当方の言い分に「放射線治療は本院でも出来る。陽子線 については、東病院の先生方とも研究会をやっているが食道がんには使えないと言う結論が出ている。」とご機嫌斜めであったが、A氏の了解も得ているのでと強引に頼み引き受けてもらう。

4月24日(火)
U部長に紹介状と関係資料をもらう。「そんなに切るのが嫌ですか。まあ、尊敬できる病院だから紹介状は書きましたが―」と一言あり。

4月25日(水)
東病院大津先生に相談。紹介状と関係資料を見て大体のことはわかった様子で、中程度の進行、ステージ2か3くらいかとのこと。放射線と抗癌剤併用治療の概要とその得失につき説明有り。納得してお願いする。早速翌日の検査を手配。

4月26日(木)
同院にて諸検査。入院申し込み。

5月8日(火)
入院。大津先生より4月26日の検査結果を踏まえ,「ステージは2.患部が広い範囲にわたっているので、放射線は60グレイの内40グレイを広い範囲に、20グレイを中心部に当てる。照射範囲が広い分、食道炎など副作用が強く出る可能性がある。食道下部の病巣は浅いので残った場合は内視鏡でとる事もできると思う。」との説明あり。

5月14日(月)〜5月18日(金)1st kur 1st week 放射線+抗癌剤2日目15日夜からシャックリが出始め,全治療期間を通じ悩まされる。

5月21日(月)〜5月25日(金)1st kur 2nd week 放射線+抗癌剤吐き気、喉の痛み、口内炎 だんだんひどくなる

5月28日(月)―6月1日(金)1st kur 3rd week 放射線のみ
同上

6月2日(土)
退院、帰宅。夜発熱―38.5度。東病院へ電話緊急に解熱剤をもらう。

6月4日(月)
引続き熱下がらず、近隣の病院へ入院。解熱剤、白血球増強剤を点滴。翌日退院。

6月15日(金)
東病院再入院。

6月18日(月)―6月22日(金)2nd kur 1st week 放射線+抗癌剤
6月18日CT,内視鏡検査。内視鏡の目視では非常にきれいになっているとの事。

6月25日(月)〜6月29日(金)2nd kur 2nd week 放射線+抗癌剤
18日の検査で採取した組織にがん細胞は見当たらず―大津先生。今日から放射線は
斜め方向から。

6月30日(土)
昨日で抗癌剤の点滴が終わったので、頚部に入れていた針を抜く。上部の病巣は食道の入口だったので、喉に放射線をたっぷりかけたため首の周りの皮膚が剥けていてひどく痛む

7月1日 (日)
見舞い客と2−3時間過ごした疲れが出たのか、夜、急に発熱。最高39.8度。

7月2日(月)
解熱剤のおかげで日中は平熱。放射線治療のみの2nd kur 3rd weekにはいる。
夜、又高熱を発す。又39.8度!

7月3日(火)
早朝から熱あり―38度台。
発熱対策のためペントシリンの点滴開始。
放射線治療中止。
大津先生「(放射線は)充分入っているから焦らなくてもいい。」又、「良い所まで来ているから時間をかけてもやっていこう。」

7月4日(水)
平熱に戻るもペントシリン点滴続行。
放射線治療再開。口内炎、咳の苦痛甚だしい。

7月5日(木)
早朝より発熱―38度超。喉の痛みもピークに達す。放射線治療中止を依頼。
一日中咳と痰に悩まされる。

7月6日(金)
朝から37度台の熱が続き夕方には38〜39度まであがる。
今日も放射線治療は中止。大津先生「放射線の方と今後の方針について相談する。」

7月7日(土)
高熱が続く。喉の痛みますます激しく痰に血が混じる。
X-ray透視検査、肺炎はシロ。
食事禁止。点滴で抗生物質と栄養補給をする。

7月8日(日)
熱はやや収まり37度台に終始。断食、点滴は前日同様。

7月9日(月)
大津先生「放射線科と相談したが、『50grey以上入っているので大丈夫だろう。』と言うことなので、副作用もひどいからこれ以上はやらないことにした。」
「3週間くらいして喉が痛くなくなったら、内視鏡で治療効果を見よう。抗癌剤だけの再入院治療は、一応予定しているが、今はまだ決めてない。」
結局、第二クールの放射線治療は12回、24grey やっただけで終わり。これで良いのか多少不安は残るが、あんまり辛く苦しいのでいので、正直な所ほっとする。

7月10日(火)
ようやく平熱に戻り、点滴を止め昼食から食事(かゆ)。
喉の痛みなどは相変わらず。

7月11日(水)
朝から37.5〜7度の微熱が続きショック。大津先生に、抗生物質の点滴を止めたのが早過ぎたのではないか―と聞くが,問題にされず。

7月12日(木)
平熱に戻る。採血検査。
大津先生「血液検査の結果は良いので明日退院してもけっこうです。」
熱は下がったが、喉の痛み、咳は相変わらず。患部が上のほうなのでしっかり喉に放射線をかけられられた結果、声帯のダメッジ大きく声がほとんど出ない。

7月13日(金)
退院。

8月6日(月)
通院で検査―CT+内視鏡。大切な検査なので念入りにやります、との事で今までで一番苦しい。担当は山下医師で「きれいです。大丈夫と思いますよ。」とのこと。

8月9日(木)
再入院。これから一週間(実質5日間)の抗癌剤点滴注入が始まる。7月13日退院後約一ヶ月、喉の痛みはとれず咳もひどく眠れない日が続いた。点滴でもっとひどくなるかと思うと憂鬱になる。

8月10日(金)
点滴開始。針がなかなか入らず、3回目でやっと成功。今までに比べ、シスプラチンは倍増その他は変らず。
喉の痛み多少軽減。

8月11日(土)
山下医師回診。「組織検査の結果はシロ、がん細胞は見当たらず。」との事、
万歳!!

8月12日(日)
咳も軽減、楽になってきたが代わりにシャックリと吐き気が出てきた。

8月13日(月)
吐き気強くなり時々吐く。左腕点滴液漏れ有り針を右腕に刺しかえる。

8月15日(水)
午前中で点滴完了、午後退院。
今回は、喉の痛みと咳が軽減した分吐き気が強く、毎日(量は多くないが)吐かない日は無い有様で、やはり苦しい一週間だった。

8月29日(水)
東病院。血液検査と大津先生の問診。8月6日の内視鏡検査の結果は全く問題なしとの事。
15日に退院してからの2週間は激しい口内炎と、喉の痛みというかヒリツキに苦しめられた。咳が収まってきたので夜眠れるようになり救われている。

9月7日(金)
4回目の入院。即日点滴開始。

9月11日(火)
点滴終了。今回の一週間はもっぱら吐き気に苦しめられた。8月の治療から3週間しかたっていないので累積による強い副作用を恐れていたが,案ずるほどのことは無かった。

9月12日(水)
退院。とにかくこれで全行程終了。めでたく60%の成功者の仲間入りできるだろうか。
今までの大津先生の話では上手くいっているように思えるがどうか。命拾いしてみれば、苦しかった日々も懐かしい思い出となるか―。

10月10日(水)
東病院。血液検査+CT+内視鏡検査。担当医師は、「殆どわからないよ。」
「非常に良くなっている。」と言う。「入口から25センチだったかな―」などと同僚に位置を再確認しながら検査しているので,見分けがつかないくらいきれいになっているんだなとうれしくなる。しかし、ルゴール噴射後3箇所ばかり組織をとり生検にまわすと言う。
染まっていませんか―と小生。「うん、でも白く抜けた所が全部ガンと言うことはありえないから―。」と医師。そういわれても心は落ち着かない。

9月12日に退院してからは、いつものように咳と口内炎に悩まされたが、それよりもショックだったのは大量の脱毛に見舞われたこと。それまで脱毛の気配は無かったので楽観していた所へ9月28日突如発生。以後三日おきくらいに洗髪する度に、八百から千本くらい抜けて見る見る地肌もあらわなありさまになった。無残なり。
主幹注:だからロゲイン買ってね!

10月19日(金)
東病院。大津先生面談。10月10日の組織検査の結果はセイフ。やった!助かった!
喉のヒリツキと声のしゃがれが気になるので相談。頭頚科で見てもらうことになる。
頭頚科羽田医師「何も異常はありませんよ。放射線治療後には良くあることです。」
声がしゃがれているのは、放射線の影響で声帯が痩せたからとの事。回復の可能性については、「病気でなくても加齢に伴い痩せてくる時期ですからね―」と元気の出るような返事はなかった。
なんとかして以前の美声(?)をとりもどそう。

次回は来年1月下旬、以降三ないし四ヶ月ごとに検査を受けることになる由。

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追伸(2001/11/24受信)

オミノ 様

mail、有難うございました。大事なことを忘れていました。四月二十五日に大津先生にお会いしたとき、小生のがんは食道の入り口にあるので、手術 の場合食道の再建が胃だけでは間に合わず小腸の一部をとって継ぎ足す必要があるとの事でした。
手術絶対忌避の意思がさらに固まりました。

また、記録では特に触れませんでしたが、東病院の医師、看護婦の皆さんが 本当に良い方々で、辛い中でも、いたわられ励ましを受けなんとか闘病を続けることが出来ました。病院自体の設備もよく環境にも恵まれ、あらゆる意味で東病院を選んで正解だったと思います。

小生、年齢は69歳(1931年12月生まれ)。1955年から1999年まで金融機関に勤めていました。

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