ガン病棟からの脱出

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単身赴任者の闘病記
五十五歳ステージI、男性

03年3月4日の診察で癌と診断されてから03年10月30日食道癌消失までの記録

昭和23年生まれ55歳の男です。
家族は82歳の母 妻 長男(以上新潟の家にいます)次男(東京にいます)の5人家族。
私は長年 新潟県の機械メーカで主に設計を担当しています。
思えば02年夏頃から食道になんとなく違和感がありました。
02年9月 会社の健康診断時 医師にその旨相談をしたら「レントゲン撮影時話をすればそこを狙って撮るので話をしてください」との事。そんなことで本当に判るのかなと思いながら指示通りにしたが結果は異常なし。

02年11月 東京(事務所は新宿)に転勤 単身赴任を始めることになりました。
8年前 同じ新宿の勤務で単身赴任をしたことがあります。期間は2年半。
前回のときは通勤に1時間ほどかかった。今度は通勤に時間をかけたくないので、新宿でマンションを借りました。

03年1月 従兄弟が直腸癌で死亡。48歳。あまりにも若い死に呆然とした。
(従兄弟は3年前に直腸癌発見。発見が遅くすでに肝臓に転移しており、まず直腸の手術、2ヵ月後に肝臓の手術を行った。医師から3年と言われていてその通りに逝ってしまった。)
葬儀の時私が親戚代表の挨拶をしたがいたたまれません。歳も近かったため小さい時から一緒に育ったようなもの。
私もなんとなく食道に違和感があり不安があったので‘検査を受ける必要があるな’とは思っていたのですが、グズグズしていました。
3月4日(火曜日)会社の近くの診療所で診察を受けることにし、内科で診察を受けようと思い行ったが、当日は内科が混んでいて、まず耳鼻咽喉科で受診、次に内科ということになりました。
耳鼻咽喉科のS先生の診察 鼻 喉の内視鏡検査。結果異常なし。血液検査をすることになったが「念のため」といいながら腫瘍マーカであるSCCを追加してくれました。(結果としてはこれが食道癌の早期発見につながった。)
次に内科のY先生の診察 喉に効くという漢方を処方してもらいしばらく様子を見る。

3月11日(火曜日) S先生の診察 前回の検査結果について。
「血液検査の結果は異常無し」と言った後で「そういえば検査項目にSCCを追加していたよね」と言ってSCCの値を見たら4.4とのこと。「正常値は1.5以下であり癌の可能性有り」。
肺のCT 上部消化管内視鏡検査を受けることになる。腫瘍マーカとは何かも判らずインターネットで調べました。

3月12日(水曜日)肺のCT検査

3月18日(火曜日)B先生による上部消化管内視鏡検査。食道から生検用の組織も採取。
B先生の所見では「早期の食道癌。癌はM3(粘膜を3層に分けそのうちの最下層)から粘膜下層まで行っている可能性あり」とのこと。
「組織検査の結果で癌であるか否かが判る。また治療方針もはっきりする。肺のCT検査の結果 肺に癌は無い」とのこと。自分が癌であることを告げられ、何も考えることできず。
いったん会社に戻ったが仕事にはならず、今後どうしたらよいかも判らず、夕方再度B先生に話しを聞きに行った。B先生の話によれば「マンションが新宿であれば食道癌に良いのは都立K病院か、がんセンター中央病院、新潟は良くわからないが癌を専門に治療しているところが良いのではないか。紹介状はどこにでも書きます」とのこと。
会社に戻り上司に報告。同僚、取引先には内密にしてもらうことにした。
(これから治療を受けるにあたって“お見舞い”と言うわずらわしいことはなるべく排除し、徹底的に癌と戦って癌に勝つ との強い意志が必要と思いました。)
帰ってからインターネットで癌について調べ出した。まさか自分が癌になるということは考えもしなかったのでまったく知識が有りません。食道癌は調べれば調べる程大変な癌だということが判り、死ということを真剣に考えた一方、このオミノさんのホームページを知ることができ、非常に勇気づけられました。
また各種本を買って癌について読み漁りました。私は酒もタバコもやります。酒は弱いのですが毎日飲んでいましたし、タバコは1日30本くらい。食道癌は酒を飲み、タバコを吸う人がなりやすいと判り、この日以降一切酒は飲まなくなりました。ただタバコはなかなか止められません。
大きな関心事のひとつは食事について。何しろ単身赴任であり、自分で食事の準備をしなければならない身とあっては切実なこと。実行したことは デザイナーズフーズの考えに則って野菜中心の食事にしました。たんぱく質も肉ではなく魚からとる。
一人で癌と向き合うことになり、単身赴任のつらさを心底感じた半面、もし東京に転勤にならず工場にいたら未だ癌であることにも気がつかず、気がついたら手遅れになっていたということが考えられるために、果たしてどちらが良かったのやら。かえって今の方が良い治療を受けることができる可能性が高く、良かったのかもしれない。
学校を卒業して会社に入ってから精一杯働いてきて、紆余曲折はあったが大体は思うようにやってきたのに、自分の意思ではどうにもならないことに打ち当たってしまったことを痛感し、そういえば過去にもこんなことがあったと思い出した。
1回目 中学卒業時に父の勤務する会社の業績が悪くなり、大学までやることができないとのことで工業高校に入ったこと。
2回目 大学受験のときに東大に入れる可能性があるところまで成績はいったのに、東大が試験を行わなかったこと。
3回目 大学3年のときに父が死亡し就職したいと思っていたところに就職できず今の会社に就職したこと。
ただ今回は今までとはまったく違う。治療いかんによっては敗者復活戦は無いかもしれない。
‘何がなにやら判らずに’という状況は3月18日の1日のみでした。あとは家族 仕事のことを思い‘何が何でも治さなければ’と癌に立ち向かう気分で過ごすことができました。
また単身赴任とはいえ仕事柄しょっちゅう工場に行かなければならず、その都度家に帰って家族と過ごすことができたのも幸いといえると思います。

3月25日(火曜日)B先生「組織検査の結果は癌。ステージ1でリンパ節への転移がある確率は20%。治療方法としては内視鏡もあるが内視鏡での手術が行えるかどうかは今のところ判らない。内視鏡が適用できないときは手術か放射線化学療法がある」。私「内視鏡が駄目なら放射線化学療法で治したい。がんセンター東病院で治療を受けたい。」
B先生「がんセンター中央病院でも同じ。がんセンター中央病院にも、がんセンター東病院の大津先生と一緒に放射線化学療法を行っていた人がいるので、がんセンター東病院まで行くことは無い」との話。(この時点ではB先生も都立K病院は積極的に紹介してくれなかった。K病院が良いと言うのは食道癌の内視鏡手術でM先生がいるからとのこと。)
結論として、がんセンター中央病院で治療を受けることにし、紹介状を書いていただいた。

なお私の地元である新潟大学では未だ食道癌は手術です。医師の卵である姪の情報。

3月26日(水曜日)がんセンター中央病院に電話をし、室先生の診察日を聞く。明日27日とのこと。

3月27日(木曜日)がんセンター中央病院に8時30分着。消化管内科の室先生の診察を希望した。手続きを済ませ待っていると受付の人が「消化管外科の診察を受けては」と言ってきた。こんなところに行ったのでは手術をされてしまう。あくまで室先生の診察を希望した(うっかりしているとえらいことになる)。
一方 室先生は紹介状を読んで診察の前にできる限りの検査を手配してくれたよう。胸・お腹のレントゲン、胸・お腹のCT、血液、尿、心電図。検査終了 午後1時30分。
受付に行って「まず食事をしてきたいのだが」と言うと「室先生が待っている」とのことですぐに診察。室先生の話では「内視鏡的に処置ができれば内視鏡で、難しければ放射線化学療法を行う。手術は最後の手段として考える。」とのこと。
診察のときに、がんセンター東病院で大津先生と一緒だったことや、B先生と一緒だったことも話してくださり、任せて良いと思った。

3月28日(金曜日) 内視鏡検査 

4月1日(火曜日) 超音波内視鏡検査 午後室先生の診察
結果は「食道癌のステージ1。癌の大きさは縦3CM、横1.5CM。食道の中央から下の方 粘膜下層までで止っている。リンパ節転移は無い。肺 肝臓 胃等に癌は無い」とのこと。「ただ胸のCTの結果は胸骨の後ろに何かありそう。念のため2日に行われるカンファレンスにかける。喉頭癌のリンパ節転移かもしれないので3日に耳鼻咽喉科で検査を受けるように。4月21日から治療を開始できるように入院と放射線科の予約をしてある」とのこと。

4月3日(木曜日) 耳鼻咽喉科O先生による鼻からの内視鏡検査。「異常は無いようだ」。

4月8日(火曜日) 耳鼻咽喉科O先生による口からの内視鏡検査。「異常は無い」。
室先生の診察「カンファレンスの結果は良性であり気にしなくて良い」。治療方法は使用する抗癌剤 5FUとシスプラチン。抗癌剤投与を行う時期が第1週と第5週の2回のみ。抗癌剤投与を行うときは入院、放射線照射のときは通院でありここも同じ。

4月14日(月曜日) この、がんセンター中央病院の治療で本当に良いのかどうか悩みに悩んだあげく自分では結論が出せず、オミノ氏に始めてメール連絡をした。それも夜中の1時前。
翌朝(4月15日 火曜日)メールを開いて驚いた。オミノ氏から連絡が入っている。「自分で納得できる治療を受けよ」とのアドバイス。がんセンター東病院でセカンドオピニオンを聞こうと決め、早速がんセンター東病院に電話し大津先生の診察日を聞いたら「月曜と水曜日」とのこと。今日が火曜日なので室先生の診察日。予約はしていないが今日これから室先生の診察を受け、事情を話して、がんセンター中央病院での検査資料を借りて明日がんセンター東病院に行き、大津先生のセカンドオピニオンを聞くことにした。
室先生の診察時「がんセンター東病院でセカンドオピニオンを聞きたい」と話をしたら、セカンドオピニオンを聞くことについては了解。がんセンター東病院との違いについては次の説明があった。
放射線化学療法は
1 ステージ2,3の治療例は、がんセンター中央病院より、がんセンター東病院が多いかもしれない。
2 がんセンター中央病院では抗癌剤投与は1週と5週の二回。
使用する抗癌剤の量が少ないほど副作用が無く良い。
との明快な説明があり、これで納得。がんセンター中央病院で治療を受けることにした。
外来で診察を待っていると、ある人が受け付け担当者に「消化管外科が空いているので早く診察を受けることができますよ」と以前の私と同じようなことを言われ、消化管外科の診察室に入っていった。話からすると 消化管内科の診察を希望していたようだ。何の病気かは判りませんが、本人の希望する治療を受けることができれば良いのだが。
診察後仕事をしているときに、がんセンター中央病院より電話があり「明日(16日)入院してください」とのこと。すでに明日の仕事の予定を入れていたので17日にしてほしいと頼んだが受け入れてもらえず電話を切る。電話を切った後 万一入院ができなかったらと考えると心配になり、30分後私のほうから、がんセンター中央病院に電話をした。「都合がついたので明日入院をしたい」と話したがすでに遅い。ほかの人が入院と決まったとのこと。がんセンター中央病院の担当者「また連絡します」、が翌4月16日も入院の連絡はなし。だんだん不安になる。

4月17日(木曜日)放射線科担当は伊藤先生。放射線の照射位置を決めるクリッピングは予定通りに実施。クリッピング後に室先生の診察を受けに行った。診察が始まったのは17時30分から。他の先生の診察はすべて終了しているにもかかわらず室先生はまだ診察をやっていた。「お疲れ様です」というと「もうくたくた」とのこと。でも嫌な顔ひとつせずに「4月20日(日曜日)に入院してください。私は19時30分頃入院している部屋に行きますので その時家族の人にも来てもらってください」とのこと。妻が新潟に居ることを考えてと思うが、日曜に病院に来て説明をしてくれるとのこと。ほんとに頭が下がります。

4月18日(金曜日) がんセンター中央病院より電話あり「4月20日(日曜日)10時30分に入院してください。入院先は13階のA病棟(短期入院病棟)。」
やっと入院し治療が始まる。「治療は室先生に任せ私は体力維持に専念することにしよう」と自覚。
会社には‘入院が決まったこと、見舞いは硬く辞退したいこと’をお願いした。表向きの理由は‘一人で徹底的に癌と戦って勝ってきたい’ということ。実際はこの他に‘短期の入院にもかかわらず興味本位の見舞いはいやだ’ということと、‘抗癌剤の副作用で白血球が減少し感染症に注意しなければならない事態があるのでなるべく外来者と面談したくない’ということ。

4月19日(土曜日)妻来る。入院の準備。
妻と一緒に抜け毛の副作用に備えてロゲインを買おうと思い捜すが置いてあるところが無い。伊勢丹の薬売り場で聞いたら「リアップとほぼ同じ」とのことなのでとりあえずリアップを買う。(結局抜け毛の副作用は無かったので使わず。)主幹注:主要成分ミノキシジルがリアップ1パーセント、ロゲイン5パーセント、入手方法は個人輸入のみ!

4月20日(日曜日)妻同行の上10時30分入院。
4人部屋 4人で共用とはいえ各部屋にトイレ シャワー付き。小型冷蔵庫は一人ずつ専用。非常に整った設備であることに感心。
19時30分 室先生による説明 私 妻 東京在住の次男の3人で聞く。
目的は根治。治療終了時癌の消える可能性は93%。治療終了時癌が消えていなかったらその時点で最善の方法を考える。例えば縮小していれば内視鏡的処置、内視鏡的処置が難しければ手術。説明を聞いた後、妻・次男は帰る。妻は私のマンション、次男は自分のマンションに。
主治医は室先生 レジデント高野先生。

4月21日(月曜日)体重66.4kg 妻8時には来る。抗癌剤の点滴と放射線治療が始まる。
放射線は正面と180度反対の背中側からの照射で合計20回。放射線治療は、がんセンター中央病院の地下2階。放射線技師は必ず二人一組で、基本通りにやっているという感じ。毎日2リットルのお茶を飲みましたが、以後昼夜を問わず1時間から2時間に1回 トイレに行くこととなる。夕方妻は新潟に帰る。妻も仕事を持っているため以後退院まですべて一人でやる。食事は全部食べる。睡眠薬はもらうが使わずにすんだ。レジデントの高野先生「私が食道癌の治療を受ける場合やはり手術ではなく放射線化学療法を受けます」とのこと。
タバコは止められずに毎日重い点滴スタンドを片手に19階の喫煙室へ。喫煙室は銀座側に面しており、眺めは良く早く直したいとの思いが強くなる。

4月22日(火曜日)体重68.5kg 食事は全部食べる 便秘。夜下剤をもらって飲んで寝る。

4月23日(水曜日)体重69.1kg 食事は全部食べる 排便OK。鼻をかむと出血。うがい薬ハチアズレでうがい実施。さすがにだるい。
点滴をはずしてもらって、13階の風呂に入り、下着の着替え。19階にある風呂は眺めが良いとは聞いていたが行く気にはならない。

4月24日(木曜日)体重67.6s 食事は70%程度食べる 排便OK。だるさは軽減。食道の癌の在るという所 食物が通る時痛くなってきた。

4月25日(金曜日)体重66.7s 朝食70%食べる。10時点滴終了 荷物をまとめて11時退院。マンションまでタクシーで帰る。さすがに疲れ、だるい。夜 妻来る。夜1時間から2時間おきに目覚めトイレに行く。

4月26日(土曜日)妻と新宿まで歩いたが(30分位)さすがに足腰が痛い。声がかすれる、 だるいが昨日よりは良い。

4月27日(日曜日)だるさは無くなった。左胸と右胸に違和感あり。ただしここには放射線は当てていない。食道の癌のあるというところ嚥下時痛い。夕方妻新潟に帰る。また一人暮らし。

4月28日(月曜日)今日から通院で放射線治療。月曜から金曜日、毎日9時に予約を入れる。8時にマンションを出て、がんセンター中央病院で治療、治療終了後会社に出社。大体11時から11時30分には仕事に着手できた。予想外のことは(たいした問題ではないが) 治療後仕事をするためにスーツで出かけるが、放射線を当てる位置を書いたマジックがワイシャツを汚し、ワイシャツの内側が黒くなること位。それ以外は放射線治療を受けているなぞ誰もわからない。食道の炎症防止薬と痛み止めをもらうが、痛み止めはなるべく使わず我慢。

5月13日(火曜日)室先生診察時に「今癌の状態はどうなっているでしょう」と聞いた。「ステージ1では治療の途中で内視鏡による確認はしない。確実に癌は小さくなっているはずなので、内視鏡検査で粘膜を傷つける方がかえって良くない。治療が終わってから3週間後に検査する」とのこと。

5月21日(水曜日)放射線治療開始から21回目。今日から右斜め前方からと180度反対側からの照射。以後30回まで

5月23日(金曜日)2クール目の抗癌剤治療のため入院。今度は14B病棟(食道 呼吸器 頭頚)。部屋のつくりは前回とまったく同じ。
白血球は3,800と少ないが問題なし。外泊の手続きをする。今回の入院時点でタバコは止めた。夜妻来る。5月25日(日曜日)夜妻新潟へ帰る。

5月26日(月曜日)9時に病院に戻りすぐに放射線治療。放射線科伊藤先生に質問「がんセンター東病院に比べて入院期間が短いが?」「短期間の治療の方が副作用も少なく良い。治療成績に差は無い。」とのこと。レジデントは高野先生から宇良先生に代わる。今回の方が前回に比べて副作用が大きい。1日目から食事は90%程度しか食べることができない。
18時24分 地震で大きくまた長く揺れる。震源は宮城県、震源地近くで震度5の地震。この時手術をしている人はどうなるのだろう。
お茶は毎日2L飲む。前回よりつらいせいか下剤と睡眠薬は毎日飲んだ。

5月27日(火曜日)便秘。食事は100%食べた。隣のベッドに緊急入院の患者 60歳くらいか。聞いてみると昨年9月に食道癌で手術、手術で縫合したところが離れて漏れ発生。再度の入院とのこと。「食道癌の手術はうまくいったのですが手術時鎖骨下の動脈に傷がつき4ヶ月間動くことができなかったんですよ。」やはり手術を選ばなくて良かった。

5月28日(水曜日)点滴箇所から漏れ発生。点滴のし直しをやるついでに点滴をはずしてもらって、14階の風呂に入り、下着の着替え。排便良好。毎日必ず室先生か(高野先生)宇良先生が回診に見えるが1回は室先生の回診が夜の9時頃。看護士さんを初め皆さん本当に一生懸命です。

5月29日(木曜日)朝食は100%食べた。昼食 夕食は60%。さすがに副作用で体がだるい。来週学会があり室先生は不在とのこと。なんとはなく不安になるが仕方が無い。

5月30日(金曜日)11時 抗癌剤治療が終了。退院手続きをして12時30分退院。マンションまでタクシーで帰る。体がだるく何もできない。夜妻が来る。今までは東京駅まで必ず迎えに行っていたが、今回は辛くて行けない。食道が痛く、夜目が覚める。

5月31日(土曜日)食道が痛い、唾液を飲んだだけでも痛い。放射線治療は後残すところ2回。あまりにも食道が痛く、治療が続けられるか不安。食道が痛く夜4回目が覚める。

6月1日(日曜日)オミノ氏にメールで近況の連絡。夜8時頃オミノ氏から電話があり「ガンバレ」。先輩の言葉であり ありがたかった。痛みが少ないと思われる食べものを妻があれこれ選んで買ってきてくれる。痛みのきつい食べ物 みかん スイカ 野菜ジュース。傷みの弱い食べ物 りんご。

6月2日(月曜日)妻同行し伊藤先生の診察「痛くて治療が続けられるか不安」「今頃から1週間くらいが痛さのピーク。中断は良くない。食事の前に痛み止めを飲み、炎症防止薬を飲んではどうか。そうやって乗り切っている人は多い。」了解し放射線治療を続行。妻仕事の関係で今日の治療終了後新潟へ戻り、夜また来る。私はいったんマンションに戻り、休憩をして午後から会社へ。

6月3日(火曜日)妻同行し最後の放射線治療。伊藤先生「痛ければ痛み止めはモルヒネがありますよ」そこまでしたくないので通常の痛み止め‘ポンタールシロップ’で行く。痛くてカロリーが十分に取れない。今日は1,000KCAL程度。こう痛くて食事が自由に取れないようでは 一人で東京にいることはできないのでしばらくの間休暇をとって新潟の家にいることにする。

6月4日(水曜日)12時30分 妻に同行してもらい会社に行き、休暇をとる準備をする。
痛みの少ない食べ物 卵豆腐 プリン コーヒーゼリー ゴマ豆腐 そうめん ブロッコリー ポタージュスープ。痛みの強い食べ物 牛乳。

6月5日(木曜日)妻と一緒に新潟へ。食べ物の中で意外と痛みが強かったのは日本そば。まだうどんがいい。一番良いのはそうめん。そばは麺に角があるせいか。体重63.8sで最低体重。癌と判る前に比べて5.5kg減。これ以降は65s程度まで回復。逆にこれ以上にはならないように気をつけた。

6月10日(火曜日)妻と二人で朝新潟発。室先生の診察を受けるため、がんセンター中央病院まで。「食道の痛みは通常この程度。ともかく食べろ。血液検査の結果は正常。」「点滴を入れたところの血管が黒くなっているが。」「抗癌剤の副作用で問題ない。」診察終了後妻とまた新潟へ。この頃が一番ぐったりしていたと思う。言葉では言ったことはないが妻には本当に感謝をしています。

6月16日(月曜日)今日から6月20日(金曜日)まで新潟の工場に出社。昼食は近くの食堂でそばかうどんの毎日。

6月22日(日曜日)また今日から東京で単身赴任。食事は毎日ほとんど麺類。やはり単身では食事が大変。何を食べるかが大問題。

6月26日(木曜日)仕事で新潟へ。29日(日曜日)の夜また東京へ。

7月3日(木曜日)CT 血液検査 内視鏡検査。室先生「内視鏡検査は食道の炎症が強いのでルゴールの散布はしなかった。胃 十二指腸に癌 潰瘍はない。Tさんは痛みが強いようだ。痛みを我慢して食事が取れないのは良くない。モルヒネを出すので飲むように。痛みが強い人は癌が消えやすい。内視鏡ではルゴールを使用していないので正式ではないが癌はないようだ。」とのこと。
私の場合は食道の炎症が強く、正式な検査を行うのが先送り。
順次痛みは弱くなって20日頃には夜痛くて目が覚めることはあっても1回程度にはなった。
モルヒネはなんとなく嫌で1回も使わず、痛み止めはポンタールシロップを服用した。

7月24日(木曜日)室先生診察 前回の検査結果を聞きに行く。「CTは異常ない。次回検査時炎症が納まっていればルゴールを使用する。」とのこと。以前と違うのはカロリー不足のせいかお饅頭、ケーキ、アイスクリームを食べるようになった(自分でも信じられません)。

8月19日(火曜日)CT 血液検査 内視鏡検査。
内視鏡検査時 炎症があり担当医師はルゴールを使用するかどうか迷っていたが、私の方から使用するようにお願いした。いつまでも中途半端な状態は嫌だ。たとえ痛くても我慢はする。検査終了後「癌は無い。炎症が強くまだ薄い‘かさぶた’のようなものがあり、ここだという特定はできないが癌があった場所から組織を採取した。」とのこと。

9月2日(火曜日)室先生 前回の検査結果「癌は無い、消えた(CR IN)。CRの一歩手前。次回の検査で癌が無ければCR。」

10月16日(木曜日)CT 血液検査 内視鏡検査

10月30日(木曜日)室先生 前回の検査結果「癌は消えた。CRである(CR CONFIRM)。今後しばらくは3ヶ月に1回検査していく。」

ここまでの入院期間は2週間。会社を休んだのは入院期間を含めて3週間と3日。
数々の幸運にも恵まれ、癌が消えCRになりました。

私の誕生日は10月12日。
3月から始まった今回の騒動は55歳を迎えてやっと一段落が付き、今後新たな気持ちで人生を送っていこうと思っています。
ここに至るまでオミノ氏に励まされ、オミノ氏のホームページに勇気付けられ、ここまでたどり着くことができました。本当に有難うございました。

page uploaded on 2003/12/14

このつづき、単身赴任者の闘病記(Part II)をuploadしました (2004/11/01)

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