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単身赴任者の闘病記
五十五歳ステージI、男性
03年3月4日の診察で癌と診断されてから03年10月30日食道癌消失までの記録 昭和23年生まれ55歳の男です。 02年11月 東京(事務所は新宿)に転勤 単身赴任を始めることになりました。 03年1月 従兄弟が直腸癌で死亡。48歳。あまりにも若い死に呆然とした。 3月11日(火曜日) S先生の診察 前回の検査結果について。 3月12日(水曜日)肺のCT検査 3月18日(火曜日)B先生による上部消化管内視鏡検査。食道から生検用の組織も採取。 3月25日(火曜日)B先生「組織検査の結果は癌。ステージ1でリンパ節への転移がある確率は20%。治療方法としては内視鏡もあるが内視鏡での手術が行えるかどうかは今のところ判らない。内視鏡が適用できないときは手術か放射線化学療法がある」。私「内視鏡が駄目なら放射線化学療法で治したい。がんセンター東病院で治療を受けたい。」 なお私の地元である新潟大学では未だ食道癌は手術です。医師の卵である姪の情報。 3月26日(水曜日)がんセンター中央病院に電話をし、室先生の診察日を聞く。明日27日とのこと。 3月27日(木曜日)がんセンター中央病院に8時30分着。消化管内科の室先生の診察を希望した。手続きを済ませ待っていると受付の人が「消化管外科の診察を受けては」と言ってきた。こんなところに行ったのでは手術をされてしまう。あくまで室先生の診察を希望した(うっかりしているとえらいことになる)。 3月28日(金曜日) 内視鏡検査 4月1日(火曜日) 超音波内視鏡検査 午後室先生の診察 4月3日(木曜日) 耳鼻咽喉科O先生による鼻からの内視鏡検査。「異常は無いようだ」。 4月8日(火曜日) 耳鼻咽喉科O先生による口からの内視鏡検査。「異常は無い」。 4月14日(月曜日) この、がんセンター中央病院の治療で本当に良いのかどうか悩みに悩んだあげく自分では結論が出せず、オミノ氏に始めてメール連絡をした。それも夜中の1時前。 4月17日(木曜日)放射線科担当は伊藤先生。放射線の照射位置を決めるクリッピングは予定通りに実施。クリッピング後に室先生の診察を受けに行った。診察が始まったのは17時30分から。他の先生の診察はすべて終了しているにもかかわらず室先生はまだ診察をやっていた。「お疲れ様です」というと「もうくたくた」とのこと。でも嫌な顔ひとつせずに「4月20日(日曜日)に入院してください。私は19時30分頃入院している部屋に行きますので その時家族の人にも来てもらってください」とのこと。妻が新潟に居ることを考えてと思うが、日曜に病院に来て説明をしてくれるとのこと。ほんとに頭が下がります。 4月18日(金曜日) がんセンター中央病院より電話あり「4月20日(日曜日)10時30分に入院してください。入院先は13階のA病棟(短期入院病棟)。」 4月19日(土曜日)妻来る。入院の準備。 4月20日(日曜日)妻同行の上10時30分入院。 4月21日(月曜日)体重66.4kg 妻8時には来る。抗癌剤の点滴と放射線治療が始まる。 4月22日(火曜日)体重68.5kg 食事は全部食べる 便秘。夜下剤をもらって飲んで寝る。 4月23日(水曜日)体重69.1kg 食事は全部食べる 排便OK。鼻をかむと出血。うがい薬ハチアズレでうがい実施。さすがにだるい。 4月24日(木曜日)体重67.6s 食事は70%程度食べる 排便OK。だるさは軽減。食道の癌の在るという所 食物が通る時痛くなってきた。 4月25日(金曜日)体重66.7s 朝食70%食べる。10時点滴終了 荷物をまとめて11時退院。マンションまでタクシーで帰る。さすがに疲れ、だるい。夜 妻来る。夜1時間から2時間おきに目覚めトイレに行く。 4月26日(土曜日)妻と新宿まで歩いたが(30分位)さすがに足腰が痛い。声がかすれる、 だるいが昨日よりは良い。 4月27日(日曜日)だるさは無くなった。左胸と右胸に違和感あり。ただしここには放射線は当てていない。食道の癌のあるというところ嚥下時痛い。夕方妻新潟に帰る。また一人暮らし。 4月28日(月曜日)今日から通院で放射線治療。月曜から金曜日、毎日9時に予約を入れる。8時にマンションを出て、がんセンター中央病院で治療、治療終了後会社に出社。大体11時から11時30分には仕事に着手できた。予想外のことは(たいした問題ではないが) 治療後仕事をするためにスーツで出かけるが、放射線を当てる位置を書いたマジックがワイシャツを汚し、ワイシャツの内側が黒くなること位。それ以外は放射線治療を受けているなぞ誰もわからない。食道の炎症防止薬と痛み止めをもらうが、痛み止めはなるべく使わず我慢。 5月13日(火曜日)室先生診察時に「今癌の状態はどうなっているでしょう」と聞いた。「ステージ1では治療の途中で内視鏡による確認はしない。確実に癌は小さくなっているはずなので、内視鏡検査で粘膜を傷つける方がかえって良くない。治療が終わってから3週間後に検査する」とのこと。 5月21日(水曜日)放射線治療開始から21回目。今日から右斜め前方からと180度反対側からの照射。以後30回まで 5月23日(金曜日)2クール目の抗癌剤治療のため入院。今度は14B病棟(食道 呼吸器 頭頚)。部屋のつくりは前回とまったく同じ。 5月26日(月曜日)9時に病院に戻りすぐに放射線治療。放射線科伊藤先生に質問「がんセンター東病院に比べて入院期間が短いが?」「短期間の治療の方が副作用も少なく良い。治療成績に差は無い。」とのこと。レジデントは高野先生から宇良先生に代わる。今回の方が前回に比べて副作用が大きい。1日目から食事は90%程度しか食べることができない。 5月27日(火曜日)便秘。食事は100%食べた。隣のベッドに緊急入院の患者 60歳くらいか。聞いてみると昨年9月に食道癌で手術、手術で縫合したところが離れて漏れ発生。再度の入院とのこと。「食道癌の手術はうまくいったのですが手術時鎖骨下の動脈に傷がつき4ヶ月間動くことができなかったんですよ。」やはり手術を選ばなくて良かった。 5月28日(水曜日)点滴箇所から漏れ発生。点滴のし直しをやるついでに点滴をはずしてもらって、14階の風呂に入り、下着の着替え。排便良好。毎日必ず室先生か(高野先生)宇良先生が回診に見えるが1回は室先生の回診が夜の9時頃。看護士さんを初め皆さん本当に一生懸命です。 5月29日(木曜日)朝食は100%食べた。昼食 夕食は60%。さすがに副作用で体がだるい。来週学会があり室先生は不在とのこと。なんとはなく不安になるが仕方が無い。 5月30日(金曜日)11時 抗癌剤治療が終了。退院手続きをして12時30分退院。マンションまでタクシーで帰る。体がだるく何もできない。夜妻が来る。今までは東京駅まで必ず迎えに行っていたが、今回は辛くて行けない。食道が痛く、夜目が覚める。 5月31日(土曜日)食道が痛い、唾液を飲んだだけでも痛い。放射線治療は後残すところ2回。あまりにも食道が痛く、治療が続けられるか不安。食道が痛く夜4回目が覚める。 6月1日(日曜日)オミノ氏にメールで近況の連絡。夜8時頃オミノ氏から電話があり「ガンバレ」。先輩の言葉であり ありがたかった。痛みが少ないと思われる食べものを妻があれこれ選んで買ってきてくれる。痛みのきつい食べ物 みかん スイカ 野菜ジュース。傷みの弱い食べ物 りんご。 6月2日(月曜日)妻同行し伊藤先生の診察「痛くて治療が続けられるか不安」「今頃から1週間くらいが痛さのピーク。中断は良くない。食事の前に痛み止めを飲み、炎症防止薬を飲んではどうか。そうやって乗り切っている人は多い。」了解し放射線治療を続行。妻仕事の関係で今日の治療終了後新潟へ戻り、夜また来る。私はいったんマンションに戻り、休憩をして午後から会社へ。 6月3日(火曜日)妻同行し最後の放射線治療。伊藤先生「痛ければ痛み止めはモルヒネがありますよ」そこまでしたくないので通常の痛み止め‘ポンタールシロップ’で行く。痛くてカロリーが十分に取れない。今日は1,000KCAL程度。こう痛くて食事が自由に取れないようでは 一人で東京にいることはできないのでしばらくの間休暇をとって新潟の家にいることにする。 6月4日(水曜日)12時30分 妻に同行してもらい会社に行き、休暇をとる準備をする。 6月5日(木曜日)妻と一緒に新潟へ。食べ物の中で意外と痛みが強かったのは日本そば。まだうどんがいい。一番良いのはそうめん。そばは麺に角があるせいか。体重63.8sで最低体重。癌と判る前に比べて5.5kg減。これ以降は65s程度まで回復。逆にこれ以上にはならないように気をつけた。 6月10日(火曜日)妻と二人で朝新潟発。室先生の診察を受けるため、がんセンター中央病院まで。「食道の痛みは通常この程度。ともかく食べろ。血液検査の結果は正常。」「点滴を入れたところの血管が黒くなっているが。」「抗癌剤の副作用で問題ない。」診察終了後妻とまた新潟へ。この頃が一番ぐったりしていたと思う。言葉では言ったことはないが妻には本当に感謝をしています。 6月16日(月曜日)今日から6月20日(金曜日)まで新潟の工場に出社。昼食は近くの食堂でそばかうどんの毎日。 6月22日(日曜日)また今日から東京で単身赴任。食事は毎日ほとんど麺類。やはり単身では食事が大変。何を食べるかが大問題。 6月26日(木曜日)仕事で新潟へ。29日(日曜日)の夜また東京へ。 7月3日(木曜日)CT 血液検査 内視鏡検査。室先生「内視鏡検査は食道の炎症が強いのでルゴールの散布はしなかった。胃 十二指腸に癌 潰瘍はない。Tさんは痛みが強いようだ。痛みを我慢して食事が取れないのは良くない。モルヒネを出すので飲むように。痛みが強い人は癌が消えやすい。内視鏡ではルゴールを使用していないので正式ではないが癌はないようだ。」とのこと。 7月24日(木曜日)室先生診察 前回の検査結果を聞きに行く。「CTは異常ない。次回検査時炎症が納まっていればルゴールを使用する。」とのこと。以前と違うのはカロリー不足のせいかお饅頭、ケーキ、アイスクリームを食べるようになった(自分でも信じられません)。 8月19日(火曜日)CT 血液検査 内視鏡検査。 9月2日(火曜日)室先生 前回の検査結果「癌は無い、消えた(CR IN)。CRの一歩手前。次回の検査で癌が無ければCR。」 10月16日(木曜日)CT 血液検査 内視鏡検査 10月30日(木曜日)室先生 前回の検査結果「癌は消えた。CRである(CR CONFIRM)。今後しばらくは3ヶ月に1回検査していく。」 ここまでの入院期間は2週間。会社を休んだのは入院期間を含めて3週間と3日。 私の誕生日は10月12日。
3月から始まった今回の騒動は55歳を迎えてやっと一段落が付き、今後新たな気持ちで人生を送っていこうと思っています。 ここに至るまでオミノ氏に励まされ、オミノ氏のホームページに勇気付けられ、ここまでたどり着くことができました。本当に有難うございました。 page uploaded on 2003/12/14 このつづき、単身赴任者の闘病記(Part II)をuploadしました (2004/11/01) |
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