ガン病棟からの脱出

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新たなる勝利者たち

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Which is better
54歳 ステージIII、女性


埼玉在住の主婦(当時54歳)、主人と息子2人の4人家族
週に2回スポーツを楽しみ、健康面で特に心配もない日々を送っていたはずなのに食道ガンになり、ガン消滅後、肺臓炎になり、その後、五十肩にも苦しめられた二年間の闘病記録です。
タバコもお酒もやらないのに食道ガン??!!


T ガン発覚から国立ガンセンター東病院入院まで(2002年3月〜4月)

飲んだり食べたりする時に喉に何かつまるような違和感を覚える。

市の医療センターの耳鼻咽喉科に行き診てもらう。
検査の予定が何週間も先になるというので、隣の市の市立病院に行き、診察を受ける。担当医の対応が早くて次の日に内視鏡の検査をしてもらう。検査後、先生が「御主人にもお話があるのでなるべく早く来院してほしい」とのお話。その様子にこれはガンではないかと直感。
2日後にレントゲンの検査に行く。その時も検査後先生から早く主人と診察を受けるようにと急かされる。
2日後、主人と受診。最初主人のみ診察室へ呼ばれる。次に私が入室。
後で主人に聞くと先生は主人に「奥さんは食道ガンなので、本人に知らせるべきかどうか」と打診したとのこと。主人は『本人はガンだとわかっているので何も隠さずに知らせて欲しい』と伝えたとのこと。
二人で先生から説明を受ける。大きさは10cm、ステージはV期、治療としては放射線治療もあるが、手術が主となる。この病院には専門医がいないので都内の病院を紹介するので考えて欲しい、と言われる。
レントゲンの写真を見ると大きなものが食道を塞いでいて、こんな大きなものがあれば食べ物がつかえるはずだ…と驚く。
ガンではないかと思いながら、でも実際に先生から目の前でガンと宣告されると現実の世界から遮断された別の世界に入り込んだような非現実的な感覚。
手術は喉と食道と胃を開けて食道を切除、胃を持ち上げてつなげる大手術だとか。
在宅の仕事は、当時少なくなってきていたので休んでも支障ないけれど、入院費はどうしよう…、スポーツクラブは当分休むしかないけれど、なるべく早くに復帰したい…など、今思うとガンの厳しい現実を知らない呑気な私がとりとめもなく当面の問題に思いをめぐらせながら先生の説明を聞いていたような気がします。私よりもむしろ主人の方がショックを受けた様子。
病院の帰りに新井薬師に御参りする。

夜、自宅でインターネットを調べる。食道ガンの手術はガンの手術の中でも最も大変なものの一つで、もし成功しても術後のQOL(生活の質)が著しく損なわれるとのこと。
呑気に何とかなると考えていた私は、焦ってどうしても手術は避けたい、もっと別の治療がないかと検索するとオミノ氏の“ガン病棟からの脱出”というサイトに出会う。いくつもの有名な大病院の診察を受けたあげく手術治療に納得せず、国立ガンセンター東病院の大津先生の放射線と抗がん剤併用治療を受けガン消滅に至るまでの克明な記録を読み、そこに希望の光を見ました。

次の週、病院へ行き、担当医に説明して東病院の大津先生宛ての紹介状を書いて頂く。なるべく早く行って下さいね、と念を押される。

この病院の診察を受けてから一週間で病名もわかり入院先も決められたわけで、この先生の早い親切な応対には感謝しています。最初の病院の検査日を待っていたらまだまだ日数が経っていただろうに…と思うとゾッとする。

ただ放射線科学併用療法にはアレルギー感がありできれば拒否したい。というのも前年主人の姉が子宮頚ガンで放射線治療の末亡くなっているのだ。抗がん剤の副作用といわれる悪名高き吐き気や脱毛等できれば避けたい、と東病院に行く日を延ばし、健康食品のAHCCを飲んでみたり、別の病院を調べたりするが、喉の痛みやつまり感が増してき、背中や胸が痛くなってきたりして、先延ばしするだけ手遅れになるのでは…と周りも心配してくるし、私自身も不安が増してきてついに東病院へ主人と行く。

4月12日

大津先生の診察を受ける。食道ガンで大きさは7cm(市立病院の検査との誤差が3cmもあった!)ステージはV期。放射線化学併用療法の内容明と、手術した場合とのメリット・デメリット、過去の治療成績、生存率等の説明を丁寧にされる。手術を望む場合は、説明も受けられますよ、と言われるが、放射線化学併用療法でお願いします、と答えいよいよ東病院で治療を受けることに決定。
入院して2週間ほどしたら喉の痛みもだいぶとれますよ、と言われ安堵感を覚える。
全部で4回の入院(1・2回目は2週間で、抗がん剤と放射線治療、3・4回目は抗がん剤治療のみの5日間)とのこと。

後日、入院前に内視鏡とCT検査を受ける。1回目の入院は4月30日からと決まる。


U 入院 (4
/30〜8/26)

第1クール 4/30〜5/18 抗がん剤治療(5日間連続点滴、1日休みまた5日間連続点滴)、と放射線治療
通院 放射線治療 5/20〜23
第2クール 6/7〜6/22 (第1クールと同様の治療)
第3クール 7/19〜7/24 (抗がん剤のみ5日間連続点滴)
第4クール 8/21〜8/26 (第3クールと同様の治療)


4/30 第1クール 1日目

病室は7階の4人部屋、眺めのよい窓側ベッド。
午後大津先生が見え、今後の治療計画を説明される。明日から5日間24時間連続で抗がん剤点滴。放射線は土日祭日を除いて計30回照射。
夜10時消灯。慣れないせいか、夜中いろいろな物音で熟睡できず。

5/1  2日目

10時より抗がん剤点滴開始。中味は5FUとシスプラチンと吐気止め。
午後放射線室にて治療計画の説明、位置決めやマーク付け等1時間半ほどかかる。
夕食まったく食欲なし、背中が落ち着かず、座っても横になっても居場所がないような感じで苦しい、点滴に妙に縛られているようで治療初日からしてこれでは先が思いやられる。

5/2  3日目

食欲なし。PET検査受ける。
夕食ヨーグルトとプルーンのみ。おにぎりは喉につかえて結局だめ。夜中2時間おきにトイレに起きる。

5/3  4日目

朝食ヨーグルトとプルーンのみ。
1時間後喉につまった感じがして吐く。だんだん元気、気力なくなる。
夕食食べられず。吐気止め追加してもらう。顔もろくに洗えず。
夜吐気止めまた追加してもらうが、吐く。腕が痛くなる。

5/4  5日目

身の置き所がないような感じがつらくベッドを出て、ロビーに少しいる。看護師さんに話すと吐気止めのプリンペランのせいだと教えられ、明日から別のものに変えてくれるという。
午後親戚が面会に来てくれるが、意識がはっきりしていない、落ち着かない感じで、何を話したかよく覚えていない。

5/5  6日目

朝起きたては吐き気なし。お腹すいてヨーグルトとプリンを食べるが、ヨーグルトは半分で味がおかしくなり止める。朝食前にムカムカして吐く。吐気止め点滴後眠くなり、ほとんど午前中寝ている。
午後、家族が面会に来る。入院後初めての面会なので、外のコンビニまで行ってもらってサラダや冷やしウドンを買ってきてもらい、夕食に少し食べる。
夕食後に吐き気止めを頼む、途端に眠くなる。今日からプリンペランを抜いてもらったおかげで居場所のないような焦りがなくなり一日落ち着いていられて安心する。

5/6  7日目

抗がん剤お休み。今日一日解放されると思うとアイスくらい大丈夫…と1個丸々食べるが、それが災いして1日中ムカムカする。
夜トイレで気持ちが悪くなり、しばらく気を失う。せっかく抗がん剤から解放されたのに最悪の一日になってしまう。

5/7  8日目

また抗がん剤開始。

午前中の吐き気止めはあまり効果なく、補水液が入りだすと吐き気がおさまる感じがする。
夕食後にまた吐き気。寝る前に吐き気止め。これでよく寝られて、朝しばらくは気分がいい。

5/8〜5/11  9日目〜12日目

ほとんど吐き気との闘い。いかに吐き気を避けるか。オミノさんのサイトに書いてあったのでなるべく大量にお茶を飲もうと努めるが、お茶を飲むのも気持ち悪くなり、全身吐き気に捕まってしまうと動く気もおきず、ほとんどベッドから動かず、TVばかり眺めている。
1階の放射線治療に呼ばれると終わって無事に戻ってくるまで、途中で気分が悪くならないか緊張が続く。お腹はすくが、食欲まったくなし、食事を運んでくるお膳の匂いをかぐだけで気持ち悪くなる。体重はもちろん減る一方、目に力なくガリガリの見るからに病人そのもの。

5/12  13日目

お昼頃抗がん剤点滴終了、栄養剤の点滴は続く。

5/13・5/14  14・15日目

抗がん剤終わり間際に下痢始まり、2日間悩まされる。下痢止め3回飲む。たえずお腹が痛かったり、トイレに行きたかったりと苦しむ。お腹を温めてもらうとだいぶ楽になる。

5/14  16日目

栄養剤の点滴終わる。24時間の点滴から解放され、ホッと安堵。

5/15  17日目

食欲出てくる。食事が胸を通る時の痛みは無くなっていた。有難い。
が、しか〜し、味覚が失われてしまった。せっかく食べられるようになったのに、味がわからなくなるなんて…と大ショック、落ち込む。

5/16  18日目

大津先生に味覚の件聞いてみる。抗がん剤の副作用なので個人差があるため、時間はかかるかもしれないけれど、いつか戻るからと断言され、一安心。

5/18  20日目

退院。主人と長男が迎えにきてくれて、19日ぶりに我が家に帰る。
味覚がないこと、軽い吐き気が続いていること、体力がガタ落ちしていること等、マイナス面はあるが、食事時の食道を通る痛みがなくなったことがプラス面でうれしい。
それにしても抗がん剤の副作用は軽視していたわけではないけれど、呑気に考えすぎていたのか、かくも多岐にわたり深刻なものなのかと認識させられる。

5/20〜23

放射線治療に毎日通う。
軽い吐き気をかかえ、不安を抱きながら一人で電車、バスを乗り継いで行く。
片道1時間半〜2時間ほどかかり、体力なくなっているため、かなり疲れる。

5/24

味覚や吐き気や体力面での問題を緩和するため、漢方の先生にみてもらうために巣鴨まで行く。電車に乗って病院まで行くという簡単なことが本当に大変。

5/29

内視鏡検査、血液検査のため東病院へ。
内視鏡の先生が胃カメラを入れてすぐ「こりぁ、メチャメチャ効いてる!」と声を上げるのを聞いて嬉しくなる。
その後、大津先生の診察を受ける。写真を見ると、食道を塞いでいた大きな物が無くなっていた!! 残るは小さなポリープ状のものがいくつか。先生は7,8割方消えていますね、と言われる。苦しかった治療に耐えたことが報われた気がした。ただ血液検査の結果、白血球の値が下がっているので、入院は先に延びる。

6/5

血液の再検査。初めて車を運転して病院へ行く。体力が落ちているのでちょっと心配したけれど、車の方がずっと楽だった。
白血球の値戻る。帰宅後に病院から電話で7日入院と決まる。

6/6

午後CT検査を受けるため病院へ行く。

6/7 第2クール開始

午後病院に着く。病室はまた窓際でラッキー。ところが今日は金曜日で治療は月曜日からとのこと。それではと、外泊届けを出して、家に戻る。

6/10〜6/15

今日から2週間の治療開始。白血球値は2,200、通常は4,500〜8,500だというが治療開始OK出て治療始まる。吐き気止めのプリンペランは抜いてあるのを確かめる。
朝の吐き気止めは24時間持続するものだとか、いつもお昼頃から効き出してくる。それまでが不安。夜は催眠剤(コントミン)を入れてもらうとよく効いて寝られる。
第1クールよりも少し食べられるようになったことで体力もついてきているし、勝手がわかってきたせいか、比較的楽。
ムカムカはあるし食べた後、口の中に苦味が残るけれど、吐くまではいかない。抜け毛が多くなってきて心配。5日間の治療が終わり外泊。

6/17〜22

5日間の抗がん剤治療開始。またもや不安と緊張。
ムカムカは少なく、食欲は6〜7割、比較的順調なスタート。
食事は売店で買うおにぎりやサンドイッチなどが食べられるのでよく売店に行く。
副作用としては、便秘気味、味覚もなくなってくる、口内炎が少し出てくる、髪の毛が抜けるのがますます気になりだす。日を追うごとにムカムカが出てくる。のどが少し塞がったような感じがある。
図書館でマンガや肩の張らないような本を借りてきて読んで気をまぎらわしながら時間を過ごす。
第1クールよりは大きな苦痛がなく終了したことが有難い、と思う。

7/19 第3クール開始

今度の部屋は廊下側だった。
CT検査と内視鏡検査。
内視鏡検査後、きれいになっています、と言われてホッとする。2回の治療でガンが消滅したなんて、大朗報!! 苦しんだ甲斐があった! 後2回の治療を頑張ろうと改めて自分に言い聞かせる。午後から抗がん剤点滴。5FUの量が600→1,200と倍になっている。
夕方の吐き気止めにプリンペランが入っていた。急に熱くなって居場所がなくなった感じに第1クールの逃げたくなるような苦しさを思い出す。夜コントミンで眠くなるまでが辛かった。

7/20〜24

入院は5日間で期間は第1、第2クールの半分になったが、期間中の抗がん剤の総量は同じなので、1日の量は前回までの倍になり、副作用の吐き気が強い。座薬の吐気止め入れるがやはり吐いてしまう。
食欲ほとんどない。ムカムカは四六時中あり、朝起きて1時間ほど経つと、ムカムカが始まり、吐くので早々から吐気止めをしてもらう。吐気止めだけが頼りの精神状態、何かで気を紛らわすか、寝ているしか方法なし。しかし、入院が短い日数だったので第1クールよりは体へのダメージは少ないとは思う。

7/25

退院の翌日。下痢が始まり、また簡単に吐いてしまう。市販の吐気止めや下痢止めを飲むが効果なし。食べても吐くか下痢かで、まったく体に力なし。入院中の治療も苦しいが、退院後自宅での生活も自分の身体もままならない状態で不安のまま一日横になっているのも大変辛い。

7/27

隣市の市立病院に主人に連れて行ってもらい、吐気止めと下痢止めを処方してもらい、点滴を受け、だいぶ楽になる。最初にガンと診察して頂いた先生に偶然会い、報告とお礼を述べる。

7/28

下痢の状態が軽くなってくる。

8/21 第4クール開始

今日から5日間の治療開始。白血球値が5,800、初めて標準値となる。

8/22〜25

食欲なし。お腹はすくけれど、食べられない。でも第3クールの時よりは吐気は少ない。
喉が狭くなっている感じがすることについて三梨先生に聞いてみると、狭くなっているわけではなくて、放射線治療のために筋肉が固くなっているためだとか、これは慣れていくしかないかもしれない。

8/26 退院

長く辛かった都合4ヶ月にわたる入院生活もいよいよ終わり。 後は定期検診を受けながら、時間をかけて体力を戻して元気になっていこう、と病院を後にする。

治療にあたって下さった大津先生をはじめとした諸先生方、一日2回も往診があり、丁寧に対応して頂き本当に感謝いたします。それから看護師さん達はいつもてきぱきと親切に看護して下さって感謝しています。


V ガン消滅後、肺臓炎で再入院

と、これで私の闘病記が終わればよかったのですが、
退院後、咳が時々でるようになる。
ラジューム岩盤温泉場に行ってみたり、健康食品を飲んでみたりするがなかなか治まらない。

11月になると咳が頻繁に出るようになり、熱も出てくるので、大津先生に電話して翌日診察してもらうと肺炎とのことで、翌日即入院。
1週間ほどの入院の予定が検査をした結果、放射線治療の後遺症の肺臓炎との診断、この後遺症になる確率は5%だそうで、いつ退院できるか未定。それを主人と聞いた時には、せっかく苦しい思いをしてガン治療に耐え、やっと消滅したのに、今度は聞いたこともないような病気になるなんて…と落胆、当惑したものです。
治療内容としては、プレドニン(ステロイド剤)の投与。血液検査(静脈と動脈)をして投与量を決めていくというものでした。最初は大量に点滴で投与、次は錠剤に替わりました。
治療を受ける身としては、ガン治療の時とはまったく違って咳が出る以外は身体に感じる副作用がなく(入院時には)、吐気もないし、不快に感じる所がないし、逆に有難い副作用として食欲が出て、ガン治療時には食べる気もしなかった食事がおいしく足りない位でしたから、遥かに楽でしたが、薬の副作用として感染に十分気を付けるように、部屋から出る時にはマスクをつけるようにと注意を受けました。

結局、約1ヶ月入院し、病院でのクリスマス会にも参加してハンドベルや聖歌合唱を楽しむという経験もして、25日、クリスマスの日に退院と決まりました。

ところが、ようやく退院という日の数日前から胸の当たりが痛くなりだし、先生からは問題ないと言われましたが、喜ばしい退院の日を迎えても不安が残りました。

退院後、2週間おきに通院して血液検査を受け、検査の結果が良ければ、薬を1錠減らして、変わらなければ量はそのままというように薬の量を決めて頂いてまた2週間後に通院、という繰り返しを続けました。ステロイド剤の副作用は数多くあり、私が一番大変だったのは筋肉痛、関節痛でした。入院中の胸の痛みから始まり、背中も痛くなり、退院後もひどい痛みの時は身動きができないような激痛があり、痛み止めを飲むと少しは治まるけれど、毎回痛み止めを飲むのも良くないだろうと、塗り薬を塗ったり、温熱器を購入し、痛い個所にあてて痛みを和らげていました。髪の毛は抜けて少なくなっただけでなく、髪の質まで変わって、パサパサになりツヤが失われて大変落胆しました。顔はムーンフェースといわれる張れた顔になり、肺臓炎が治って治療が終わっても2,3ヶ月はまん丸な顔をしていました。

こうして半年間の投与期間を経て、2年前の夏、ガンによる入院から1年たって、ようやく肺臓炎から解放されたのです。

 

W その後

これで病人生活は卒業かと喜びましたが、2,3ヶ月が過ぎた頃、今度は肩が痛くなってきて五十肩の痛みとの闘いが始まったのです。ガンに比べたら、命に関わる病気ではないのですが、2年間ガンやその後遺症と闘ってきて、あげくの五十肩に、これでもか!と追い込まれたような心境になりました。
私の場合は、右肩と左肩の両方でどこで治療を受けても、両肩はめずらしい、と言われました。きっと放射線やらステロイドやらの影響で通常の五十肩より症状がひどかったのではないか…と思われます。何もしていなくても、じっとしているだけで腕がだるいし、痛いし、夜も寝返りもできず、痛みで熟睡できませんでした。整形外科、接骨院、諸々の治療院に通い、最後は鍼治療の先生に出会って半年ほどでようやく痛みから解放されました。

ガンの検診の方は、半年に一度行っていますが、肺臓炎のなごりの炎症があり、いつもガン検診の翌月には念のためにCTをもう一度とるような形ではありますが、問題ないと診断され、今年は3年目の検診を受けることになります。

私の場合はガン発覚からガン闘病、ガン消滅、その後、肺臓炎という有難くない副産物に見舞われたこと、抗がん剤・放射線やステロイドの後遺症にも苦しめられ、五十肩に泣かされ、と身体に痛い所や不調を感じない日はないというほど不調続きの長い長い2年間でした。
仕事も辞め、スポーツクラブも退会して、本当にもっと適切な身体に負担の少ない治療はなかったのか…という疑問もわいた時期もありました。 が、オミノさんに病後の報告を入れた後、久し振りにサイトに載っている闘病記を読ませていただくと、いまだに食道ガン治療は手術が主流だと知らされました。私は手術で身体の中の臓器を切り取られることがなかったから、健康回復には時間は本当に長くかかったけれど、今は元気にパートにも通えるようになり、食事に何の不自由もなく好きなものを好きなだけ食べられる。手術以外の選択肢に出会えた幸運を改めて感謝しなければいけない… 今の幸せを改めて有難く受け止める想いです。 

オミノさんにまず感謝、オミノさんのサイトに出会えた幸運に感謝、そして何よりも支え続けてくれた家族や友人達に感謝しつつ闘病記を終わらせて頂きます。

page uploaded on 2005/02/15

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