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2002年2月15日
今日、父は国立がんセンター東病院消化器内科の大津先生より「ガンは消えました。」という有難い結果を頂きました。
2001年8月29日に地元の総合病院外科で食道癌と診断されてからの5ヶ月余り、父は本当に多くの方々に恵まれ助けられ支えて頂き、お蔭様で今日の日を迎える事ができました。
先ず「勇気の人」オミノ氏、もし氏のサイトが無かったら父の運命は変わっていたかも知れません。また深いご理解とご協力を頂いた総合病院名誉院長と副院長のお二人。
そして東病院の大津先生を始めスタッフの先生方、斎藤婦長さんとナースの皆様に感謝の気持ちで一杯です。本当に有難うございました。
自分達の経験から少しでも多くの情報をと考え長い文章となりましたが、他の方々の参考になれば幸甚です。
74歳の父に食道癌が…。
2001年8月28日
74歳の父は胃の辺りに不快感が有り近くのT医院でレントゲン検査を受けた。
胃はきれいだが食道に気掛かりがあるので大きな病院で受診するようにとの事。
中学同期の総合病院名誉院長にご相談し、翌日同病院でお目にかかることになった。
今思えばいくつかの兆候が在った。
(1) やたらと炭酸飲料を飲む様になる。
(2) 酷暑のせいか昼間でも横になることが多かった。
(前年の検診を受けなかったことを母は悔やむが、その時点でもすでに相当の大きさであったろうと思う。逆に2年前に見つかっていたらオミノ氏もサイトを立ち上げておられず外科手術を受けていたと思う。本当に運命とは分からないものだ。)
8月29日
T医院のレントゲン写真を総合病院に持参する。食道癌と告げられ大きな手術になるとの説明を受ける。父は前日から薄々感じていたらしく手術が妥当ならはそれでと覚悟した。翌日入院手術に備えて検査をすることになる。
地方のこととはいえ近所の医院の段階から食道癌の父は自動的に外科の患者となっていた!
この日から大阪に住む私と地元在住の弟との連絡・インターネットでの情報集めが始まった。
この時点で弟は慶應の近藤誠医師の著書や江国滋さんの闘病記などを次々に読んでいたが、共に情報収集をしながら下記のような連絡を取り合った。
(1) 食道癌の手術は肺を圧迫して食道を切除した後、胃を切って管状にして伸ばし喉の所で繋ぐ最大級の大手術で手術死の率が数パーセント、更に心臓や肺への負担も大きく肺炎やその後の誤飲などにより術後死の割合も高い。74歳の父に絶えられるかどうか?
(2) 丸山ワクチンでも何でも、手術しないで保たせる方法はないだろうか?
(3) 治せる方法が有るのならアメリカでもどこにでも行って貰おう!
(4) 東病院での併用療法で生存率に手術と差が無いのであればそれで行こう!!
非可逆的かつ危険性も高い外科手術よりも併用療法で治癒できれば最高であるし、時間を稼げれば更なる治療方法の進歩にも期待できる。併用療法も実績や公開されているデータからみて東病院の大津先生以外考えられない。
私自身もここから9月4日までの間、インターネット書店で関連する書物を検索し片っ端から購入して読む一方で検索機能を使って「食道がん」関連のサイトや記事をあたった。1000件を超える情報が有ったがオミノ氏の「がん病棟からの脱出」が最大のインパクトを持っていた。
特にオミノ氏が自分の納得の行く治療を求め強固な意志を貫いて行かれる所と父と同年輩でほぼ同じステージと思われるKさんの記録に大いに勇気付けられた。オミノ氏は勿論、素晴らしい手記を寄せられたKさんのお嬢さんにも感謝。
東病院や大津先生の情報・学会論文要旨なども見つけ、この時点で総合病院でのインフォー ムドコンセントを受けるに足る情報をほぼ集める事ができた。インターネットの威力を改めて 認識させられた経験だった。
8月30日
採血・採尿・レントゲン・CT・骨シンチ等々の検査を受け9月4日に結果を聞くことになる。父の食欲は平常通りで用心のために昨日より7分粥にした食事も美味しいそうだ。9月3日までに皆で十分話合って方向性を決めておかなくてはならない。
9月3日
午後10時、駅に迎えに来てくれた弟と帰宅。先日旧盆で帰省した時と同様に父は病人とは思えない程元気そうで安心した。精神的落ち込みを心配したがこれなら話し易い。
父は皆に心配をかけて申し訳無いと謝っていた。本人が病名を知っているので何も隠すことなく今後の闘病について皆で相談でき、兄弟でまとめた下記の方向性を申し出た。
(1) 内視鏡で取れる程度で無い限り手術は受けず東病院での併用療法を選択する。
(2) 家族全員の意見で有る事を伝えるためにも母が方針を医師に話し、私がセカンド
オピニオンを受けたい旨を伝え検査資料を借出す事をお願いする。
父は手術も受ける心積もりだったが両親ともこれを受け入れてくれた。名誉院長にお願いして検診も受けており手術の方向で病院側も動き出している中での患者側からの申し出としては言い出し難さも確かに有る。一刻も早く治療にも入りたい。しかし、やり直しは効かない。オミノ氏の勇気を見習い、「セカンドオピニオン」という言葉が病院側に通じるのを祈りながらの選択だった。
病院での数十分の説明の間に家族で話合って意見をまとめることはほとんど不可能。あらかじめ患者自身も含めて話合って考えをまとめておくことは有効だと思う。
夜明けまで弟が探してくれた江国滋さんの「おい癌め 酌みかはさうぜ 秋の酒 ― 江国滋闘病日記」と寛仁親王の「癌を語る」を読んだ。後者を読んで手術でもなんとかなると思う人は江国さんの壮絶な手術死(短くても自宅に帰っているので病院側はそうは言わないかも知れないが)に至る闘病記を読んでみるべきだ。
9月4日
両親と兄弟、4人で総合病院へ。病院での説明は出来るだけ家族全員で聞き、誰かが必ずメモを取っておくべきだと思う。
主治医となってくださったのは副院長T先生と外科医長O先生。
内視鏡検査を受け、T先生より先日の検査結果も踏まえての説明。大きさは7.5cmになっておりステージは2か3、骨や肺、脳、肝臓への転移は見られないというのもので、外科以外の治療についても説明を頂いた。やはり手術が標準的であり胃が無くなるため栄養が取りにくくなるが1.5ヶ月程で退院できるという話。やはり患者の前では大変な手術であるというのは話難いのか、その後父が検査のため中座した際に相当大きな手術になることや年齢から考えてリンパ腺の完全な郭清は難しいことを告げられた。
食道がんという大変な病気に対しては手術が現在最も一般的で実績もあるという認識の上で、少しでも患者の不安を和らげようという気持ちもあってのことだったと思う。
できるだけ早い手術をということで9月10日に予定を入れてもらっていた。迅速な手配には感謝しつつも、母が父の年齢もあってできるだけ手術は避けたいという考えを述べ、私から国立がんセンターでセカンドオピニオンを受けようと考えている事を伝えた。
丁度、名誉院長のK先生も様子を見に来られたがセカンドオピニオンの件をT先生から聞かれ驚かれた様子。父自身も手術の覚悟をしていたこともあるが、やはりそこまで申し出る患者の家族がまだまだ少ないのだろうと感じた。
しかしそこからの先生方の対応は大変立派だった。T先生はすぐに更に必要と思われる検査の手続きと検査結果資料の持出し許可と紹介状を用意して下さり、K先生も「最高最適の治療で一日も早く全快して下さい。」と快諾頂いた。意志を固めていたとはいえ、お二人の大きな心がどんなに有難かったことか。
すぐに病院外に出て携帯で国立がんセンター東病院に電話した。電話に出られた受付の女の方に「父がステージは2から3の食道がんと診断されました。内科の大津先生に診て頂きセカンドオピニオンをお願いしたいのですがどのようにしたら良いでしょうか。」と尋ねた。大津先生の外来診察は火曜・水曜・金曜だが、その週は所用で次は9月12日とのこと。健康保険証と紹介状、できればそれまでの検査結果を持ってきて欲しいとの事で、特に予約なども無く「いよいよ千葉に行くぞ!」という決意のこちらが拍子抜けするほど(当たり前といえば当たり前だが)普通の対応だった。
弟が父母を一旦実家に連れ帰り、私はもう一度T先生に面会をお願いした。セカンドオピニオンでの大津先生の見通しと比較するためにどうしても手術を受けた場合の5年生存率を確認しておきたかったからだ。父の年齢やリンパの完全郭清が困難なことなどからと思われるが「5年生存率は申し上げられない。」という答え。これで心は完全に決まった。T先生には率直に答えて頂いたことに今でも大変に感謝している。
本当に長い、しかし前途に希望を持てた一日だった。
9月7日
午前中、総合病院にて骨シンチ検査。結果は良好。
9月11日
翌日の東病院行きを控えて両親と弟が岡山から上京。東京在住の父の弟妹3人が駅に迎えに来てくれ思ったより元気そうだと励ましてくれる。丁度、東京出張があった私も柏駅前のホテル「サン・ガーデン」で合流する。
9月12日
朝食を早めに済ませ(本当は検査のため食べて行かなければ良かったのだが、検診が何時になるか分からなかったため)荷物をホテルに預けて午前8時過ぎにタクシーで東病院へ向った。
広々とした柏の葉公園に面した建物の「がんセンター」という文字が非常に大きく見えたのを記憶している。
明るい感じの広いロビーに入り、申込書に食道がんであることと(ここが一番重要だが)内科の大津先生に診察頂きたい旨を記入して受付の箱に入れ、9時の受付開始を待った。すぐに父の名前が呼ばれ内科の受付に行くように言われた。内科受付はロビーから少し入った所でこちらもソファが並びリトグラフや平面TVが壁に掛けられた明るいスペース。紹介状と検査結果を提出しソファに座って順番を待った。
午後まで待たねばならないだろうと覚悟していたが1時間もしないうちに呼ばれて家族4人で診察室に入った。大津先生のスタッフの山下先生から簡単な確認と検査申し込みの説明を受けた後、一旦内科ロビーに戻りいよいよ10時頃より大津先生の診察を受けた。
持参したデータに目を通され治療を引き受けてくださることになった。固唾を呑む思いだったが本当に有難く4人で喜び合った。
大津先生は他の方にされたのとほぼ同じ説明をされレントゲン写真からやはりステージ2から3と思われ、3年生存率で40%の結果が出ている事と治療中にお一人だけ内臓疾患で亡くなった方がおられる事を話された。
漢方などを服用しても良いでしょうかと伺ったところ、抗がん剤との複合作用も確認されて
いないので取敢えず止めるようにとのご指示があった。インターネットで中国の「天仙液」という薬を見つけて試しに1月分を購入していたのだが使わない事にした。
その日は血液やレントゲンなどの再検査を受けたが、一部の検査が翌日朝食抜きで行われる事になり昼食を病院8階の食堂で食べてからホテルに父母と弟の分の延泊予約を入れた。チェックインには少し早めだったが、すぐに部屋に入れてもらえ父も横になることができ大変助かった。
9月13日
10時半、大津先生による内視鏡検査。9月17日にその結果をお聞きしレントゲン検査を受ける予約をして帰岡した。
父はこの2日間で大津先生の患者に対する誠実さと山下先生のお心遣いに東病院のレベルの高さと暖かい雰囲気を感じたらしく「大津先生にお任せしたら絶対に治ると信じた。」と喜び、「万一そうならなくても満足だ。後悔は無い。」と言いきったそうだ。母と弟も同感で本当に半月振りの安堵でだった。
(ここからは父母の記録が中心)
9月17日
前日より柏に一泊し午前10:45よりレントゲン撮影。11:20面談室で大津先生より検査結果と今後の治療法について説明を頂いた。
先生は穏やかにそしてはっきりとステージは3であること、治療の結果についても数字で分かり易くお話下さり、皆納得して入院日の連絡を待つことになった。
病室も5万円、3万円、1万5千円の個室と相部屋があるが、とにかく早期の入院を優先してとお願いした。
翌々日だったと思うが病院からその一番上の部屋が空いたのでどうでしょうかという連絡を頂いた。一も二もない。すぐにお願いして9月20日から入院という事に決定。
9月20日
治療のため8階に入院する。主治医は大津先生、そして山下先生と河田先生。山下先生より治療について説明を頂き2時頃と夕方回診の大津先生より25日に治療を開始しますと告げられる。
9月21日
10:00放射線照射に備えて1階放射線室でCTによる位置決め。担当は石倉先生。なんとオミノ氏と同じ組合せ。
9月22日〜24日
治療中は遠慮したほうが良いと思うからと東京在住の父の兄弟たちが来院。私達も連休を利用して子供達を連れ父を訪ねた。実際の抗がん剤投与と放射線治療は休み開けからとの事で父も子供らと公園のような病院の周囲を散歩したり緊張の中にも団欒を楽しむ事ができた。
先生方や婦長さん・看護婦さん達に親切にして頂くことを喜び、東病院の在り方に感服していた。部屋は応接セットが付いた12〜3畳の病室と4畳半の和室にキッチンと大きなバス・トイレ付きで、周囲の環境や医療スタッフの方々の素晴らしさは無論の事、本当に東病院は有難いと思った。
オミノ氏の頃には無かったコンビニや東病院から東京駅との間の直行高速バスも出来て、非常に便利になっている。特に直行バスは八重洲口から乗れるため大変に楽でいつも利用していた。
9月25日
第1クール1週目。いよいよ抗がん剤点滴と放射線照射。11:15から24時間点滴開始。副作用無し。放射線照射1回目で気のせいか胸の辺りが楽になったような気がするとのこと。
(付記:治療に関しては他の方々が述べられている通り。放射線の技術や精度も大変優れており、しかもオミノ氏の頃は2方向からであった照射が3方向からと他の組織への影響を減らして患部に集中できるように改良されている。特に優れ物はコンピュータで制御される精密ポンプ内蔵点滴装置で患者の脈拍などに合わせて投薬量を制御し24時間連続点滴を可能とするもの。これだけでも副作用が全く違い東病院を選ぶ価値が有ると思う。)
9月29日
抗がん剤のみ。少し咳が出て声が嗄れる。食欲は旺盛ですき焼きを食べたいといい、叔母が差し入れてくれたすき焼きに満腹。この一週間、副作用無し、平熱、痛み無し。
9月30日
副作用で始める。19:00頃、胸に痛みあり座薬を使用。30分位で治り、咳・痰も出なくなる。
10月1日〜5日
第1クール2週間目。抗がん剤と放射線照射。
1日、5:30採血。食欲無し。
5日、吐き気。平熱・口内炎無し。
大津先生は必ず朝夕回診して下さり、「治療は順調です。その中に食べられる様になります。」と励まして下さる。山下先生と河田先生も度々来て下さり父はとても気持ちが安らぐといって喜ぶ。
10月6日
栄養剤と制吐剤点滴。同じ治療を受けている先輩患者さんから第1クールが一番大変だったとの話を伺う。
10月7日
栄養剤と制吐剤点滴。週末出張で上京し父を見舞う。食欲が無いのを心配していたが栄養剤のお陰で元気そうで安心する。
10月9日〜12日
第1クール3週目。放射線のみ。唾液が出始める。吐き気強くコントミン100ml点滴。良く効き良く眠れる。
11日、午前5:30採血。吐き気消える。同階のIさんより松茸ご飯を頂き少し口にする。そのお陰で食欲が少し出てきた。
12日、大津先生の回診で15日採血し、その結果と体調が良かったら16日に退院と伺う。第2クールは11月5日からとのお話あり。退院後。1週間目に地元で血液検査して結果を連絡するように指示される。
10月13、14日
栄養剤点滴。食欲出始める。
10月15、16日
放射線(15回照射終える)。16日退院の許可が出て弟が病院に迎えに行き無事帰宅。"のぞみ"車中、父は好物のチラシ寿司1人前とあなご寿司少々を平らげたそうだ。
10月23日
地元総合病院で血液検査。白血球減少のため増加剤を皮下注射。退院以来食欲は元に戻り、大津先生より予定通り11月5日から第2クール開始との連絡頂く。今度は1つ下の部屋だが、それでも応接セットを入れても十分なスペースが有り大変に良い部屋だった。
11月4日
翌日からの再入院のため上京する父母を途中見送るため、家内・子供らと新大阪駅に行く。これも好物の「伊勢の赤福もち」をことずける。新幹線の中で半分、ほとんど父の口に入ったそうだ。父は体重も増え大変元気で、母とフルムーン旅行でもしているようだった。他の人からはとても命がけの戦いをしているようには見えなかっただろう。
11月5日〜9日
第2クール1週目。抗がん剤+放射線。内視鏡検査あり。「薬が良く効いています。」と係りの先生より。
5日昼前、命の恩人のオミノ氏が見舞ってくださる。「世界一の病院で世界一の先生方の治療を受けるのですから絶対に治りますよ。」と体験された方から励まして頂くと本当に治る気がして勇気を頂いたようだ。
「氏はとてもお元気そうで気持ちのさっぱりとした好青年。この若い人にどれ程多くの人が救われることだろう。」と両親は感激して知らせてくれた。
午後に回診下さった大津先生も内視鏡のことを「良かったようですね」と。父母も今日は実に良い日だったと喜んでいた。
9日、放射線20回が終わり石倉先生がCTで別方向から照射位置を決めて印を付けて下さる。
11月12日〜16日
第2クール2週目。抗がん剤+放射線。今日から方向を変えての照射。食欲あり。CT・採血・血液状態良し。この間、鰆の鍋、牡蠣フライ、餃子等など父の食欲は旺盛。
11月19日〜22日
第2クール3週目。放射線のみ。22日、午前中放射線を済ませ、知合いも出展されている上野の日展を見るために外出。夜、東京出張中の私と合流。気分転換になったらしく楽しそうだった。
11月25日
鼻を強くかみ鼻血が20分ほど続く。副作用が出始めたらしく食欲減退。
11月26日
放射線30回照射完了。石倉先生、技師の方々にはいつも親切にして頂き、放射線室に行くのを楽しみにしていた。顔馴染になった人達との会話も参考になったりパワーを頂いたりしたようだ。立ち眩みがあり栄養点滴して頂く。食欲無し。
11月27日
体調回復し退院。
帰宅後、第3クールまでの間に3回ほど立ち眩みあり。貧血かと心配し近所のT医院で栄養点滴。12月に入り食欲戻る。退院の度、白血球の減少・抵抗力の低下による風邪から肺炎発生の心配と食欲不振による体重減少が起こるが地元総合病院での万全の対応により回復。回復途上の食物の美味しさと食べられる有難さにその都度生き返る思い。
12月7日
地元総合病院で血液検査。結果良好で大津先生に報告の結果、次回入院は12月14日と決まる。
12月14日〜19日
第3クール。14日、血液検査・CT・内視鏡検査。15日より5FUとシスプラチン倍量点滴。副作用はまだ出ず。16日、副作用か血圧低く最高100をきる。食欲はある。17日、食欲少し減る。血圧今日も低め。起上がり、立上がりをゆっくりするように指示あり。
18日、不注意にロビーの椅子からサッと立上がり立ち眩み。一瞬意識消失。間髪入れず婦長さんと看護婦さん数名が駆けつけて下さる。大津先生に連絡。心電図、24時間モニター、頭部CTと速やかに対処して頂く。病室トイレでもう一度一瞬の意識消失あり。
19日、点滴終了。心臓異常なし。食欲は半減する。低血圧ながら立ち眩み無し。栄養点滴。退院は連休明けとなる。院長回診、温顔の先生はカルテをご覧になりながら「よく頑張りましたね。」と労って下さる。
12月21日
出張で上京。父を見舞う。ベッドに横になり食欲低下から大分痩せていたが思ったよりも元気。この日の夜、大津先生より14日の内視鏡検査で採った組織からは癌細胞見当たらずとのお知らせを頂く。父にも本当に凄いことが起こったのだ。岡山・大阪・東京と喜びの電話が飛び交った。しかし大喜びするのはまだ早い。謙虚に1ヶ月検診の結果を待とう。
12月23日
血圧が少し安定する。食欲も出てきた。栄養剤を点滴。
12月24日
今日はクリスマスイブ。ナースの皆さんから優しいメッセージカードと食事の際に苺のショートケーキを頂く。ケーキはペロリと平らげたが、1階ホールでのクリスマスコンサート出席は断念して部屋で休養。
12月26日
退院。2月6日に血液検査・CT・内視鏡検査の予定。「結果が良ければ第3クールで終わりにします。」と大津先生。高齢で順調な場合は第4クールをしないこともあるとオミノ氏から聞いていたがそうであれば大変に嬉しい。
弟が心配して東京駅まで出迎えに行った。必要なら車椅子も借りようと調べていたが、父はバスからスタスタと降りてきて「騙された(笑い)」と思ったとのこと。
父の治療はこれで終わりました。帰宅後、350枚の年賀状を書き、元気に新年を迎え、三が日はお雑煮(毎日5個の餅!)で祝うことができました。手術していたらこうは行かなかったでしょう。本当に有難いことです。
2002年2月6日
東病院でCTおよび内視鏡検査。結果は1週間ほど後になるが大津先生の所見では「大丈夫と思います。」との事。2月15日に先生よりお電話で結果を知らせて頂くことになりました。
そして2月15日、癌細胞消失の連絡を頂きました。
今年の1月22日、父は75歳になりました。昭和2年生まれで予科錬に行った最後の世代。加齢で6cmほど縮みましたが今でも身長178cm、体重80Kg。副作用で食欲が無くなると5〜6Kg減りますが、その時期を過ぎれば1週間ほどで元にもどりました。
ずっと平熱で口内炎無く、皮膚の炎症も無く脱毛も今のところありません。第3クールでの立ち眩みと食物の匂いで吐いたりして、その時は苦痛だったようでしたが副作用は思ったより軽かったと言っています。
病後で自重しているのですが車で外出も出来るようになり、暖かい日には趣味の薔薇の剪定をしたりして体力の回復を待っています。
オミノ氏のお陰で回り道することなく大津先生の所に直行でき命を救って頂きました。不安な時など私もメールや電話をさせて頂き、ご助言や情報に一同どれほど勇気付けられたか知れません。父もお蔭様で「息子達が自分のことをこんなに思ってくれていたとは...」と喜んでくれました。
両親は東病院の先生方・ナースの皆さんのご親切・親身になってのお世話が本当に嬉しかったらしく、入院の度「只今!」とご挨拶していたそうです。
寡黙でシャイな大津先生。ひたむきな山下先生。おおらかな川本先生。河田先生。本当に有難うございました。改めて皆様に厚くお礼申し上げます。
次の検査は5月です。3ヶ月、1年、2年とまだまだ乗り越えていくべき壁は有りますが、外科手術に勝る結果を出しながら治療の危険性ははるかに低く、ほとんど治療前と変わらないQOLや今後の医療の進歩による新たな治療方法への展開も可能な東病院での併用療法を選択したことは正しかったと確信しています。
また、この優れた治療が他の医療機関でも同じレベルで実施されるようになり食道癌の標準的な治療となるべきであると信じて疑いません。
page uploaded on 2002/03/17
このつづき、「あれから2年が経った」をuploadしました (2003/10/15)
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