2002/12/31 313件
2003/01/09 886件
1日のアクセス件数が平常に戻り、正月が終わった事を実感、それと共に負のエネルギーが押し寄せる。

未だ、テレホーダイが主流なのか?皆深夜になると考え込むからなのか?重いメールは深夜にやって来る、特に患者自身より家族から。
僕は、人の生き死に関わる事だからと最優先で対応して、午前2時を過ぎることも少なくない。
ガンと宣告され焦る気持ちは解るけれど、負のエネルギーは僕のストレスとなり、酒・たばこの量が増える。

三年前に書いた、EBMに基づく治療を望む
誰も自分の命を扱うように他人の命を扱わない、最終的な判断は自己責任と!

にもかかわらず、家族から、『患者本人を説得して放射線化学併用療法に折伏するように』頼まれた事もあった。
しかし、『患者本人の意思を尊重して下さい、子供じゃないのだから、結果はどうあれ患者自身が下した選択であるなら、その結果に本人も納得出来ます。もし、本人を説得して結果が失敗だったらあなたは一生悔やんで生きて行かねばならないですよ』と決り文句の返事を送る。

僕のサイト、リンクをよく読みもせず、闇雲にヘルプコール。最低な質問に『東病院はどこにあるのですか?』こんな輩を相手にしては、時間がいくらあっても足りない。

そこで、掲示板を再度立ち上げ、戦友の力を借りて対応を試みるが、パソコンを扱える協力者は少数で、一部の人々に負担が掛かり過ぎた。
しかも、掲示板で客観的事実が語られる事は少なく、狂信的で情緒的な、実績も再現性も科学的裏付けも無い話が真実のように語られた。そんな参加者は男性女性どちらが多いか、ご想像にお任せ。

運のお裾分けをと思って、返事を書いてきた僕の気持ちを踏みにじられるような日々。掲示板を再び閉鎖。

掲示板を閉鎖しメールアドレスを削除すると、いきなり電話を掛けてくる無法者も現れた。メールアドレスは表示しておきます。しかしギブアンドテイク、持ちつ持たれつ。先行者の意見を求めるなら、自分が先行者となったときには義務を果たさなければ辻褄が合わない。

最近メールが来ると『ヘルプするが、無事治療完了時には寄稿をしますか?』に変えた。これにて一件落着!自分が困ったときには平気で他人の手を煩わせるが、自分は他人をサポートしないような利己主義者に付き合うほど暇ではない。

もはや身勝手者を相手にする時間は無駄、今後は他のサイトに任せ、近日yamai.orgを閉じる予定! と、書き終えたら、最初にアシストしたMYから『三年経って、勝ち逃げですか?罰が当たりますよ』と脅された(^_^;)ハイハイ分かりました、サイトは閉じませんよ。

長いような、短いような3年の月日。二年目とは緊張の度合いが違うと自覚しながら検査に望む。

お陰様で検査は無事終了!

2003/02/07 銀座にてオフ会を開催、参加者は昨年の倍を数えた。


国立がんセンター東病院編(http://yamai.org/hospital/cencer.center.east.htm)に書いた、

1999/12/25 例によって喫煙所で情報集めに精を出す。しかし場所柄か
         皆さんお任せコースのようだ。その上、肝心の食道ガン患者が
         居ない!?焦る。

       26 また情報収集に行き、やっとメッケた。KさんとSさんだ。二人とも
         大津医師のプロトコールで僕と同じだ。
         僕『どんな様子ですか。』
          Kさん『多少車酔い程度のダメージかな?』
         Sさん『多少食欲が落ちますかねー。』
         二人ともえらく気軽な返事、百聞は一見に如かず。  

         僕はハラを決めた


時は過ぎ…

Kさんは職場から救急車にて東京のS病院へ緊急入院一泊十数万円の個室と聞いた。そして手術、しかし再発して東病院へ入院したそうだ。
その後Kさんと二度と会うことは無かった。

Sさんは度々、病院にて出会ったり電話連絡があった。
元気そうにしていたが、2001/秋、二年目の検査で再発が確認された。
抗ガン剤を変え再治療、一年半何とか持ちこたえたが永眠。その10日後2003/2/17、奥様より死亡の事実を知らされた。 

お世話になりました、ご冥福をお祈り致します
合掌

2003/2/17日、MYと香味屋帝劇店にて食事。
僕は今、生きてる喜びを感じるために季節感のあるカキフライを注文した。

彼は言う『我々は状況を伝える使命があるんです』と。