2002/12/31 313件 未だ、テレホーダイが主流なのか?皆深夜になると考え込むからなのか?重いメールは深夜にやって来る、特に患者自身より家族から。 三年前に書いた、EBMに基づく治療を望む にもかかわらず、家族から、『患者本人を説得して放射線化学併用療法に折伏するように』頼まれた事もあった。 僕のサイト、リンクをよく読みもせず、闇雲にヘルプコール。最低な質問に『東病院はどこにあるのですか?』こんな輩を相手にしては、時間がいくらあっても足りない。 そこで、掲示板を再度立ち上げ、戦友の力を借りて対応を試みるが、パソコンを扱える協力者は少数で、一部の人々に負担が掛かり過ぎた。 運のお裾分けをと思って、返事を書いてきた僕の気持ちを踏みにじられるような日々。掲示板を再び閉鎖。 掲示板を閉鎖しメールアドレスを削除すると、いきなり電話を掛けてくる無法者も現れた。メールアドレスは表示しておきます。しかしギブアンドテイク、持ちつ持たれつ。先行者の意見を求めるなら、自分が先行者となったときには義務を果たさなければ辻褄が合わない。 最近メールが来ると『ヘルプするが、無事治療完了時には寄稿をしますか?』に変えた。これにて一件落着!自分が困ったときには平気で他人の手を煩わせるが、自分は他人をサポートしないような利己主義者に付き合うほど暇ではない。 もはや身勝手者を相手にする時間は無駄、今後は他のサイトに任せ、近日yamai.orgを閉じる予定! と、書き終えたら、最初にアシストしたMYから『三年経って、勝ち逃げですか?罰が当たりますよ』と脅された(^_^;)ハイハイ分かりました、サイトは閉じませんよ。 長いような、短いような3年の月日。二年目とは緊張の度合いが違うと自覚しながら検査に望む。 お陰様で検査は無事終了! 2003/02/07 銀座にてオフ会を開催、参加者は昨年の倍を数えた。 国立がんセンター東病院編(http://yamai.org/hospital/cencer.center.east.htm)に書いた、 1999/12/25 例によって喫煙所で情報集めに精を出す。しかし場所柄か 26 また情報収集に行き、やっとメッケた。KさんとSさんだ。二人とも 僕はハラを決めた。 時は過ぎ… Kさんは職場から救急車にて東京のS病院へ緊急入院一泊十数万円の個室と聞いた。そして手術、しかし再発して東病院へ入院したそうだ。 Sさんは度々、病院にて出会ったり電話連絡があった。 お世話になりました、ご冥福をお祈り致します 2003/2/17日、MYと香味屋帝劇店にて食事。 彼は言う『我々は状況を伝える使命があるんです』と。 |