12月15日 朝10時:国立がんセンター東病院(http://www.ncc.go.jp/jp/ncce/shokudo.html)の放射線科に電話した。
僕『受け入れて頂けますか?』
相手『そんな話、即答は困難です。2時間後に再度お電話下さい。』
僕『解りました 。失礼ですが、お名前は?』
相手『二瓶です。』
僕『では二瓶先生、2時間後に電話いたしますので宜しくお願い致します。』
11時:東京女子医大・大川教授から事の説明を受けていたが、ハラは決めていた。大川教授の話を遮り、『電話の約束がありますので失礼致します。
僕の希望は東病院に行く事です。』
大川『解りました、池田部長に大川がよろしくと伝えて下さい。』
僕『有難うございます。』
   16日 12時ジャストに電話する。『受入OK』だ。
   17日

放射線科で受け付けし、お約束の手続きをとる。
荻野医師と面談、これまでの経緯をレポートにし渡す。
荻野『ここ東病院では放射線科にイニシアティブはありません。担当医は 内科の大津先生になります。』
ガーン、掟破りだ。最初にあったところが担当ではないなんて....
挙句に抗ガン剤を使うから、担当は内科との説明を受けた。
担当医で消化器内科医長の大津敦医師(http://www.yomiuri.co.jp/iryou/renai/20000721sr11.htm)と面談する。
大津『標準的には手術です。放射線プラス抗ガン剤治療の5 year survival rateのデータはありません。3年前から始めましたから  3 year survival rateは70〜80%です。東病院では手術と変わらない成績が出つつあり ます。』
どうもこうもない。『放射線でお願いします!抗ガン剤の件は考えさせてください。』
5FUだの、シスプラチンだの怖い名前が出てくる。それも24時間2週間の連続投与だと言う。抗ガン剤と併用すると放射線の効果が上がる、とは聞いているが?
注(京都大学のサイトより)
5FU:ピリミジン代謝拮抗薬の抗腫瘍薬で、主な副作用として骨髄抑制、脱毛、下痢、色素沈着などです。
シスプラチン:白金と塩素、アンモニアとの化合物でありDNA合成阻害作用により抗腫瘍 効果を発揮するとされ、主な副作用として腎障害、嘔気嘔吐などがあります。

池田恢部長(http://jshnc26.umin.ac.jp/statement1.html)にお目にかかる。
『放射線で直して下さい。 中央病院から持ち出したデータが陳腐化しないうちに、早期治療を始めて下さい。放射線科の手柄にして下さい!』僕は懇願した。
池田『大川教授の件は聞いている、マー心配しなさるな。』
ベッド待ちの予約を入れて退散した。

   21日 胃カメラとCTの検査をした。胃潰瘍も発見される。
   22日 『今回、がんセンターへの紹介状を書いて下さった保健所の北村所長はT大学医学部出身で、友人のDr.SやDr.Rの教え子である事を今日 り、世間は狭いと感じました。』と友人にメールした。
   24日 クリスマスイブに入院した。パソコン持込禁止のためワープロを持参した。
体重は72キロ。夕食にケーキが付いて来た。生まれてこの方、初めての侘しいクリスマスになった。
Dr.Sよりメールが入った。『今度こそ粛々と出かけて下さい。サイは投げられた(ジュリアス・シーザー)。』
   25日 例によって喫煙所で情報集めに精を出す。しかし場所柄か皆さんお任せコースのようだ。その上、肝心の食道ガン患者が居ない!?焦る。
   26日 また情報収集に行き、やっとメッケた。KさんとSさんだ。二人とも大津医師のプロトコールで僕と同じだ。
僕『どんな様子ですか。』
Kさん『多少車酔い程度のダメージかな?』
Sさん『多少食欲が落ちますかねー。』
二人ともえらく気軽な返事、百聞は一見に如かず。
  僕はハラを決めた。
  ありがとう、お二人さん、お目にかからなければ抗ガン剤は蹴る積もりだったから。(抗がん剤も商工ローンも、「溺れる者は藁をも掴む」と決め付けていた。)
   27日

治療開始に当たり、循環器の天野医師に面談した。
心臓外科が専門との事、宗教的には関係ないが「エホバの証人」の指定医新東京病院所属。心臓はガンにかからないから心臓の専門は居ないのか?
天野『ここの先生は皆、腕はいいんだけれどシャイなのよ。』

 

ガン告知56日目にして、いよいよ攻撃開始だ。
午前:抗ガン剤の5FUとシスプラチンを投与開始。
午後4時:マイクロトロンBにて放射線照射。
放射線科の担当は石倉聡 医師。
放射線治療の担当は大山正哉(http://www.toyama-mpu.ac.jp/hp/divrt/jsrt97/prog46.html)技師。

   28日 午前0時30分:就寝。
5時:小便にて起きる。体温は35.5度。
女子医大入院時に聞いた話では、とにかく水分を取れ!抗ガン剤から逃げる手は一に水分、ニに水分。幸い個室なので室温を高めに設定する。お茶それも緑茶が良い。
『わたしって乳房は小さいのに腫瘍は大きいの。』と、 とにかく明るく元気な人に教わった。
8時:食欲あり、ほぼ平らげた。(-。-)y-゚゚゚
点滴の針口にも違和感がなくなりだした。抗ガン剤の影響は無しか?左手首にはピンクのお呪いツボを押さえて、酔い止め効果があるとの事。自慢じゃないが、酔い止めなど小笠原に行った時、ヤバいかなと思ったくらい縁遠い。しかし相手は有名な抗ガン剤、ひたすら飲み排泄した。6.5liter/24hr. ボトル1本のウイスキーの替わりに睡眠薬を飲み2時間おきに起きるという、まさにアクセルとブレーキを同時に踏む行為に等しい。
午後:Dr.Sより電話があり、気分良好と伝えた。
   30日 体重は76.5kg。4.5kgムクんだか?こんな時ビルケンシュトックは大いに役立つ。歯茎より出血したので羊の毛の歯ブラシを買う。鼻の粘膜にもダメージがある。口内炎が発生し、口腔膜疾患治療軟膏をもらう。
   31日 午後:洗髪をしてもらいに地下の理髪店に行く。抜け毛異常なし。風呂にも入れるそうだが、針が気になりそれ処ではない。ウォシュレット付きトイレはありがたい。
2000年
 1月1日
何十年ぶりかのシラフで迎える初日の出、ナースステーションにて。
都会と違って、周りには視界を阻むモノなし。
8階から眺めると、地平線近くに出た出た!!初日の出。20世紀最後の正月を迎えた。
5FU投与終り、一時帰宅だ。
    2日 病院にトンボガエリ。午後9時ふたたび病室のベッドの上の人となる。
    6日 目標再確認のため撮影する。
    7日 目標3ミリのズレを修正する。
僕『腫瘍の外側にはどの程度当てるのですか?』
大山技師『頭部など動かない所は5ミリ余計に当てますが、食道等は動く箇 所なので10ミリ余計に当てます。』 なに、10ミリのマージンだって?何処ぞでは30ミリと言ったぞ。
デジタル画像処理システム、コントラスト自動調整。保険にも、デジタル処理代金として加算されるそうだ。がんセンター東病院、精度が違う。
僕『何秒間当てるのですか?』
大山『この機械は一分間に3Grでます。前後1Grですから片面20秒です。 
しかしもう一方で使っていると、その間待たなければなりません。』
僕『そうですか。宇宙戦艦ヤマトの波動砲と波動エンジンの関係みたいですね。』(~o~)
そこで僕からの提案『そんな短時間なら、息を止めますから指図して下さい。』
リンパを含めT字に照射される。わずかにBGMが流れてる。
大山『始めます。』
約3秒後ジィーとかすかな音が聞こえる。僕は数える。1、2、3、4、.....
大山『楽にして下さい。』ハァーと息をする。
僕『理想的な患者は何をすれば良いですか?』
大山『十分理想的患者です。』
僕『ならお互いベストを尽くして、結果はどうあれ、最高ですね。』
    9日 一時帰宅にて、10日退院の手続きをとる。
   10日 午後1時、外来にて放射線に通う。
夜、春木屋へ家族3人で出掛ける。妻娘に大盛中華そば、僕ワンタンメンを注文する。喉の締りがピークを迎える。そばを喉に通すために、まるでペン ギンが魚を飲み込む様にアゴを上げた姿勢で、それも少しずつ慎重にしなければ通らない。風邪を拗らせて、扁桃腺が腫れたような感じだ。
妻『食べ切れないの?私に頂戴。』
僕は喋るのも苦痛で、無視した。そもそも僕がワンタンメンを頼む事などなかったはず。麺すらきつい事が分からんのか、デリカシーに欠けテンだから!
   14日 JJ510のバッテリーを交換する。万が一、朝エンジンが掛からなければ面倒が起きる。車なら50分程度の通院時間だ。外環、常磐、共に空いてる。
レブカウンター3000RPM。久々にレカロをのせた。
   17日 帰宅途中、表示板を見ると首都高は渋滞ナシだ。そこで中央病院の喫煙所に向かう。三浦岬から来ているKさんと再会した。 Kさん『みんな、君の事、心配してたんだから。』
当時の面々はみな退院し、メンバー同士の交流が続いていると言う。僕も末席に付け加えさせて貰った。
   24日 目標のマーキングが消えないよう、薄くなった所にペンを足す。ちなみに、米国では刺青を入れるそうだ。
   25日 グロープラグ1本交換、気温対策完了。最近、とみに視力が落ちた。名刺等の字もきつい。読み書き専用のメガネを調達。乱視やら、プリズムやら入れるので、時間をくれと言われる。眼鏡輔の専務Mとは、30年来の付き合いだ。任せて、完成後病院宛てに 送ってもらうことにする。
   26日 次回入院準備のためフルサイズの「お〜いお茶」を6本(1本/日)調達する。院内売店ではフルサイズのお茶は入手不可だから。Gに送金する。米国事情やNicoderm等、色々世話をかけた。
   27日

持ち込む書類をチェックする。食欲は旺盛、喉の違和感は無い。元気の頃合をみて抗ガン剤とは、まるでボクシングの様だ。

   28日

午前10時:再入院。

友人達へメールする。入院している時はメールが有り難い。
『喉の痛みは完全に取れましたが、まだ粘膜が弱っています。昨晩、いつも の歯ブラシを使用したところ出血しました。まだ、抗ガン剤の副作用が残っています。抗ガン剤は初日のみシスプラチン、以後は5-FUを24時間、2週間連 続投与です。本日は、内視鏡とCTをやりました。短時間とは言え一番苦しい!通常の局部麻酔は僕には効かない(酒に強い体は麻酔にも負けない)。従って通常より強い麻酔を使います。検査の帰りは車椅子に座り、看護婦さんに押してもらって病室まで戻ります。本来なら、ベッドにバタンなのに?こうして、キーを打ってます。 内視鏡検査の結果ですが、目視(表面上)にてはガンを発見出来ず!お陰様で、予想以上に治療効果が良いそうです。 \(~o~)/まずは一安心です。CT検査の時、造影剤を注射しました。体が熱くなります。本日の検査、全て完了しました。』
夜:Dr.Sと柏市のデパート内レストランへ行く。柏往復タクシー代は5000〜6000円だった。

   29日

夕飯は柏駅東口近くのスエヒロで、しゃぶしゃぶ食い放題2980円。

 

H氏へのメールで、『再入院のタイミングは絶妙です(先人に感謝)。喉の通りは良くなりましたので、夕食は外食です(2カ月ぶりの肉料理)。この東病院の欠点は田舎、飯屋もタバコ屋も何にも無い(だから病院で煙草を販売※)。 病院のレストランは6時に閉店。中央なら9時まで。その他銀座も近いし。ちなみに、手術の中央、放射線と化学療法(抗ガン剤)の東、との噂あり。明後日からの抗ガン剤攻撃に向け、栄養を摂りに、柏まで片道3000円のタ クシー代をかけて行く。B級飯屋は栄養、と割りきらなければ阿呆臭い話です。』と書いた。        ※現在では院内で煙草の販売はしていません。(01年8月)

   30日 病院近くのファミレスへ、タクシー代1000円かけて行く。院内の食事にも飽きた。
メガネが到着した。さすが天皇陛下の眼鏡舗だ。ジャストフィットする。
   31日

午前11時:点滴準備開始する。前回と同質同量を投与するのだ。
友人達にメール『朝風呂に入りました。今後2週間は点滴(抗ガン剤)チューブがあるので風呂に入る気がしません。抗ガン剤後も、放射線治療は21日まで続きます。今、処置室に呼ばれ針を刺されました(緊張します、レントゲンで的確な位置か検査)。矢鴨状態です。』

2月 3日 前回と違いダメージが少ない。
   4日 前後からの放射線は最終日だ。40グレーを終了した。
   5日 本日のデータで、白血球3100、ヘモグロビン11.0、血小板17.0と出たが、名誉教授たちと違い、僕には数字を羅列されても意味不明だ。1575円で洗髪してもらった。 ガンに長男や末っ子は成りやすいとか。中間はストレスに強いとか。新説なり?
   6日 Sさんと再会。
   7日 本日のデータでは、白血球2800、ヘモグロビン11.3、血小板19.1だ。斜めより、脊髄を避けながら、片面放射30秒。放射時間が長いのは断面積の違い。腫瘍部分には、片面より1グレー当てる。 動く臓器は当てにならない。背骨、脊髄などの骨を基準に目標を推測し、5ミリ以上ずれたら修正を加える。30秒間、息を止める。担当は、高田敦子放射線技師だ。
喫煙所にて、咽頭ガンでステージ IVのYさん(http://www.dx.sakura.ne.jp/~freesia/gan/index.htm)に会う。彼は僕と違い中央病院 からダイレクトに東病院にやって来た。メールはOのイニシャル。勉強家。彼もまた、中央の名誉教授を讃えていた。彼の口から 『東には暗い人が多い。』実は僕も感じていた。
何故だろう?中央ほどの歴史がないので、名誉教授の数が少ない事かも知れない。彼らの経験は自信となり、ガン初心者に安心を与える。
   9日 お洒落なたばこ、カプリのレディー、明日退院おめでとう。でも来月また入院とか。Sさんが退院する。差し入れとして、抗ガン剤洗浄用にとウーロン茶フルサイズ5本頂く。
  10日 退院準備。そして来月の入院予約をする。洗髪 ニコニコしてないと運が逃げます!
  11日 体重は73.3キロ。ナースとソフトランディングに就いて話をした。 「医者が癌にかかったとき」竹中文良著。文春文庫p280
この種の出戻り患者さんの到来はナースたちのアレルギー反応を呼ぶ。『これホンネ?』って聞きました。彼女は 『そんな事はない。』  いまの状態、将来衰弱しての再会。段々に様態が変わっていく。 本人が望むなら自宅で迎えれば良いし。私が担当の時間に亡くなったら、人 生の終焉に立ち合わせて頂いた運命を感じる。彼女の答えはポジティブだった。やはり、死ぬ時は自宅で死のうと安心した。
  12日 退院
3月10日より3回目、4月12日より4回目の抗ガン剤のみの治療。


☆東病院新情報  東京駅・東病院間高速バス開通(2001年7月)(http://www.tobu.co.jp/bus/kousoku/kashiwa/index.html)