インターネットにてガン関係を多数検索、もちろん検索範囲は海外へも広げた。

11月9日

国立がんセンター中央病院(http://www.ncc.go.jp/jp/ncch/index.html)へ受入可能か、メールを送信する。
さらに、友人A氏には慶應病院の評判を、ガン先輩のY女史には、何故癌研(http://jfcr.or.jp/)を選んだか?等々を聞いた。そんな中、友人Kの奥様も慶應病院にてガンの手術をした事を知らされる。結構回りを見回すと居るもんですね、ガン体験者。
アメリカではどう対応しているのかN.Y.のGにもメールする。彼の親父は医師でもある。

  10日

国立がんセンターよりメール返信来る。受入OK!
紹介状はある。しかし宛名は慶應病院宛だ。そこで荻窪保健所に電話する。
事の経緯を説明すると、北村所長が対応してくれ、『紹介状は書きます。直ぐ来られますか?』
僕『もちろん直ぐ伺います。』 
保健所とは手軽で頼りになる所だ。

  11日
 (木曜)

白羽の矢は当たり、渡邊寛医師が主治医になってくれた。
患者を最初に診た医師が担当になる、お約束通りの展開だ木曜は渡邊外科内視鏡部長が担当する。これはインターネットにて確認済みだ。
問診しながら今後の予定がどんどん入力されていく。
  本日の検査
  血液検査 静脈血・動脈血
  X線 尿検査 心電図
  今後の予定
  胃・食道X線検査  11/15
  CTスキャン検査  11/22
  上部消化管・食道EUS検査  11/25
  腹部超音波検査   11/29
  ただし入院できた場合は予定変更。
  検査をしながらベッド待ちをする事になる。
渡邊『一応説明いたしますが、個室と大部屋、両方を申し込んでは如何ですか?早くベッドが空く可能性があります。貴方は快速のガンです。しかし食道ガンでも悲観なさらぬよう。髭の殿下をご存知ですか?私が執刀し、お元気ですよ。宜しければ読んでみて下さい。タバコは止めて下さい。手術の時にタンが絡み苦いですよ。』
プロ中のプロの言葉には説得力があり、誇りと自信にあふれていた。
僕は『治っても、お金に困り一家心中では話になりません。ベッドが空き次第どちらか早い方という事で、4万円までの個室、大部屋どちらでも構いません。』 と答えた。
一ヶ月120万円掛かる!安いか高いか解らない。待遇が違うのか?(綺麗な看護婦さんや美味しい食事?冗談。)
ベンツやボルボなら、事故を起こしても被害は最小らしい。しかし高額車を買って首が回らなくなり、自殺してはお笑いだ。
タバコを止めろとは「言うは易く行うは難し」。
噂のNicoderm(http://nicodermcq.quit.com/)を手配する。

  14日
 (日曜)

Dr.Sが茨城から杉並の我が家に来てくれた。
入院前の体力のあるうちに家族を紹介しようと思った。
しかし、母や妻に会わせる事により、彼の心境に変化が来るとは計算違いだった?それまで、正確なる情報を伝えてくれた彼だが、家族の事をも考慮し始めたのではないか?
彼は、輝かしい経歴を持つ麻酔科医だ。しかし、これまで何度となく命懸けの手術をしてきたのに、患者や家族と語ることが少ない立場の医師だ。

  15日

急いで入院用にBirkenstockを買いに行ったが、シーズンオフで適当なサイズが無い。時間は惜しいがインターネットにて調達を決める。

  19日

CT検査をする。近くに都内で二番目に上質なステーキ店哥利歐がある。しかし食道に引っ掛かり、行く気になれない。手術に備え体力をつける必要は百も承知なのに......
馴染みの理髪店で散髪、その足で小田急デパートの写真館へ写真撮影に行く。
さらに尊厳死協会(http://www.songenshi-kyokai.com/)に加入し、50%に備える。

  22日

胸の痛み止めの湿布薬と、食欲が出る薬を要求する。
福臨門にて飲茶のランチをとる。昼なら自腹でも行ける値段だ。
(病院の帰りにてサンダル履きゴメン。)
食後に有楽町まで散歩した。その時携帯に『国立病院ですが、オミノアツシ様はいらっしゃいますか?』と電話が入る。決してがんセンターとは名乗らない。
入院日は決定した。

  23日 荻窪の魚耕にて、親戚が集まり壮行会を開いてくれた。
  24日

9時:国立がんセンター中央病院個室(4万円/日)に入院する。
部屋のサイズは標準的でシャワー付き。パジャマは毎日交換してくれ、バスローブも週一交換してくれる。小便検査はバーコードにて自動検出だ。景色は最高だ。
入院診療計画書を渡される。そこには 「適切な情報を提供し、自己決定できる様に援助する」 と書かれていた。
しかし早速電話は鳴り出すわ、無神経な取引先の社員が渡邊医師との面談中に割り込むわ。入院は予定の行動です。しかし現実になっても治療に専念できない!
当時を思い出せば、手術しかない!!と思い込んでいた。それも長時間に及ぶ大手術と。
入院時に持ち込んだ本が二冊。一冊は、髭の殿下「癌を語る」。
もう一冊は、「患者よガンと闘うな」で有名な近藤誠医師
(http://www.hosp.med.keio.ac.jp/shinryo/radio/index.htm)
の本だが、店頭にて著作の多さに迷い、最新の「安心できるがん治療法」を選んだ。
入院とは、生け贄と似ている。満足な食事も出来ず行動範囲を制限され、切られるために待っている。
入院時間と共に精彩を欠き、ドンドン病人にされてしまう。
初めて単身海外、それもヨーロッパに行った、20代の頃を思い出す。オシでツンボの状態。習慣、ホテルやレディーの相場等々、大きな声で聞けない話。そんな時、僕が思いついたのは日本料理店だった。今回は喫煙所だ。ここには情報が有るはずだ!?
案の定、色々な情報が入手できた。「お互い様」「お陰様」と諸先輩はこちらが聞きたい事や解らない事を親切丁寧に説明してくれた。アー感謝。
唯一タバコに効用があるとすれば、患者同士のコミュニケーションが取れ、解らない事から生じる不安が消えていく事。
車椅子に乗り、抗ガン剤が効いてると、髭をつかみフーと息で飛ばしたNさん。旧館が新館の頃からと、受診カード番号の桁数を誇らしげに、『ガンと共生すればいいんだよ。』とアッサリ言ってしまう、右腕を吊ってたKさん。彼には最後まで手術を勧められた。しかし僕の決心は変わらない。
別れの日『お互い頑張りましょう。』と左手で握手を交わし、戦友と別れた。
当時を思い出すと涙が出る。
頑張るという言葉は戦友同士でしか使えない。見舞い客から言われると腹が立つ。
右足を真っ直ぐ伸ばしたまま車椅子に乗っているKさん。車椅子のサイズ合わせが得意だ。彼は足を切断直前に手術が中止になったそうだ。
手術をしたくなければ、医師に相談するより事務所のオオマツさんに相談した方が良いんじゃない?』とアドバイスをくれたベテラン患者。
見舞い客かと見紛う、元気な白血病の若い患者。
彼らは一様に勉強家で、ガンに詳しく、ある種エリート意識を持って入院している。さすが、ガンの総本山は患者も違う、と舌を巻いた。
もちろん、例外?も。
退院後も毎日慰問?にやって来るオバチャマ。
僕は彼ら名誉教授から多くの事を学んだ!

  なぜ僕は、手術を止めたか?
○根本原因(ストレスに因る一日にウイスキー1瓶、ショートホープ4箱)の対処なしではガン治療は無駄だ。○五年後の医学的生存率、ステージIで50%以下 5年後にポックリと言う意味ではなく、5年以内に死亡する率である。
手術をして体型体調が戻るのに何ヶ月掛かるか?4歳の娘が持つ記憶を大事にしたい。
○たとえ治った様に見えてもガンと縁切りは期待薄だ。今後も時間と金銭の消耗戦は続くと考えた。まだ小さな娘に資金を残し、共有出来る時間を持ちたいと思う。
○日に4万円の部屋に居ることは分不相応。金に余裕が無くなるとマトモな判断が出来なくなる。一見ガン保険に入っていれば問題ないように思うが、各種免責事項が有り、例えば入院期間が X 日以下では保険金が降りない。
『もう少し病院に居させて』と懇願する患者を目にした(国立県立ではマズ無理)。所詮、保険会社もビジネスである
持ち込んだ本やネットからプリントアウトした資料、さらに名誉教授の教え、だんだんと放射線治療へと考えが揺れた。
「患者さん自身が治療法に就いて研究し、合理性があると思われる治療法を見つけ、その治療をしてくれる病院ないし医師を探すと良いと思います。」p89 「安心できるがん治療法」 著者 慶應義塾大学医学部講師 近藤誠 講談社文庫より 【以後特記なき場合は同書を指します。】
「生き残っても、合併症や後遺症のため食事がうまくのどを通らなかったりして、日常生活は不便で苦しい」p100
そこで手術はしたくない、と医師およびナースに伝えた。 すると『精神的に不安定になっていませんか?』そりゃなりますよ、命が掛かってるのだから。
夕刻、精神科の明智医師と話し合い治療?をした。『考えが変わったのではなく戻っただけです。』そう伝えた。しかし、深夜にもナースが入れ替わり立ち代わりやって来た。患者は医師に対し遠慮があり事実を言わない時もある。しかしナースには本音を漏らす患者も居る為の処置、と受け取る。何故素直に僕の意見を取り入れてくれないのだろうか?
  27日

午後5時:渡邊寛医師、僕と妻、立会いナースとDr.S。2時間近く懇談した。
誠実さを感じる親切丁寧な説明態度。
『あなたのステージはIと思われます。IIの可能性は30%です。手術を8とすれば、放射線は6、抗ガン剤は3〜4程度の効果と考えられます。』
しかし、僕のハラは決まっていた。

  28日

再びDr.Sがやって来て、『決意に躊躇はないのか?躊躇がなければ手術承諾書を破いてみろ。』 と言う。決意に変わりはありません。ビリッと承諾書をいた。

  29日 地下の放射線科に出向く。担当:村山重行医師『どう聞いてます、僕のところへ来ても勝率20%位かな?』耳を疑る。
『異例ですが全力でやってみます。』期待した言葉とは全然違った!
  日本にはインフォ−ムド・コンセントがない!?
 

「診療科が違っても、同じ病院の医師に意見を求めるのは、医師同士のかばい合いが出るので危険です。」p117
「病院をかえて放射線治療医の意見を聞くことが役にたちます。」p118
まさか、本の通りの展開!!
病院を変える事は、また一からの検査、時間的リスクを背負う。しかしやる気のない医師に診られては身も蓋もない。 
104にて慶應病院、近藤誠先生の部屋を聞いた。
僕『私、国立がんセンターに入院中ですが近藤先生に診て戴きたい。お願いできますか?』
近藤『分かりました。明後日の水曜、2時に予約を入れておきますから、受付にその旨伝え、お出でください。』ヤッター!!
翌日、国立がんセンター退院手続き、紹介状そして検査フィルム等を受け取る。