六十三歳ステージII〜III、食道がん奮闘記

平成13年10月初旬、紺碧のエーゲ海に浮かぶロードス島のビーチは、海水浴を楽しむ欧米からの観光客で賑わっています。2ヵ月後に食道がんの告知を受ける身になるとは露知らず、年がいもなく一泳ぎしたり、ワインやビールをがぶ飲みしながら、ギリシャの旅を妻とともに楽しんでおりました。

11月下旬、自宅でいつものとおり晩酌していましたところ、食道に異変を感じました。食道から喉にかけて、これまでに経験したことのない痛みが一瞬走りました。「食道がやられたかな」と悪い予感がしました。

12月12日(水)、ボランティアでお手伝いをしている高齢者と障害者を対象にしたパソコン教室の活動がようやく一段落しましたので、掛かり付けの京橋病院(東京都中央区)で内視鏡検査を受けました。担当した医師の所見では下部食道に巨大な腫瘍が出来ているとのことでした。

12月15日(土)、生検組織検査結果が判る日、妻と一緒に病院に向かいました。この日以降、お医者さんと面談する時はなるべく妻と一緒にしております。そうすることにより、病気や治療に関する情報を正しく理解し、共有できると考えたからです。

主治医の副院長から食道がんの告知があり、専門医に受診し、精査していただいた上で手術するかかどうか早急に決めるようにとのことでした。「紹介状はどこにでも書きます。意中の病院はありますか?」。住んでいる埼玉県A市の近辺に適当なところを思い付きませんでしたので、提携先の慈恵医科大病院を紹介していただき、診察予約を取ってもらいました。

12月17日(月)、予約時間に伺うと消化器外科の主治医は手術を当然行うものと、当日の検査の手配、年度内の様々な検査予約と1月6日の入院予約伝票作成をどんどん進めてくれます。手術はたいへんなのですかと尋ねると「がんの手術の中では右の横綱を膵臓としたら、左の横綱は食道と言われている位に難しく、喉を切って、胸を開いて、腹も開くことになるので、8時間以上はかかる」こと。「また術後管理も大変なので人手の少ない年始は避けて1月中旬以降に手術は予定したい」ことを話してくれる。なお、この時点では告知を受けてパニックに陥っており、さらにがんの知識はゼロ。手術しかないと覚悟を決めておりました。食道がん手術は患者への身体の負担が他の臓器のがんに比べてかなり大きく、術後に合併症に苦しみ、1ヶ月以内に亡くなる率が少なくないことを知るにつれて、不安が増してきました。

12月19日(水)、東京在住の長女より「手術するなら食道がんの手術実績の多い国立がんセンターか東大病院の方が良いのでは?セカンドオピニオンの意見を聞いて切るか切らないかを決めた方が良いのでは?インターネットに参考になることがいっぱい出ているから調べてみたら?」と手術を心配する電話が、このころより頻繁に入るようになり、がんに関する書籍もたくさん届けてくれるようになりました。

 インターネットで食道がんを検索したところ、ご自身が食道がんと告知され、東京衛生病院→国立がんセンター中央病院→慶応大病院→東京女子医大病院→そして国立がんセンター東病院(以下“東病院”と呼ぶ)と渡り歩き、手術をしないで、放射線と抗ガン剤の同時併用療法でがんを克服した体験を公開しているオミノさんのホームページ「ガン病棟からの脱出」を発見。さらに娘が届けてくれた書籍の中の土屋繁裕著「このガンきるべきか、切らざるべきか」(日本放送出版協会)の一節に、「私は”食道ガンを手術で治す時代は終わった”と思っています。ごく早期のガンで、内視鏡切除ができるもの以外は”放射線や抗ガン剤の併用療法で治療すべきである”と考えていますし、食道ガンの患者さんには手術は勧めません」とあるのを発見。

12月23日(日)、オミノさんにメールで相談したところ、即刻電話をいただき「手術は絶対に選択しない方が良い。迷うことなく今の病院を直ちに止めて、東病院消化管内科の大津敦医長がやられている放射線照射と抗がん剤の組み合わせによる治療(以下“放射線化学療法”と呼ぶ)を受けることをお勧めする」とのこと。オミノさんが手配してくれたのか、「ガン病棟からの脱出」の中に「新たなる勝利」体験記を載せておられるMさんからも電話をいただき、放射線化学療法を強く勧められる。Mさんによれば、東病院で放射線化学療法を習得されたお医者さんが癌研究会付属病院に移られて、同じ療法を始めたので、ここで治してもらって本当に良かったとのお話です。
 また、闘病生活に入るので役員を辞任させて欲しい旨、メールで申入れていた母校の関東地区同窓会の会長よりも電話をいただく。それとなく病状を伝えると、「いろいろな病院、少なくても4ヵ所程度は受診して、その中から納得でき、信頼できる治療方法を行う病院や医師を探す」ようにアドバイスをもらう。

これで東病院の大津先生を訪ねる決心がつきました。妻と三女、それに心配して、当日駆けつけて来ておった長女夫婦、次女夫婦の家族全員に東病院に治療先を変えることを話し、賛同を得ました。

12月24日(月)、東病院外来診療案内に電話して、大津先生の診察を希望したところ、「先生の外来診察日は水曜日と金曜日なので、医師の紹介状をお持ちになって、初診受付時間の午前8時30分から午前11時までにいらしてください」との返事でした。

12月25日(火)、京橋病院に紹介状を急遽作っていただく。

12月26日(水)、早朝自宅を出発し、千葉県柏市にある東病院に大津先生を新患外来で訪ねる。折しも年末のため外来は患者が溢れんばかりで、午前8時30分から午後3時まで待ってようやく診てもらうことができました。
 まず、先生は私のがんの進行度(ステージ)は中程度の2〜3段階で、この段階では手術療法か放射線化学療法が適用でき、それらの利点、欠点はどういうものかの話をされた後、この進行度で放射線化学療法を選択した場合、がんの消失する確率は60〜70%、このうちの約30%は再発すること、さらに放射線化学療法が行われた後では外科手術は技術的に困難になるので、再発した場合には手術はできなくなることなどを面談票に書き込みながら相当の時間を割いて説明して下さいました(素晴らしいインフォームド・コンセント!)。
 放射線化学療法を希望したところ、受入れてもらえることになり、直に慈恵医大病院主治医宛に注腸レントゲンフィルム借用の依頼状を書いて下さる。採血、採尿、心電図の検査を受け、1月9日超音波内視鏡、同11日CT検査の予約と入院予約を済ませて、少し明るい気分になり帰宅しました。実は、受入れてもらえないときには、癌研究会付属病院にも診察に出かけるつもりで紹介状を準備しておりました。

平成14年1月6日(日)、仙台と山形で暮らしている姉と妹に電話で病気報告を行い、さらに定年退職を契機に参加した“旅、学習、出会い”を目的にしたエルダーホステル協会に退会届、“古文書解読”を受講している読売文化センター、花の撮影を目的にした写真同好会、パソコンボランティアの2団体にあわただしく休会の届出を行いました。

1月7日(月)、妻と長女が慈恵医大病院に大津先生の依頼状を届け、フィルムを借用する。

1月8日(火)、日本尊厳死協会に入会手続きをとる。また、入院に備えて、持ち運びに便利なモバイル・ノート・パソコンThinkPadS30を日本IBMにインターネットで発注。1月11日、納品される。当機のOSはWindowsXP,さらにFDD,CD-R/RWは外付け。そのため設定に苦戦し、メーカ、プロバイダーなどに電話をしまくり、1月13日にようやくメールの開通にこぎつける。

1月11日(金)、CT検査の後、大津先生の2回目の診察日。放射線化学療法の標準的な治療内容の説明をしてくださる。当療法は4クールから構成されている。最初のクールは2週間の抗がん剤点滴静注と3週間の放射線照射を組み合わせた3週間コース。その後2週間治療を休んで、さらにもう1クール同じ3週間コースを受ける。その後2週間治療を休んで、1クール1週間の抗がん剤点滴静注だけの治療を受ける。その後3週間休んで、さらに1クール同じ1週間コースを受ける。なお、副作用として、吐き気、下痢、口内炎、脱毛、食道炎などがある。また、自覚症状はないけれども、白血球、血小板の一時減少、肺機能や腎機能障害が起こる可能性ついても面談票に書き込みながら話をしてくださる。さらに、これらの副作用で亡くなる可能性も1〜2%あるが、「放射線化学療法を選択してよろしいですね?」との意志確認がある。「お願いします」と返事をすると、「1月21日ころから治療に入りましょう」とおっしゃられました。

1月16日(水)、このような経過の後、待ちに待った入院日決定の電話連絡が入院係より入る。

1月17日(木)、妻と三女に同行してもらい、1階入院係で手続きを済ませ、午前9時過ぎに7階B病棟に到着する。病棟は基本的に臓器別にわけられており、消化管の患者は7階A,B病棟と8階病棟に入院しているとのこと。

私の病室は、7階B病棟の南側の個室(特別病室C、1日15,000円)で、大きな窓と高い天井、日当たりも眺めも良好。床はタイルカーペット使用によって静か。トイレはウォシュレット付。冷蔵庫、タンス、テレビ、キャビネが備えてある。ただし、エアコンを「ロー」に設定しても室内は暑く、乾燥が激しい。喉を痛め無いように就寝時に洗面器に水を張り、濡れタオルを吊すことにする。オミノさんに、入院連絡のメールを送る。病室の電話機にはデータ通信の接続機能がないが、7階エレベータホールのNTT公衆電話機にはそれが付いていたので、これを利用することにする。

なお、採血結果は白血球数8,200。正常値は4,500〜8,500。

1月18日(金)、午後、面接に妻来る。大津先生が回診に来られ、「stageU、V進行性食道がんに対する放射線化学療法同時併用療法の第U相臨床試験」についての説明と、参加に同意されるなら同意文書に署名捺印して提出して欲しい旨の依頼がある。お役に立てればと思い署名捺印し提出する。同意文書によると、「この臨床試験は、最近欧米で“外科手術と同じくらい治療効果が期待できる”と言われている放射線化学療法が、本当に有効で安全なのかどうかを調べるための試験であり……、全国の食道がんの放射線化学療法を行っている国公立病院や大学病院など合わせて17施設が協力して行う試験」とある。また、「国立がんセンター東病院をはじめとした数施設におけるステージ2,3の放射線化学療法の良好な治療成績の結果が報告され、従来の外科手術成績に匹敵する有効性が認められました」が、現在も日本の大多数の施設では食道がんには通常手術が行われており、東病院をはじめとした数施設の成績だけでは証明されたとは言えないとの意見が強いようです。うがった見方をすれば、食道外科医が失業することを恐れ、抵抗しているのかも知れません。

1月20日(日)、妻、三女、長女夫婦と3歳の孫娘、次女夫婦と4歳の孫娘、6か月の孫息子の家族全員が面会に来る。9階展望食堂を面会室代わり利用する。眼下には柏の葉公園、サッカー場、東大の研究施設、遠くには富士山まで見渡せる。

1月21日(月)、大津先生と研修医河合先生が朝食後に回診に見える。この日以降、日曜日を除き毎朝食後と夕食後に診え、必ず「食事食べられていますか?」と質問されることになる。月曜日は体重測定日。65.7キログラム。明日から当分入浴出来なくなるので、7階の浴室に入る。看護婦さんにいただいた東病院看護部マニュアル委員会作成のパンフレット「がん化学療法を受けられるかたへ」を読む。ここにがん化学療法を受ける際の注意事項や副作用、副作用軽減対策についてわかりやすく説明がなされている。

1月22日(火)、放射線化学療法開始日を迎える。午前9時30分、当直医が来室し、左腕静脈に点滴用注射針をセットする。10時より抗がん剤点滴開始。同時に、尿量を調べるので、尿は捨てずにトイレに備え付けの蓄尿袋に貯めるように指示がある。化学療法に用いられる抗がん剤は、「5FU」と「シスプラチン」。5FUの点滴静注は1クール3週間の内の2週間(実際には、5日やって2日休んでさらに5日やる)続くが、シスプラチンは5日ごとの初日のみの投与である。

午後1時30分、ナースステーションからインターホーンで「放射線治療室からお呼びがかかりました」と連絡が入る。点滴スタンドを引いて1階の放射線治療室に出かける。担当医は石倉先生。ここには世界に先駆けて、治療計画専用のCTシミュレータ装置が導入されている。この装置を用いて照射位置を決め、正確に放射線を照射できるように、胸にマジックペンで印を付けた後に、マイクロトロン装置による第1回目の放射線照射を受ける。放射線照射は土日、祝日、装置保守日を除き平日に1クール15回、2クールで計30回行われる。総線量は60グレイ。照射の範囲は、内視鏡やCTなどで食道がんやリンパ節転移がある場所を中心にして、画像ではリンパ節転移が認められなくても転移が起こりやすい場所まで含めてかなり広い範囲に行うとのこと。

今日より、起床時、毎食後、就寝前に「イソジンガーグル」を使いうがいを始める。

1月23日(水)、午後2時放射線治療のお呼びがかかる。放射線照射の後、水曜日は定期診察日で、放射線担当医二瓶先生の診察がある。石倉先生とは交互に担当するとのこと。

1月24日(木)、いよいよ抗がん剤の副作用がでてきたのか、朝方に軽い吐き気をもよおし、食欲が出ない。また、便秘気味でもある。大津先生は食欲不振は今日、明日がピークと話される。午後、面会に妻と長女来る。

1月25日(金)、午後8時、下剤を昨日飲んだのに便通がなく苦しい。浣腸をしてもらい気分爽快になる。看護婦さん、ありがとう!

1月26日(土)、午後、面会に妻と三女来る。

1月27日(日)、63歳の誕生日。亡父は86歳、亡母は80歳まで生きた。故郷で暮らす父母が健在であることは、私にとって大きな励みであった。妻と娘達のためにも、頑張らなければと決意を新にする。午後、点滴を外し、注射針のところに水が染み込まないように処置してもらい入浴する。

1月28日(月)、採血結果、白血球数7,100。第1クールの2週目に入る。今日はシスプラチン投与日。

1月29日(火)、シャックリが出るようになる。午後、面会に妻来る。

1月30日(水)、オミノさんが激励に昼休みに来室される。治療中は治す気力が大事なこと、副作用の軽減策として水分をたくさん摂ったことなどの体験談をしてくれる。午後1時40分、放射線治療のお呼びがかかる。水曜日なので診察日。担当は石倉先生。気になっていた腫瘍の大きさについて尋ねると、「カメラ上6センチの大きさで、他に飛んでいるところもなく、それほど進んだ状況でもない」との回答。

1月31日(木)、午後、面会に妻来る。なお、改修中であった9階展望風呂本日オープンのニュースが掲示される。

2月1日(金)、婦長さんから「週末に外泊予定ありますか?」に「ありません」と答える。また、「次週は放射線治療のみになるが、継続して入院しても結構です」とのこと(毎回の放射線治療にかかる時間は10分前後、実際に放射線があたっているのは1〜3分程度なので、自宅が近い患者には通院治療を勧めている)。

2月2日(土)、第1クール2週目の最終日。正午前に、点滴注射針を静脈から外してもらう。2週間にわたり、1度も点滴漏れなく、副作用もあまり出なかったのは、健康食品“Kefiamin”と“アガリクス”が効いたおかげと妻達は言う。昼休み後、9階展望風呂に入る。10人程度は同時に利用できる大きさ。眼下にゴルフ場、遠くに筑波山が見渡せる。真に気分爽快。夕食は東武線江戸川台駅近くの「華屋与兵衛」で、面会に来ていた妻、三女と寿司にする。

2月3日(日)、節分。夕食は特別料理。おいしい!

2月4日(月)、今日からは放射線療法のみ。採血結果、白血球数4,300。

2月5日(火)、金曜日に退院し、土、日、月(祭)の3連休は外泊、火、水の2回の放射線照射は通院で対応したいことを大津先生にお願いして、許可を得る。

2月6日(水)、二瓶先生診察日。午後、面会に来た妻が、退院に備えてパソコン、デジカメ、書籍などかさ張るものを持ち帰る。

2月7日(木)、地下1階の理容室に予約を入れ、散髪に出向く。その後、展望風呂に入る。入院係の職員が入院期間中の概算請求書を病室に届けてくれる。

2月8日(金)、13回目の放射線照射、次回入院手続き、会計を済ませて、手伝いに来た妻と午前11時ごろに退院。タクシーと電車を乗り継いで帰宅する。

2月9日(土)、ソルトレークシティ冬季オリンピック開幕。当分はテレビ観戦で退屈しなくてすみそうである。

2月10日(日)、1か月ぶりに、プリウスに乗ろうとするとバッテリー上がりを起こしている。24か月定期点検と併せてバッテリー交換をトヨタ店に依頼する。昨日より便秘気味。薬局で下剤求めて飲むが効果なく、苦しい。浣腸を使ってようやく通便。

2月12日(火)、妻と柏に向けて午前10時過ぎに自宅出発。午後1時に放射線治療室にたどり着き、14回目の放射線照射を受ける。

2月13日(水)、15回目の放射線照射。今日で第1クールの3週目の放射線療法は終了。石倉先生の診察日。前日より喉に食事がつかえる感じが有るので伺うと食道炎の診断。「一時的なもので、治療が終われば次第に治ります」とのことで安心する。今日は大津先生の診察日でもある。採血の結果は、白血球数1,100。抗がん剤による骨髄障害のため、白血球数の減少が現れる。白血球は細菌を殺し感染を予防する働きがあり、減少すると感染しやすくなる。外出する時にはマスク着用すると良いこと。退院後に38℃以上の発熱の場合、連絡を必ずくれるようにとの指示がある。

2月14日(木)〜19日(火)、自宅療養。外泊から帰宅したプリウスに乗り、買い物に出掛けたり、庭の草花の手入れなどをして過す。抗がん剤の副作用か運動不足のせいのいずれかにより、便秘をおこすようになる(これ以降は下剤「プルゼニド錠」を就寝前に1〜2錠常用することにする)。

2月20日(水)、今日はCT検査、内視鏡検査と大津先生の外来診察日。内視鏡の結果では、「かなり改善されている」とのこと。なお、採血の結果、白血球数は2,300。昼食は江戸川台駅近くの小さな欧風家庭料理店「ココット」でパスタを食べる。帰りの車中に入院係から電話が入り、「22日に入院日が決まりました」とのこと。夕刻、じんましんが腕、腿にでるが、翌朝には治まる。

2月21日(木)、明日からは3週間の入院になるので、妻は気を遣って夕食に病院食には出ない“しゃぶしゃぶ”を出してくれる。

2月22日(金)、第2クールの入院が始まる。病室は前回と同じく7階B病棟の個室。採血結果、白血球数2,200。河合先生が「抗がん剤投与は白血球数2,500以上でないとできないので、投与は月曜日の採血結果で判断する」と教えてくれる。

2月23日(土)、7階エレベータホールの応接コーナーに毎夕食後集まってくる常連5〜6人と新入り2〜3人を交えて情報交換ミーティングを午後9時過ぎまで行う。食道がんを放射線化学療法で治療中の方も大勢おられる。

2月24日(日)、急に立上ったりすると、軽い目まいを起こすようになる(この症状は6月末まで続いた)。館内ギャラリーで開催中の藤井好三氏写真展「尾瀬―早春より晩秋の彩り」を鑑賞。面会に妻と三女来る。

2月25日(月)、第2クールの1週目の治療開始日。採血結果で白血球数3,000に改善されたので、抗がん剤投与にGOが出る。午前10時30分に当直医が来室し点滴注射針を左腕静脈にセットする。午前11時に放射線治療室よりお呼びかかる。CTシュミレータ装置で照射位置を調整した後に、マジックペンで胸に印を付ける。病室に戻り、午前11時30分より「シスプラチン」、「5FU」の点滴静注開始。午後1時30分、再び放射線治療室よりお呼びがかかる。16回目のマイクロトロン装置による放射線照射を受ける。

2月26日(火)、口内炎治療の「デキサルチン軟膏」、シャックリ止に効く柿の葉を煎じた漢方薬をもらう。午後9時、点滴漏れが発生し、腕が腫れる。看護婦さん直に注射針を外し、当直医に連絡をとる。当直医来室し、右腕静脈に注射針をセットし、点滴を再開するが1時間も経たないうちに、点滴漏れで右腕も腫れる。別の当直医が来室し、応急的に左手の甲の静脈に注射針をセットし直し、点滴を再々開する。前回のクールでは、2週間に一度も点滴漏れが起きなかったのに、今回はなんと言うことか!腫れてポパイの両腕ようだ!

2月27日(水)、午後、面会に妻来る。午後7時30分、昨夜左手の甲にセットした注射針より点滴漏れが発生。当直医来室し、左腕静脈に注射針をセットし直す。

3月1日(金)、午前11時、20回目の放射線照射。その後、21回目からはこれまでとは方角を変えて放射線を照射するので、CTシミュレーション室で位置決めを行う。午後3時、放射線治療室から本日2度目の呼び出しがある。新たに決まった照射位置に印をマジックペンで書込む。

3月2日(土)、点滴を外してもらい、昼休み後、展望風呂に入る。

3月3日(日)、午後、面会に妻と三女来る。おにぎり、おはぎの差入れあり。今日は「ひな祭り」。孫たちは雛人形を飾ってお祝いしているかな。夕食は特別料理。五目寿司、はまぐりの潮汁、アコウ鯛の粕漬、キンカン甘露煮、チンゲン菜ピーナツ和え、しば漬、さらに桜餅もついている。素晴らしい!栄養士さんに感謝。

3月4日(月)、採血結果、白血球数9,600。第2クールの2週目の初日なので、「シスプラチン」投与。

3月5日(火)、昼過ぎから夜にかけて、シャックリが出る。シャックリ止の漢方薬を飲み10分程で治まる。午後12時ごろ、点滴漏れが起こる。当直医来室し、左腕静脈に注射針をセットし、点滴再開する。

3月6日(水)、23回目の放射線治療と石倉先生の診察日。午後、面会に妻来る。

3月7日(木)、大津先生より、次週も入院したまゝ放射線療法を受ける許可を得る。

3月8日(金)、明日で第2クールの点滴静注が終わるのに、午後10時に点滴漏れ発生。左腕から右腕に変えてもらう。

3月9日(土)、朝起きると、目脂が出ているので、点眼剤を依頼する。正午に点滴静注終了。点滴外してもらう。午後、7階浴室にて入浴。

3月10日(日)、東病院ギャラリーで開催中の第6回写友「虹」の会写真展を鑑賞。午後、面会に妻と三女来る。点眼剤服用し、目脂は良くなる。

3月11日(月)、今日からは第2クールの3週目なので、放射線療法のみ。午前9時30分、26回目の放射線照射を受ける。夜に咳を連発するようになる。体温は平熱。今朝の採血結果、白血球数14,000(?)。

3月12日(火)、地下1階の売店とは違う品揃えを期待して、病院より徒歩2〜3分のファミリーマートに買い出しに行く。喉に軽い痛みを感じる。

3月13日(水)、午前9時30分に28回目の放射線照射を受ける。二瓶先生の診察日。喉の痛みについて尋ねると、「放射線照射の副作用で、治療の前半から出る人もある。後半に出たのはむしろラッキー」とのこと。治療が終われば次第に治まるとの説明。午後、面会に来た妻、退院に備えて荷物持ち帰る。

3月14日(木)、午前9時、29回目の放射線照射実施。明日は放射線装置の保守日のため、最終回の第30回目は18日(月)になる。ついては、大津先生より本日退院して、18日は通院で対応する許可を得る。午前10時30分、手伝いに妻来る。次回の入院手続きと支払いを済ませて退院。

3月18日(月)、妻と一緒にタクシーと電車を乗り継いで、午後2時に放射線治療室に到着。第30回目の放射線照射を受ける。これで第2クールの治療は全て終了。夜、咳が激しくなる。

3月24日(日)、これまで2週間続いた咳が自然と治まる。

3月29日(金)、大津先生の外来診察日。採血結果は白血球数2,900。

4月5日(金)、所属する写真同好会の第2回写真展を鑑賞に妻と出かける。入院係より、第3クール入院日が4月10日に決定したとの電話が入る。

4月10日(水)、妻同行し、第3クールの入院を行う。病室は8階病棟の個室(特別室C)。8階病棟は全て個室(特別室A、B、C)と無菌室。エレベータホールの応接コーナーなどで患者の姿を見ることはまずない。7階B病棟では共用の洗面所に食事時間帯には、お湯とお茶を自由に飲めるように置いてあったが、8階病棟にはそれがないのであったかい飲み物に不自由する。採血結果、白血球数は6,300。午前9時30分、CT検査。10時30分、内視鏡検査。午後1時、点滴針セット。2時、点滴開始。抗がん剤は「5FU」と「シスプラチン」。今回からシスプラチンは前回の2倍の130r に増える。今日から大津先生と研修医服部先生が回診に見える。

4月11日(木)、大津先生から、昨日の内視鏡検査結果では、「経過良し」との話がある。夕刻よりシャックリがでるが、薬を服用し間もなく治まる。夕食時に吐き気。午後8時ごろから再びシャックリ。午後12時過ぎに嘔吐する。

4月12日(金)、吐き気。食欲不振。

4月13日(土)、吐き気。食欲不振。午後、面会に妻来る。いちご、りんご、サンドイッチ、お茶の差入れ。

4月14日(日)、吐き気。食欲不振。

4月15日(月)、第3クールの終了・退院日。朝方、数十歩歩いたら、胸部が苦しくなり、病床に横になる。5分程して治まる。心臓疾患を疑い、負荷心電図検査を急遽行うが、異常なしの診断。昼前に大津先生より退院許可が下りる。万が一の時のために、狭心症の発作をやわらげる舌下錠「ニトロペン錠」をもらう。妻に手伝ってもらい、次回入院手続きと支払いを済ませて帰宅する。この度は、大宮からタクシーを使う。

4月16日(火)、胸部の苦しみ治まらないので、大津先生に電話相談する。

4月17日(水)〜21日(日)、胸部の苦しみ継続する。病床に臥す。

4月22日(月)、軽い散歩が出来るようになる。胸の苦しみが治ると、右腋の下に痛みを感じるようになる。

4月27日(土)、朝日新聞朝刊の医療欄に連載の「シリーズ癌 国立がんセンターから」に、国立がんセンターでの食道がんに対する放射線化学療法(通称ケモラジ)の成果について載る。ケモラジとは、妙な通称?

4月29日(月)、頭髪抜け始める。

4月30日(火)、右腋の下の痛みが治り、左腋の下が痛み出す。

5月1日(水)、午前9時30分、CT検査。11時、内視鏡検査。内視鏡の先生が「腫瘍は全く無くなっている」と聞こえるように独り言をつぶやく。大津先生外来診察日。採血結果、白血球数は1,700。

5月8日(水)、外来診察日なるも大津先生休診、代理は武藤先生。採血結果、白血球数は5,000。第4クールの入院日について相談したところ、大津先生は次週後半より海外出張予定なので、前半から入院した方が良いとのこと。5月13日(月)入院で調整をお願いする。

5月13日(月)、妻同行し、第4クールの入院。前回と同じく、病室は8階病棟の個室(特別室C)。初めて北側の個室。先日の猛暑の時に全館の冷房設備を強く効くように調整したためか、室内のエアコン・メーターを「オフ」にしても室内は肌寒い。冷蔵庫の飲み物には手が向かない。採血結果、白血球数7,500。午後1時に、当直医が静脈に注射針のセットを数回試みるが失敗、暖かいタオルで腕を暖め、さらに数回試みるが上手くいかない。あまり歓迎しない左手の甲にセットし点滴を開始する。抗がん剤は「5FU」と「シスプラチン」。シスプラチンは前回と同様に2倍の130r。

今週から回診時に、大津先生は服部先生と臼渕先生のお二人の研修医を同伴する。

5月14日(火)、抗がん剤の副作用で、手の爪に少し盛上った横線が入る。二列あるので前のクールの時に一列、そして今のクールで一列出来たようである。配膳された食事を見ただけで、吐き気し、吐く。食欲全くなし。

5月15日(水)、吐き気治まらず。午後、面会に妻来る。いちご、りんご、サンドイッチ、おにぎり、暖かい飲み物を差入れてもらう。

5月16日(木)、吐き気治まらず。夕方、少し寒いので毛布をもらう。

5月17日(金)、大津先生は米国がん学会に出張のため本日より不在となる。吐き気治まらず。午後、明日の退院準備に妻来る。

5月18日(土)、三女が言う「パパの空白の24時間」に遭遇する。朝方に意識障害を起こし、翌日朝方まで意識が全く無くなる。妻の報告では、午前9時30分ごろ退院手伝いに到着。ナースステーションに顔を出すと、その横の処置コーナーに退院するはずの夫が寝ているのを見て異常を察知する。臼渕先生は妻の来院を待ちわびていたかのように説明をしてくれる。症状は「意識障害を起こしている。眼球上転・瞳孔散大し、四肢のマヒはなし、吐き気・嘔吐あり」、「血圧、脈拍、呼吸状態、血中電解質バランスなどは正常範囲内なので、意識障害の原因とは考えにくい。したがって、出血・梗塞など脳の障害の可能性高い。これからCT検査をして判断する。なお、5FUの副作用として白質脳症様症状の報告が稀にある」とのこと。ついては「脳障害の場合は、専門病院に移送することになるので、家族に連絡を取ったほうが良い」とのこと。妻は長女、次女に連絡を取ると共に、友人の結婚披露宴会場に着いたばかりの三女を呼戻す。幸いなことに、その後のCT検査の結果、異常は認められなかったので、一安心する。詳しくは、月曜日のMRI検査を待つことになる。

この夜、妻は看病のため付き添いを行う。

5月19日(日)、意識が回復すると、病室に妻がおり、いつもと雰囲気が違う。身体には補液点滴、導尿カテーテル、心電図検査センサーがセットしてある。

午前11時過ぎからお茶飲みを開始する。午後2時過ぎに、立つ練習を始める。多少ふらつく。午前三女、午後長女夫婦看病に来る。夜、妻看病のため付き添ってくれて心強い。

5月20日(月)、採血結果、白血球数5,000。MRI検査を行う。夕方、服部先生と臼渕先生回診に見え、「放射線科の先生と一緒にMRIの結果を検討したところでは、脳梗塞は見られない。一過性の虚血でもない(5分とか短い)ので、原因は判らない。5FUの影響とすれば、このまま良くなると考えられるが、又起こるなら脳の病気を疑うことになる」とのこと。治療の終わりの方で、副作用が強くでることがあるようである。今夜も妻、看病のため付き添ってくれる。

5月21日(火)、体調は快方に向かっている。夕方、妻3日ぶりに帰宅する。

5月22日(水)、午前、看病に長女来る。いちご、メロン、サンドイッチ、菓子パン、暖かい飲み物の差入れあり。夕方、シャワーを浴びる。

5月23日(木)、採血結果、白血球数4,300。午後5時45分、大津先生、服部先生、臼渕先生お揃いでの回診。大津先生が帰国されて安心する。大津先生から「18日の件は、抗がん剤の副作用です。同じ様な症例が他にもあります。これまでの検査結果が良好なので、治療は終了にします。いつ退院されても構いません」と説明がある。

25日の退院許可を得る。

5月24日(金)、午前中に地下1階の理容室で散髪。髪の毛は薄くなったが、残っている。午後、面会に妻来る。体重測定、58.1s。最初の入院時に比べて、約7.6s減である。第4クールの入院時には、62.2sであったので、この2週間に4sほど痩せたことになる。

5月25日(土)、快晴。妻と三女に手伝ってもらい、退院する。東病院から自宅までタクシーを利用する。

5月31日(金)、大津先生の外来診察日。採血結果、白血球数1,000と低い。通院治療センターに寄って、白血球数を増やす注射をして帰ること。さらに、体温が38℃以上あるときは、土日でも構わないので来院することの指示がある。

6月7日(金)、大津先生の外来診察日。採血結果、白血球数3,900。

6月11日(火)、第4クールまでの放射線化学療法の効果を判定するために、午前9時45分 CT検査、午前10時30分 内視鏡検査を実施。

6月19日(水)、採血結果、白血球数4,300。本日は最終判定日。大津先生より、「食道がんは治りました。治療は今回で終了にします。今後は3ヵ月後に検査と診察を予定します」との診断がありました。がんが治った喜びを噛みしめて、妻と共に先生の診察室をあとにしました。大津先生本当に有難うございました!!!


最初の入院は1月17日で、最後の退院は5月26日でした。この間に計4回の入院、計63日に及ぶ入院生活でした。1、2回目の入院では、食事は良く食べられましたし、水、お茶、ジュースなどの飲み物も大量に飲むことができました。副作用も軽い吐き気、シャックリ、口内炎、喉の痛み、咳が出た程度で大変に順調に経過しました。一転して、3、4回目の入院では食事はほとんど食べられなくなり、加えて冷たい水、お茶、ジュースなどの飲み物は欲しくなくなりました。したがって、副作用は入院中はもとより退院後もテキメンに出ました。嘔吐、胸部の苦しみ、腋の下の痛み、脱毛、爪に横線、意識障害などです。1,2回目の入院が想像以上に順調だったため、3,4回目は心に油断が出来て、私が座右の銘にしている「わたくし自身の将来は、今この瞬間 ここにある。今ここで頑張らずにいつ頑張る」(京都大徳寺大仙院尾関宗園“今こそ出発点”の1節)を唱えて、立向っていく気力が足りなかったと反省しております。

しかし、手術をしないで、治ることができ、本当に良かったと喜んでおります。これも内科の大津先生をはじめ研修医の河合先生、服部先生、臼渕先生、放射線科の石倉先生、二瓶先生、7階B病棟と8階病棟の看護師の皆さん、放射線科の技師の皆さん、その他大勢の関係者の皆さんの献身的な治療と看護のおかげであり、心から感謝申し上げますとともに厚くお礼申し上げます。

また、食道がんに悩んでいる後輩のために、インターネットにご自分の体験を勇気を持って公開されているオミノさんには、タイムリーなアドバイスと励ましをいただきましたこと厚くお礼申し上げます。Mさん、おかげさまで治りました。お電話ほんとうにありがとうございました。(了)