インターネットが無かったら20世紀の治療を受けていた!
    他の病院で外科手術を奨められ、東病院で内視鏡的粘膜切除術を受けた男性(50歳)の例

闘病日記

【2001年12月、癌の宣告】
12月11日 定期航空身体検査を受検した際、胃の内視鏡検査にて食道に
異変が発見され組織片を採取される。胃のポリーブは例年のことで気にもし
ないが、食道は今回が初めてである。

12月14日 定期身体検査の担当医から「組織検査の結果、異常が見つかった。
正常細胞と癌細胞との境界は明確なものではないが、どちらかと言えば癌に近い。
小さいので内視鏡で切除できる。」との旨の電話あり。初めての癌の宣告であるが、
「どちらかと言えば癌」という曖昧な表現と「内視鏡で切除できる」に一安心。

12月15日〜20日 癌に関する知識がほとんどないことに気づき、書籍やインター
ネットで情報収集する。癌自体の研究も、更には治療の技術も、予想したより進歩
していないことを知り愕然とする。内視鏡で切除することを「内視鏡的粘膜切除術
(EMR)」と言うらしい。私の場合は、痛みを感じるとか嚥下に苦労するとかの症状
が全くないことと、「内視鏡で切除できる」程度であることから、おそらく初期癌だろう
と、勝手に安心。

12月21日 内視鏡的粘膜切除術のため、A病院へ入院。切除術は、静脈注射を
行い、アース線や脈拍計などが装着される他は、いつもの内視鏡検査とほとんど同
じであるため気が楽。ところが、癌の部位を精密に特定するためのルゴール液染色
において、身体検査時の所見より患部がはるかに大きいことが判明し、切除術中止。
幅2〜3Cmで、ほぼ全周にわたっているらしい。また、小さいながらも、食道内の他
の場所に転移が見られとのこと。医師から、「内視鏡では取れない。内視鏡で取れ
ない場合の標準的処置は外科手術である。大変だが、永い目で見ると最も安全」
という旨の説明があり、年明けに外科の先生と相談することに。相談とは言うものの、
外科手術が前提らしい。内視鏡的粘膜切除術の選択肢がなくなった今、癌の宣告
イコール大手術であることに深刻さを感じ始める。しかし、職業柄、「死」については
独特な意識を持っているせいか、恐怖感はない。「航空事故に遭遇し自分の知ら
ない間に天国に逝った多くの同僚よりは良いではないか。なるようになる。やれる
ことをやるだけ。」と割り切った感じである。

12月22日 年明けに行われる予定の外科の先生との相談まで、一時退院。「食道
癌」についてインターネットで徹底的に調べる。次のことが分かった。
○ 極めて危険で、処置も困難な癌の一つである。
○ 内視鏡で取れるのは、比較的小さい癌の場合である。(病院によって異なるが、
1Cm程度の大きさまでとする病院もあれば、食道の2/3周までとする病院もある。)
○ 内視鏡で取れない場合の標準的処置は、やはり外科手術である。現在、外科
手術の5年生存率が最も高く、初期の場合では80%くらいに達する。しかしながら、
開胸し、食道とその周辺のリンパ節を除去し、胃を上方に押し上げるか、小腸を切除
して食道の代替をさせるという大規模な手術であることから、患者の4%は手術が
原因で死亡するほど危険なものである。術後、様々な問題が発生する可能性もある
らしい。

知り合いの医師へ尋ねた結果も、食道癌の場合は外科手術が標準であり、現在は
麻酔や点滴による栄養補給の技術的進歩により手術はかなり安全になっていると
のことである。これらの情報から、外科手術もやむなしと、概ね腹を決める。

【他の選択肢(治療法)を求めて】
12月23日 インターネットで、引き続き治療に関する情報を収集する。標準的処置
は外科手術であるとするホームページが乱立する中、「ガン病棟からの脱出 医療
スタッフへ怒りと感謝を込めて」と題するホームページに出会う。読んでみて、ようやく
癌治療の選択肢が広がった気がして安心感を感じる。ホームページの信頼性を確認
するため、管理者へメールを出して見る。即日、管理者(オミノ・アツシ氏)から励まし
の電話を頂く。信頼できるホームページであることが理解できた。

12月25日 定期身体検査の担当医及びA病院の主治医と電話で相談し、他の病院
を受診して意見を聞くことに決める。この場合の意見を「セカンド・オピニオン」と いう
らしい。オミノ氏のホームページにある国立がんセンター東病院の大津先生を受診
することを決心。年末の休診が始まるまでに時間がないと判断し、A病院の紹介状
なしの飛び込みで受診することに決める。

12月26日 東病院を受診。紹介状がないため多少の困難に出会うが、受診を受け
入れてもらう。ただし、大津先生が外来で混雑しているため「同じグループのN先生」
が主治医に。外科手術以外の選択肢、例えば内視鏡的粘膜切除術を希望する旨
を伝える。N先生もその方向で進める旨に同意。血液検査、尿検査、X線撮影を実施。
1月10日に内視鏡検査、18日にCT検査、23日に診断、2月6日に入院することに決定
し予約。のんびりしたスケジュールであるが、受け入れてもらったことだけで満足。これ
までに知り得た知識から判断するに、少なくとも初期癌の場合は1ヶ月程度の時間的
余裕はあるはず。主治医のN先生も同様な見解なのだろうと勝手に納得する。
A病院については、1月8日予定の外科の先生との予約をキャンセルする。

12月27日 オミノ・アツシ氏のホームページの「東病院式治療、癌研でも採用 
元アル中・食道癌患者の体験談」の当事者のMさんから電話を頂き励まされる。
ありがたい。

1月10日 内視鏡検査。N先生が長い時間をかけて丁寧に検査。「大きめですね。
どうするかは、今後相談しましょう。」と言われる。

1月18日 CT検査。

1月23日 50歳の誕生日。N先生を受診。食道癌の今後の方針が判明。「せめて
放射線治療で終われれば・・」と思っていたが、更に簡単な内視鏡的粘膜切除術で
済むことに。内視鏡的粘膜切除術を行った場合の問題点(出血、食道狭窄など)の
説明を受け、これに同意。A病院では外科手術を推奨、東病院では内視鏡的粘膜
切除術を推奨。まさに雲泥の差である。結果論としてどれが最も正しい選択肢かは、
だれにも分からない。大事なことは、一つだけの選択肢ではなく、できるだけ幅広い
選択肢から患者自身が納得する行動方針を選べること。選択肢を広げることができ
たのは、ひとえにオミノ氏のホームペーシのおかげ。感謝。オミノ氏に内視鏡的粘膜
切除術となった旨をメール。


【入院治療】
2月6日(火) 10時に入院。主治医がB先生に変更。即、内視鏡的粘膜切除術
が始まる。11時から12時の約1時間の治療。大きい癌組織を内視鏡を利用して
何度かに分けて切除する治療。痛みはないが、かなりつらい治療であった。内視鏡
が検査用のものより太いことと、挿入しては取り出すことを何度か(7、8回?)繰り
返す治療であったため喉を傷めたらしく、治療後、唾を飲み込むと喉に激痛を感じる。
唾が喉を過ぎ食道の切除個所付近に到達するころには食道に鈍痛が走る。両方
とも我慢できる範囲の痛みではあるが、かなりつらい。37.5度程度の微熱が続く。

2月7日(水) 昨日、切除した個所の出血の有無などを確認するため、内視鏡を
入れる。予想したとおり、傷ついた喉と切除した粘膜に内視鏡が触れると激痛が
走る。出血がないことが分かり、流動食開始。食べ物を飲み込むと喉に激痛、更に
食べ物が切除個所に到達するとそこでも激痛。食事が終わるころには疲労困憊。
微熱が続く。

2月8日(木) 食事は「3分かゆ」に。徐々にではあるが、痛みが和らぐ。

2月9日(金) 食事は「5分かゆ」に。手術以来、痛みのほとんどは食事の際に発生
していたが、この日は食事とは関係ない時間に発生し、30分間持続する。これまで
順調な回復傾向にあっただけに、一抹の不安を感じる。

2月10日(土)〜2月11日(月、祝) 食事は「全かゆ」に。痛みは目にみえて和ら
ぐ。微熱もなくなる。順調に回復しているらしい。

2月12日(火) 退院。切除個所の傷の回復に伴って発生する食道狭さくを防止
するため、14日(木)に第1回目の食道拡張術を行うことに。また、切除した細胞の
検査結果に基づく今後の処置については21日(木)に示されることに。退院後、
オミノ氏にメール。わざわざ、電話をいただく。

【癌治療完結】
2月14日(木) 第1回目の食道拡張術。内視鏡に細いプラスチックの管状のものを
通し、それに液体を送り込んで膨らませている様子。静脈注射の麻酔をしていても、
かなりの痛みを感じる。所用時間は、10分程度。食道拡張術が終わると、主治医の
B先生の診断。癌治療がとりあえず完結したことを言い渡される。6日に切除した粘膜
を検査した結果、粘膜外へ浸潤している可能性がないと判断したらしい。癌の宣告を
受けてから2ヶ月。終わってしまえば実にあっけないが、本人にとっては、初めて癌を
宣告され、死と向き合い、大手術をも覚悟し、頭脳をフル稼働して選択肢を必死に探
した長い長い2ヶ月間であった。

2月21日(木) 第2回目の食道拡張術。このころ、食事の一口目がなかなか胃へ
落ちず数分間、苦しい思いをする状態が続く。最初の一口が狭窄した部分に詰まって
いるにもかかわらず、食道は一生懸命に蠕動を起こして食物を胃に送り込もうとして
いる様子。一旦通るとあとは楽なのだが、通るまでは、まるで鵜飼いの「鵜」の心境。
この日の食道拡張術を受けた際の説明では、「食道が直径5mm程度まで狭窄して
いた。一旦、20mm程度まで広げた。」とのことである。拡張術が終了した直後は
食物の通りが良いが、2日くらいは切除直後の痛みと似た痛みが続く。こんな感じの
食道拡張術が、今しばらく続きそうである。次回は2週間後の3月7日(木)に決定。

2月28日(木) オミノ氏とそのシンパ4名、計5名が新宿に集まり懇親会。せっかく
の楽しいときに、狭窄が急速に進み固形物が全く通らない状況に。アルコールで粘膜
が腫れたのだろうか。せっかくの楽しいときに残念。2次会へは行けず。食道拡張術の
間隔を2週間としたのが、私には早すぎたらしい。


3月1日(金)〜3月2日(土) 未だ狭窄が弱まらず、固形物は全く通らない。食べた
ものが胃に落ちず、痛みに耐えかねて嘔吐。嘔吐すると痛みはなくなり、すっきりする。
液体は通るので、栄養のある飲み物や「3分かゆ」などで体力を維持しつつ、狭窄が
弱まるのを待つ。

3月3日(日) 栄養のある飲み物をたっぷり買い、入院後初めてのGOLF。食べ物
が摂れないのは不便であるが、プレイには全く問題なし。


3月4日(月) 朝、電話で容体を告げ、急遽、第3回目の食道拡張術を受ける。
「かなり狭いですね。傷の方は、ほとんど治っています。広げましたので、また粘膜が
破れたました。」とのこと。粘膜が完全に復旧したために一層強く狭窄が出たのだろ
うか。麻酔が覚めるに従って、時々痛みが走る。しかし、食事は全く問題なし。まるで
鵜飼いの「鵜」が首の紐をとってもらったかのように、爽快な気分である。痛みより、
食事が出来る喜びの方が大きい。順調に行けば、拡張術を5、6回繰り返すことで
狭窄が止まるらしいので、2002年3月末頃には、完全に回復する予定である。

【癌の予防】
癌は増加の一途をたどっており、もはや、家系に遺伝的要因がなければ安心などと
言っておれない状況である。インターネットや書籍で調べた結果では、癌に関する
理論は未だ確立されていないらしいが、個人的には次のような認識を持つに至った。
○ 数十兆個ある人体の細胞は、日々無数の分裂を繰り返している。この分裂の際、
DNAが完璧にコピーされずに異常細胞が発生することは日常茶飯事である。むしろ
DNAが完璧にコピーされることの方が奇跡である。しかしながら、通常、異常細胞は
人体の免疫システムによって破壊されるため増殖を繰り返すことはない。免疫システム
に異常があると、異常細胞が増殖を繰り返し、6年から20年もの歳月をかけて人間の
目に見えるサイズまで成長する。このようにして発見される異常細胞の一つが癌である。
○ 早期発見、早期治療は重要ではあるものの、それだけでは限界がある。つまり、
ほとんどあらゆる部位に発生する可能性がある癌を完璧に早期発見できるとは限ら
ないし、発見できた癌が必ずしも治療可能であるとも限らない。また、癌の最も恐い
特性は転移であり、転移さえなければ癌は恐れるに足らないと言われるが、6年から
20年もの歳月をかけて人間の目に見えるサイズまで十分に成長した「早期癌」が未だ
転移を起こしていないとは言い切れない。現在の医療技術では、他の臓器への転移
が発生していると、益々完治が難しくなる。

従って今後は、癌が発生した場合の治療だけに期待するのではなく、予防にも注意
する必要がある。特に、人体が生来有する免疫システムの活性化に着目した予防は、
トライする価値がありそうだ。とは言いながら、適度な運動、節酒、禁煙、アガリクス、
ベータカロチン、クロレラ、青汁等々、巷には諸々の情報が氾濫して定説がないため、
何が効果的な予防手段かは定かではない。

【再発に備えて】
癌は、交通事故よりはマシ。仮に、最悪の事態(=死)になるとしても、癌が原因で
自分の知らない間に天国へ、ということはない。半年や1年の時間的余裕は十分に
ある。落ち着いて十分に情報を収集し、できるだけ幅広い選択肢を探し、そして最善
と信じる行動方針を自ら選ぼう。